「企業法学における統計学的分析手法
 ―イベント・スタディ―」

酒井太郎(2005年4月)

 

1 問題の所在-企業の生理状態の把握

 企業法学は、継続企業にふさわしい組織形態や、企業取引を円滑に進めるうえで役立つ準則を探求する学問領域である。企業法学が対象とする実定法の領域は、商法、証券取引法、独占禁止法、労働関係法など幅広い範囲に及ぶ。しかし、企業法学の研究者は、次々と明らかにされる企業の病理を前にその対処法を編み出すことを迫られており、上記目的の実現にふさわしい諸制度を構想しようとしても、企業の生理状態ないし動態を定性・定量的に記述するすべを持たないがために、往々にして、当座的なものの提示にとどまったり、定着するか分からない諸外国の制度の移植を試みようとしている。しかるに、企業の生理状態が把握できれば、いかなる条件に企業がよい反応を示すかあらかじめ分かるので、選択すべき政策の方向性を見出すことができると思われる。では、企業の生理状態はいかにして測るべきか。

 

 法律事実を構成する諸要素、たとえば権利義務や契約関係といったものを数量として把握したり、数式によって表現するなどして、言語以外の手段で客観化しようとする試みは、比較的早くから行われてきた。米国ではすでに19世紀末の時点で、法律学が将来、文言解釈を通じてではなく、統計学と経済学の知見を通じて深められていくであろうと予言する見解すらあった。とりわけ、米国において1960年代以降学問領域として確立したところの「法と経済学」は、ミクロ経済学の理論を法解釈および法制度分析に援用したものとして広く知られている。

 

2 法律事実の数量的把握

 しかし、法律事実を数量や数式に置き換えて客観的に表現するのは、とても困難なことである。権利や義務といった、対象が客観的に定まり、金銭のような共通の価値指標を当てはめられそうなものであっても、評価の基準が定まっていなければ価値を一意に見出すことはできず、互いに比較することができないからである。しかも、数量に表せたとしても、それらがいかなる状態に達していることが望ましいか、あらかじめ共通認識が形成されていなければ、当事者の利益衡量を通じた具体的な法的問題の解決や、法政策の立案・実行に役立てることができない。

 

 ただし、評価の困難の問題についていえば、評価対象となる物や権利が市場において多数の参加者により取引され、相場が形成されているならば、そこから得られる市場価格を利用することで解消できるかもしれない。そのためには、取引市場が中立公正の評価装置として機能していることが必要である。いいかえれば対象物や権利の価値が、余さずすべて価格に反映されていることが必要になる。ちなみにファイナンス理論の領域では、そのような市場が成立するかどうかを確認するために、効率的資本市場仮説という、資本資産のための効率的市場(価値を完全に反映した価格形成が行われている市場)を定義した仮説が提唱され、実際の市場が効率的であるかどうかの検証作業が、株式市場を対象に繰り返された。その結果、米国の株式市場は、価値に関するあらゆる入手可能な公開情報を瞬時に価格に反映しているという意味で、効率的な市場であるとの確証が得られたという。

 

※抜粋(続きはリンク先のPDFで読めます):酒井太郎(2005)「企業法学における統計学的分析手法 ―イベント・スタディ―」一橋論叢,133巻4号,412-434頁