自分の価値観を絶対視しない
Oさん
2003年3月に私立大学の法学部を卒業し、同年4月に一橋大学大学院法学研究科修士課程に入学。2005年3月に修了後、同年4月に出版社に就職。入社後1年間は週刊誌、その後2013年6月まで女性誌、7月からは文芸雑誌の編集を担当。修士課程での専攻は、国際関係。
※以下は、一橋大学キャリア支援室・大学院部門発行のメール・マガジン2013年10月号掲載の「先輩キャリア・インタビュー」(第19回)からの転載です。
今回は法学研究科出身のOさんに、進路選択の経緯や就職活動で経験したこと、働くなかで感じていることなどを伺いました。修士課程で国際関係を専攻したのち、出版社で活躍されている先輩の経験からヒントを得て、進路選択や就職活動に活かしていただければと思います。
※以下、Q&A形式を取りますが、メールマガジンの作成の過程で編集を加えております。
【「いま」を記録して将来に残したい】
Q:まず、大学院に進学しようと思った理由を教えてください。
A:じつは大学に入るとき、もともと司法に興味があったわけではなくて、ほかの学部も受けて合格したのが法学部だったんです。歴史や海外旅行が好きだったので、法学部のなかなら国際関係がいいかなと思いました。学部のゼミの先生が国際法のプロフェッショナルで外務省OBの方だったんですが、学問をずっとやってきた先生の授業とは少し違って、外交の裏側のことというか、机上のことだけではない具体的な話をいろいろ聞けておもしろかったので、その先生のゼミに入ったんです。その頃から、さまざまな現場を自分の目で見ることができるマスコミに興味があったんですが、国際関係を勉強するなら若いうちのほうがいろいろ吸収できるし、就職して辞めてから進学するというのは難しくなるかもしれないし、と思って大学院に進学することにしました。でも、その先生は大学院のゼミをもっていなかったんです。学部では卒論がなかったので、受験条件に卒論が含まれない大学院は限られてしまって、結果的に一橋に入ったという感じでした。
Q:学部生の頃からマスコミに興味があったということですが、いまお勤めの出版社に就職が決まるまでのプロセスを教えてくださいますか。
A:そもそもなぜマスコミ志望だったのかですが・・・私は生まれが広島で大学から東京に来たんですね。地方の高校生によくあることだと思うんですけど、まだネットなどもいまほど普及していない時代だったので、東京にはいろんな情報があふれているっていうあこがれがありました。東京のなかでも一番情報があふれているのはどこなんだろう、とくに取捨選択される前の多くの情報にアクセスできるのはどこかなって考えたときに、マスコミが一番だろうと。正義感からマスコミを志望している人もいると思うんですが、私の場合は情報が取捨選択される前の場にいたい、東京に来る前の自分と同じようなコンプレックスをもつ人もより多くの情報にアクセスできるための仕事がしたいと思いました。院生として研究もしましたが手触り感がないような気がして、いま起こっている身近なことを知りたいなと思うようにもなったので、やっぱりマスコミがいいかなって。実際、いまの仕事は手触り感があるように思いますね。
それから、公平性という点で紙の媒体がいいなと大学に入ってから強く思っていました。テレビはすごく情報が早くて震災のときなどに有効だと思いますが、外国語のニュースは言葉がわからなければいけないですよね。でも、紙には記録性があって、国や時代などに関係なくその人のペースで何度でも見ることができるという点で公平だなと。それに、大学院で研究を経験したこともあって、将来にも使えるようにいまの情報を残すことにすごく魅力を感じました。研究のために過去の記録を見ていくなかで、現在の感覚でいい悪いとかではなく、当時の感覚でどう受け止められていたのかという空気感を伝えられるのは、新聞より雑誌だとも思いました。そんなふうに速報性よりも将来への記録性に魅力を感じて、出版社がいいなと絞っていったんです。
【電車で1時間の距離でこれほど違うなんて・・・】
Q:研究の経験もふまえて雑誌に魅力を見いだすことができたので、最終的に出版社に絞ったのですね。出版社以外も受けたのでしょうか。
A:新聞社も受けましたし、テレビ局も受けましたね。出版社は5社ぐらいですかね。いま勤めている会社が第一志望だったので、ここから内定が出たので就職活動はやめちゃったんですけど。
Q:なぜいまお勤めの出版社が第一志望だったのでしょうか。
