自分で自分を信じさせる
金ゼンマさん
2004年 修士課程修了、2008年 博士後期課程修了。
現在、明治大学国際日本学部専任講師。
※以下は、一橋大学キャリア支援室・大学院部門発行のメール・マガジン2012年12月号掲載の「先輩キャリア・インタビュー」(第15回)からの転載です。
今回は、法学研究科出身の金ゼンマさんに、研究者になるまでのプロセスと、大学教員としてのお仕事に関するお話を伺いました。大学教員・研究者として活躍される先輩からヒントを得て、進路選択や研究活動に活かしていただければと思います。
金ゼンマさんの略歴
2000年に韓国、高麗大学校国際大学院日本地域学科碩士(修士)課程を修了。2001年に来日し、文部科学省国費留学生として東京都立大学大学院社会科学研究科政治学専攻の研究生を経て、2002年に一橋大学法学研究科修士課程に入学。2004年に法学研究科博士後期課程に進学し、2008年3月に同課程を修了。(課程博士。博士論文の題目は『日本のFTA政策をめぐる国内政治過程』)。在学時の指導教員は大芝亮教授。
2008-09年に一橋大学大学院法学研究科COE研究員、2009-11年に早稲田大学アジア太平洋研究センター助教を務めたのち、2011年4月に関西外国語大学外国語学部に専任講師として着任。同時に、早稲田大学アジア太平洋研究センターの客員助教を務める。
研究テーマは国際関係論、とくに東アジア地域の自由貿易協定(Free Trade Agreement、以下FTAと略記)の政治経済。論文には、「日本のFTA政策をめぐる国内政治――JSEPA交渉のプロセス分析」『一橋法学』7(3)、2008年、“Governance reconsidered in Japan: Searching for new paradigms in the global economic downturn,” Korean Journal of Policy Studies 25(1), 2010などが、編著には『グローバリゼーションとアジア地域統合』(勁草書房、2012年)、共著には『アジア地域統合の展開』(勁草書房、2011年)がある。
※以下のインタビュー記事では、メールマガジンの作成過程で編集を加えております。
日本でのアカデミック・キャリアの出発点
Q:金さんはどのようなかたちで日本への留学をはじめられたのですか?
A:文科省の奨学生として日本に来たのですが、指導教員は文科省が割りあてるので、高麗大学の修士で研究していた多国間安全保障を研究テーマにプロポーザルを出したら、東京都立大学法学部の石田淳先生(現東京大学)をご紹介していただきました。あんな素晴らしい先生なのに、当時まったく知らなかったのです(笑)。
Q:金さんは、研究生として東京都立大学大学院で1年間を過ごしたあとに一橋の修士課程に入ったということですね。そのときから研究者をめざしていたのですか?
A:国費留学生には博士課程まで最長7年間奨学金が出るので、当然博士まで行くつもりでいました。韓国ではすでに修士を出ていたので、ダイレクトに博士課程に入りたいと思っていました。いまは変わったかもしれませんが、当時は研究生からはじまって修士、博士という過程を経ないと文科省の奨学金が出ない、という暗黙のルールみたいなものがあったのです。また、高麗大学国際大学院の日本地域学科というところで政治・経済などを習ったんですけど、国際関係論の基礎知識はちょっと足りないなと思ってましたし、基礎を徹底させたほうがよいという当時の指導教員からのアドバイスもあり、修士から基本を徹底的に学ぼうと考えを切り替えました。
Q:金さんは修士課程に入学したときから日本で博士号をとって、日本の大学への就職をお考えになっていたのですか?
A:いいえ、博士号はとりあえず日本で取るという考えはあったんですけれども、そのあとの進路についてはその時点ではとくに考えてませんでした。日本で研究職に就くと決めたのはD4のときです。
Q:そのきっかけはなんだったのでしょうか?
A:最近、韓国からの留学生はすごく多いので、日本やアメリカで学位を取って韓国に戻っても大学の教員になれない人がとても多いんです。日本より韓国のほうが公募も少ないし、「針の穴」と呼ばれています。当時、「もし韓国で大学教員になりたいとしても、日本である程度経歴を積んでから韓国に戻ったほうがいい」というアドバイスをされたので、日本で就職をしようと思いました。それが、実際に大学に就職してみると、研究環境は韓国にくらべて格段によかったんです。幼いころ日本で過ごしたおかげで外国というより「第二の故郷」という感じでまったく違和感もなかったので、日本に永住しようと思うようになりました。
深く掘り下げ、多言語で発信する
Q:研究成果の発信についてお尋ねしたいと思います。英語で論文をお書きになったのは、ご自身のキャリアを見据えてのことでしょうか?
A:国際関係論をやっているので、日本語だけで論文を書くというのは限界があると思って、なにも考えずに英語と日本語と、あと韓国語でも書いてきました。
Q:アカデミックな英語のスキルはどこで、どのように身につけられたのですか?
