「法律概念を翻訳する難しさ
 ―<tentative>と「未遂」―」

青木人志(2000年10月)

 

 成文法令(条文)や判例(判決文)といった存在形態をとる実定法(positive law)はもちろん、自然法(natural law)もまた、言語によらずしてその内容を説明することはできない。碧海純一の言うとおり、すべての法は言語的な存在であって、法と言語の関係は格別に密接なものなのである(碧海純一〔1993年〕9頁)。そうだとすれば、法律に関わる者はすべからく「言葉」についての鋭敏な感覚をもつべきだが、残念なことに立法者や裁判官さらには法学者の言語センスに対しては、批判ばかり聞こえてくる。

 

 もっとも頻繁に加えられる批判は、法令、判決、法学論文の文章がいずれも「悪文」だというものである。かつて言語学者の大久保忠利は、法令分の問題点を診断し、その病弊を、「長文病」、「修飾語句長すぎ病」、「主述はなれ病」、「省略文素無意識病」、「条件文のやたらはさみこみ病」と、それぞれ命名した(大久保忠利〔1959年a〕)。大久保は、ひきつづき判決の文章を「鼻血の出るような苦しみ」(!)を味わいつつ読んで診断し、「ケタ外れ長文病」、「全体の整理不十分病」、「その段落に何が出てくるのか予告なし病」、「『結論』なかなか示されず病」、「『準直接話法』的引用文がどこからどこまでか予告されない病」という五種の病に冒されていることも、あわせて発見した(大久保忠利〔1959年b〕)。また、つい最近も、国語学者の大野晋が、大ベストセラーとなった著作のなかで、「法律の権威を背後にもっているせいか、法学者の文章は、日本語としての分かりやすさに配慮しないものが少なくありません。」と酷評し、既に地に落ちていた法律文の評判に、駄目押しの一撃を加えた(大野晋〔1998年〕62頁から63頁)。

 

 かくして、「法律文イコール悪文」というテーゼは、いまや国民的常識となった感すらあるが、指摘された「病状」の中には法律の特性からいって避けがたい部分もあることに、法律家なら誰しも気づくところである。つまり、言語学者や国語学者が病理現象とするもののなかには、法律文ゆえの健全な生理現象も一部含まれているというのが、法律家の言い分なのである。この点については、法文の作り手の側から、情理を尽くした反論や弁明がすでに行われている(林修三〔1959年〕、佐藤勲平〔1981年〕)ので、詳細はそちらに譲り、ここはひとつだけ付け加えておこう。大野が「わかりにくい」悪文として槍玉にあげたのは、故・川島武宜(著名な民法学者)の文章である。しかし、その川島の書いた別の文章を、波多野完治は「きわめてわかりやすい」と絶賛しているのである(波多野完治〔1981年〕233頁)。法学者にも名文をものす人はいる。しかしその同じ法学者が、悪文を書いてしまうこともある。真実はそれだけのことではないか。少なくとも、言語学者や国語学者の辛辣な批判が、具体的なテキストを超えて、法律家の書く文章一般に向けられたものであるときは、それはいくらか割り引かねばなるまい。

 

 「悪文」批判と双璧をなす第二の批判は、「法律用語が難解だ」というものである。たしかに、これについては、弁解の余地がない感じがする。わが国は、明治時代に西欧的な近代法典を一気呵成に作りあげた。その際、西欧法の諸概念を適切に表現する日常語はほとんど存在しなかったため、たくさんの法律用語が西欧語からの「漢語訳」によって急造された。おまけに当時は、民衆が読んで分かりやすい法律を作ろうという民主的配慮も希薄であったから、いきおい非日常的で難解な用語が法文のなかに多用され、そのまま法学の世界で定着し現在にいたってしまったわけである。

 

 穂積陳重の回想によると、明治14年頃の東京大学では、法学の諸科目の講義には外国語の教科書を使ったり英語で講義したりしていたが、「明治二十年の頃に至って、始めて用語も大体定まり、不完全ながら諸科目ともに邦語で講義をすることが出来るようになった」という(穂積陳重〔1980〕172頁)。わが国最初の西欧型法典である「刑法」と「治罪法」(現在の刑事訴訟法にあたる)が公布されたのは明治13年のことであるが、穂積のいう明治20年には、憲法典(大日本帝国憲法)も民法典も商法典もまだ出来ていなかった。そんな時期にすでに、大体の法律科目を日本語で講義できるようになったというのだから、法律用語の翻訳にあたった先人の苦労は並大抵のものではない(三ヶ月章〔1978年〕290頁、吉井蒼生夫〔1996年〕382頁)。

 

 以下、本稿では、「未遂」という用語に焦点を合わせつつ、西欧生まれの法律概念を翻訳する作業に随伴する困難のいったんを具体的に示したい。法律用語が難解であるという批判は謙虚に聞かねばならないが、外国語の法概念を正確にかつわかりやすく翻訳することが、そう容易なことではないことも、このさいぜひ理解してもらいたいと思うのである。

 

※抜粋(続きはリンク先のPDFで読めます):青木人志(2000)「法律概念を翻訳する難しさ : <tentative>と『未遂』」一橋論叢,124巻4号,495-505頁

なお掲載に当たり、漢数字を算用数字に改めた。