A:週刊誌などいろんな雑誌を扱っていて、幅が広くていいなと思ったからですね。週刊誌って男性向けのページが多いんですが、この会社が出している週刊誌は女性が楽しめるページもありますし、ほかの雑誌も含めて読者の間口が広く、いい会社だなと思いました。
Q:本学では社会学部や社会学研究科などからマスコミに就職する方は多いですが、そうはいってもかなりの狭き門だと思います。Oさんの場合は、どのようなことが評価されて第一志望の出版社に就職が決まったと思われますか。
A:聞いたことがないので、わからないですけど・・・研究が直結していたということはないですね。面接で聞かれたかどうかは覚えてないですが、たぶんエントリーシートに書いたのは・・・大学院で一橋に来たときにカルチャーショックを受けた経験です。学部の大学と一橋だと研究のレベルのようなものだとか、東京にあるだとか共通点は多いと思っていたんです。でも、私立と国立との違いが大きいのかもしれないんですが、学部の大学では、一見法学とは関係のないくだけた内容の一般教養科目もありましたし、とくに法学部生は司法試験を受ける人が多いので卒論がありませんでした。そのおかげで興味の幅は広がりましたが、卒業までの法学の知識修得は学生の主体性に委ねられている部分があったんです。でも、一橋ではかっちりとした、法学の知識を縦に掘り下げる科目がほとんどだったり、一橋の学部から大学院に進学した人たちは学部のときに読んでおかなければいけない入門書や基礎知識をきちんと勉強していたりして。それが前提という人たちのなかに、ひとり基礎的な洋書も全然読んだことがないような状態で入っちゃった、っていうぐらい違ったんです。具体的な目標があって大学院に行くべきところを、私はある意味勢いで受かっちゃったので、そのせいで苦労しましたね。別の地方や外国の大学院に行ったわけではないのに、電車で1時間もかからない場所でもこんなに違うんだってことがすごくショックで・・・。なので、過去の経験から生まれる自分の価値観は絶対じゃないと身をもって叩き込まれました。採用選考のときも、「いい悪いではなく、常識だと思っていることも人によって違うことが身にしみた」という経験を評価してもらえたのかもしれないです。私自身にとっても大学院で一番得たものはそれだった気がしますね。
【人のいろいろな面に触れる仕事】
Q:学部とは違う大学院に進学したことで、研究以外から得たものも大きかったのですね。本学では研究科をとわず、他大学から進学した院生はなにかしらのギャップを感じ、乗り越えているのだと思います。次に、就職後についてお聞きします。最初の1年目は週刊誌担当だったということですが、どのようなお仕事だったのでしょうか。
A:週刊誌は「新人もベテランも横一線に並んでいる」と言われることもあるんですが、なにか起こったときにだれが最初に関係者に話を聞けるかはタイミングによる場合も多いんです。政治や経済、事件ものなどいろいろ扱うんですが、起きたことにすぐ対応しなければならないので瞬発力が必要なんです。いろいろな現場に接するので、頭でっかちな新人をたたきなおすにはいいのかもしれません。
Q:そのようなお仕事を1年やってみて、いかがでしたか。
A:週刊誌の取材は相手に歓迎されないことも多いので、まずそういうところが大変でしたね。それと、起きた事件に対応する仕事なので、明日あさってはどこにいるのかわからないという緊張感もありました。
一方、事件現場の隣の家の方など一般の方に取材することもありますし、事件の被害者のなかには押し掛ける私たちの名前を覚えてくださるような方もいました。人のいろんな面に触れてしまう仕事だと思うんですけど、肩書きがある人が偉いわけでもないというか。そういう意味では、大学院のときに「自分が絶対ではない、価値観がいろんな人がいる」と感じることができていたのはよかったかなと思います。
Q:先ほどおっしゃっていた大学院で得た一番大きなものが、仕事でも活きたのですね。次に女性誌に異動し、7年強という長い期間担当されたようですが、そちらのお仕事はいかがでしたか。
A:もともと東京に対するあこがれとかミーハーな部分があったので、女性の欲望というものをいろいろ扱う雑誌は楽しかったですね。それと、やっぱり雑誌によって仕事の幅や内容、量とかってまったく違うんです。たとえば、担当した女性誌は絵コンテのようなものを書くところからはじまるんですけど、これは写真やイラストを大きく使うビジュアル誌ならではです。それと、週刊誌では単独での取材もよくありましたが、女性誌ではライターやモデル、カメラマンがいてグループで仕事をすることが多くて、逆にひとりでできることは少ないです。人が集まってできていく楽しみというのがあったので、ワクワクしましたね。