A:もともと英語が好きで大学のときに語学研修や交換留学をしたりしていましたが、やはりなによりも参考文献は英語のものが多いので、それをたくさん読んでいてというのはあります。あとは、韓国の高麗大学の国際大学院は2年間、100%英語で授業をおこなっているところなので、たぶん私はそこで鍛えられたのかなと思います。プレゼンテーションやレポートはすべて英語を使っていたので、あの2年間がけっこうためになったのだと思います。
Q:出身国や地域を対象に論文を書く留学生が多いなかで、また国際関係論をご専門とするなかで、金さんが研究対象を日本に限定した理由をお聞かせください。
A:日本に留学しているということは、やっぱり日本のことを学ぶために来ていると思っていたんです。当初は日本の政治経済、とくに日本の政策決定に実際に携わっている人たちに興味がありました。その場合、おのずと日本が研究対象になるわけですし、実際に日本に長くいなければこのような研究は達成されません。ただそれは、最初から韓国のFTAとか日本のFTAとかに限定するのではなくて、とりあえず博士論文では日本のFTAを徹底的に追究して、博士号を取ってからは比較研究として韓国のFTAと日本の両方をやる、というふうに自分の研究を広げていきたいなと思っています。じつは当初、比較研究をやろうと思っていたんですけれど、指導教員から比較研究の難しさをご教示いただいてましたし、「分野を限定してそれを徹底的に追究するのが博士論文である」という考えに共感して、博士論文の対象を日本に絞りました。
Q:外国人研究者が地域研究をおこなう場合、対象となる国や地域の研究者を意識せざるをえなくなると思います。その際に、金さんは博士論文の対象を日本に限定することで、ご自身の強みをどのように発揮されましたか?
A:正直そこまで深いことは考えていませんでした。私は論文の質ですべてが決まると思っていたので、あまり考えなかったのかもしれません。ただ、おっしゃることはまわりからよく言われました。「韓国の研究をやったほうが博論をもっと早く出せるのではないか」とか、「日本の研究をやってる人は多いし」と言われたこともあります。それでもやっぱり政策決定過程に関する研究ですし、当時の日本のFTA研究では政策決定者に対するインタビューはほとんどだれも使ってない手法でしたので、そういう意味で日本を対象に研究する強みはあると思いました。私は外国人として対象者の発言をもっと客観的に解釈することができましたし、日本の政策に直に携わるインタビューの相手が警戒しないというメリットも享受してきました。こうした部分が、外国人として日本の研究をする強みのひとつだと思います。
就職活動と研究とのはざまで
Q:就職活動についてお尋ねします。金さんはまず早稲田大学の助教をお務めになったわけですが、採用されるにあたってはなにが決め手だったと思いますか?
A:早稲田大学大学院アジア太平洋研究科には、「アジア地域統合のための世界的人材育成拠点」という、東アジア研究の拠点となるグローバルCOEがありました。私は経済統合を専門とする助教として採用されたのですが、なによりもFTAのことをやっていたことが強みになったと思います。それと、韓国人で日本語と英語に堪能であるというのが非常に評価されたと聞いています。
Q:早稲田大学の助教以外に何件くらいの研究職に応募しましたか?
A:すごく出しました(笑)。一橋のCOEが1年任期だったんですよ。そのときに応募した研究職は全部で12、13件だったと記憶しています。ちょっとでもひっかかれば出していたので、「あっ、これだめだろうな」という思いはありましたけど。
Q:研究職への応募をはじめたのは一橋のCOE研究員になられてからですか。
A:COE研究員のときはそんなに考えてなかったっていうか、業績が少なかったのでとりあえず論文を書こうと思ってました。1年間論文を書きつづけ、COEが終わるころになって、「このままではダメだ」と思って当時の指導教員に相談をしたのですが、「とりあえず両方やらなきゃ」と言われました。それで焦って何件かに応募したんですけど、大変でした。応募先には日本の大学もありますし、アメリカのポスドクもあります。「どこでもいいから採ってくれれば」と思っていました。
Q:助教をお務めになった1年目はどこの研究職にも応募しなかったということですが、その理由は教育と研究で忙しかったからですか?
A:研究がすごく忙しかったからです。あと、業績を出したいという希望が強くあったのもその理由です。最初の1年目はCOEで充分な支援をいただいてアメリカのInternational Studies Association(国際学学会)という、国際関係論では国際的に一番大きな学会などにまず行くという目標を立てていました。また、COEの助成をいただいて、イギリスのPolitical Studies Association(英国政治学会)で報告したり、韓国の国際政治学会で報告したりしました。とにかく、業績がないとぜったい先に進めないと思っていました。おりしも共編著も出さなければならなかったので、とりあえず最初の1年間は研究に専念しようと思っていました。やっぱり研究職への応募と研究の両方をやると、どっちもできなくなるんです。応募するのってすごく時間と労力がかかるじゃないですか。それで研究に専念しました。
英語での授業実践の苦労と工夫
Q:現在のお仕事についてお尋ねしたいと思います。関西外国語大学では週に何コマの授業を担当なさっていますか?そのうち英語の授業はいくつおもちですか?