【仕事に切れ目がない】
Q:同じ雑誌でも仕事の進め方がかなり違うようですが、院生のとき、異なる環境に身をおくことに「免疫」ができたので、Oさんはうまく適応されたのではないかと思います。女性誌の仕事で大変だったこともあったのでしょうか。
A:じつは週刊誌のほうが夜、意外に寝られたんですよ。たとえば、政治家や事件関係者の家に訪問するといってもやっぱり時間には限度があります。ですが、女性誌の場合、日中は取材や撮影で外に出ているので、夜はライターなど外部スタッフとやりとりをしたり、原稿の出来上がりを待って入稿作業をしたりとか、社内でやらなきゃいけない仕事がすごく多いんですね。なので、徹夜することもいっぱいありました。精神的には週刊誌のほうが大変でしたが、女性誌の仕事は時間の切れ目なくずっとやっている感じで、体力的に大変でしたね。
Q:女性誌の仕事のほうが体力的に大変というのは意外でした。最近、その女性誌から異動となったようですが、いま担当されている文芸雑誌のお仕事はいかがですか。
A:まだ数ヶ月しか経っていないので、それほど語れることはないんですけど。文芸雑誌は純文学とエンタメ系のふたつに分かれるんですが、いま私が担当しているのはエンタメ系の雑誌で、すでに人気のある作家さんの作品が中心です。撮影もあまりありませんし、読者層も広く、女性誌の仕事とはまったく違います。
Q:やはり仕事に違いがあるということですが、女性誌の仕事にくらべると体力的負担は軽くなったのでしょうか。
A:女性誌はビジュアル要素が多くカラーでしたが、いまの雑誌は文章中心のモノクロでレイアウトも基本的に同じなので、仕事の進め方がわりとシンプルなんです。だから、徹夜の期間は短くなりましたね。ただ、執筆前の取材旅行に同行したり、最初の読者として疑問点を伝えたりと、よい作品を書いていただくために作家さんに向きあう時間は長いと思います。
それと、新人賞の応募作や担当している作家さんの新刊や話題作など、読む量がとにかく多くて、夜も家でずっと読まなければならないので、この仕事も切れ目はないです。
Q:仕事のおもしろさはあるものの、それぞれ大きな負担もあるのですね。改めて9年間で3つの雑誌を経験されてきたことをふり返ってみると、どのようにお感じになりますか。
A:一口に雑誌といってもまったく違うんだなと。仕事のペースも違いますし、内容も接する相手も違う。ここで知ったつもりになっても次の仕事に移ると素人になってしまうっていうか、勝手が違うんですよ。つながりもあると思うんですけど、新しいことのほうが多いですね。
【プライドがあるからこそ謙虚に】
Q:自分の経験や価値観を絶対視しないという姿勢を大切にしているからこそ、9年もの仕事経験があっても、新しい仕事に対してつねに謙虚に取り組んでいらっしゃるのだと思います。最後に、マスコミ志望者にかぎらず、現役の院生にメッセージをお願いいたします。
A:興味があったらまずは調べて動くということですね。入ってしまうと辞めにくいものなので、新卒のときほど純粋な気持ちで会社を選ぶ機会はもうないと思います。いまはとても情報が入りやすいので、まず自分でできるかぎりのことをやってみる。やっぱりキャンパスって小さいので、そこから出てみてください。OB訪問などがあると思いますが、アルバイトでもいいのかもしれないですね。いま自分がすごく狭いところにいることを自覚したほうが、あとで味わうショックは少ないかなって思います。就職したら学部卒者と同じ扱いになることもあるので、変にプライドが高いとそれが自分の首を絞めてしまいます。なので、自分のなかにプライドがあるからこそ謙虚になるほうがいろいろな視野やチャンスが広がると思います。
まとめ
今回のOさんへのインタビューでは、大学院で培った謙虚さと、マスコミ志望のきっかけともなった好奇心を兼ね備えている姿が印象的でした。このふたつを兼ね備えているからこそ、人のさまざまな面に触れてしまうことがあっても、仕事の進め方がまったく違う雑誌を担当することになっても、真摯な姿勢をもち続けられるのでしょう。
また、Oさんのお話をつうじて、自身の研究テーマを深く追究していくと同時に幅広い視野を柔軟にもつことにより、院生ゆえの誇りも大切にできるのだと感じました。積極的に学外に出ていき、いまの自分を客観視できる機会を皆さんにもぜひつくってほしいと思います。
インタビュアー:三浦 美樹(キャリア支援室特任講師)