A:半期に8コマ担当し、学部の1年生から4年生まですべて英語で教えています。国際関係論や地域研究、FTA特殊講義などを担当しています。
Q:学生にとっては教養科目や専門科目を英語で勉強するのは非常に大変なことだと思います。それに関してどのような苦労をなさいましたか?
A:学部1年生の授業でも国際関係論を教えているんですけど、私はやっぱり徹底的に教えたいのです。でも、高校卒業後まもない学生は英語にも慣れてないし、「国際関係論とはなんぞや」を知らないわけで、最初はみんなポカンとして聞いていました。それで、授業では何度も繰り返して同じような話をすることを心がけています。たとえば、毎回の授業では学期の最初から最後まで教える内容を示したうえで、自分がその日に話している内容を説明するようにしています。つまり、「この学期にはこれを習う」ということを伝えたうえで、「今日のところはこの2番目のタイトル」だとか、「今日はここ」だとか、位置づけをはっきりさせています。そうしながら「理論から入って事例」というふうに教えています。あと、学生のなかには留学生もいますし、帰国子女もいますし、純日本人という学生もいて、英語のレベルにすごく差があるんです。大多数の学生がノン・ネイティブの学生ということもあり、最初はそれにあわせてすごく易しく授業をしていたんですが、そのうちこれではダメだということがわかりました。そこで自分が教えたい内容は全部入れて、それをリンゴの事例を使ったり、図を描いたり、写真を見せたりしながら、とにかくわかりやすく説明してきました。難しい内容をわかりやすく教えるというのはすごく難しい。でもそれは教育をする側の責任というか義務だと思います。
自分を肯定し、ほかの人に耳を傾ける
Q:最後になりますが、後輩へのアドバイスをお願いしたいと思います。
A:後輩の皆さんに一番話したいのは、言霊っていうのがあるということです。私が院生のとき、オーバードクターの先輩方といつも話していたのは、「博士論文を出せなかったらどうしよう」とか、「博士号を取ったとしても就職できなかったらどうしよう」とか、暗い話ばかりでした。そして「ああ、自分はダメなんだろうな」という否定的な方向に流れることが多かったんですけど、まずそれはやめたほうがいいんじゃないかなと思います。悲観的で否定的な言葉じゃなくて、肯定的な言葉を発することで、自分で自分を信じさせるっていう、そういう暗示をかけるというのは非常に大事かと思います。
あともう一点は、いまになって思うんですけど、私は「FTAオタク」みたいになっていて、FTAしか研究していないんです。おもしろいからその研究にフォーカスしてしまうのですが、これは学者として望ましくないと思うことが多々あります。歴史関係の研究会などまったく関係のないところに行くと、わからないことが多いときもありまして、これは学者として恥ずかしい。なので、院生のときはいろんな本を読んで、他人の研究にも耳を傾けてほしいなと思います。ゼミではそれぞれもっている興味が異なるので、ほかの人の論文報告にも耳を傾けてください。レジュメには毎回、先行研究が載っているはずですけど、そこでメインの研究とか論文一本くらいはかならず熟読したほうがいいと思います。そうすると、おのずと自分の専門や周辺領域の知識が積み重なってきます。結局は、読んだ論文の数がものをいうと思います。
学位をとって研究者になってしまうと、だれも自分の研究に対してアドバイスをしてくれないんです。私は独り立ちしている研究者なので、自分で責任をもってやっていかなければいけない立場ですし、自分の研究は自分が一番よく知っているというのはあたりまえのことになります。ただ博士課程だと、学生ということでいろんな観点からいろんなアドバイスをいただけるし、それで研究の分析枠組みをさらに深めることもできるんです。自分の研究を一人で見てると、異なる観点をもつ人からのアドバイスがいかに大事なのかがあまり見えてこなくなる。でも、違う分野の人に「これ、こうじゃないの」ってすごくシンプルな質問をされたとき、「まさにそうなんだ」って思うことがよくあるので、そういうネットワークを大事にして、前向きにがんばってほしいと思います。
まとめ
本インタビューを通じて印象に残ったのは、金さんの研究と教育に対する真摯な姿勢と目標にむかってのたゆまぬ努力でした。日本語・韓国語・英語に堪能とはいえ、こうした才能に甘んじず、つねに高い質の研究を志してきた金さんから学ぶべきところは多いと考えます。研究者としての就職がいっそう厳しくなるなかで、金さんの言にあるように将来に悲観的になるのではなく、専門知識の吸収に励み、コツコツと研究を進めていくことが求められます。本インタビューからは、研究に対する貪欲さや異なる意見に対する寛容さの価値が伝わったのではないかと思います。学問の世界でも競争原理がはびこるなかで、研究者としてのエートスを維持していくことは困難ですが、金さんのアドバイスには初心に帰るためのヒントが隠されているようにも思えます。
インタビュアー:佐藤 裕(キャリア支援室特任講師)