法文化構造論報告要旨。

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一橋大学大学院法学研究科 法文化構造論講座は、開かれた自由な雰囲気のなかで、基礎法学の諸問題への総合的・学際的アプローチをめざしています。 本ページでは、講座の核となる研究会形式の講義「法文化構造論総合問題」における報告の要旨を広く公開いたします。 なお、対象年度は2000年度以降、順序はアイウエオ順、肩書きは報告時のものです。


相澤美智子(一橋大学准教授)「雇用差別への法的挑戦・日本編―著作後の第一歩」(2013年1月11日)

 先般上梓した『雇用差別への法的挑戦―アメリカの経験・日本への示唆―』(創文社、2012年)において、 アメリカにおける雇用差別に対する法的挑戦の具体的姿を叙述した。 このことを踏まえ、本報告では、 日本における雇用上のジェンダー差別に対する法的挑戦についての考察にとりかかりたいと思う。 著作の後の一歩を踏み出そうとする報告となるので、詰め切れていない部分が少なからずあるが、 現時点での私の考えを率直に提示し、 よりよいものに練り上げるためにご教示を得たく、 あえて著作以降考えつつあることをお話ししたいと思う。

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青木人志(一橋大学助教授)「介助犬と法―比較法的基礎調査」(2000年6月9日)

 身体障害者の日常的な起居動作を助ける介助犬の公的認定と、その本格育成への期待が高まりつつある。 しかし、それらが実現したとしても、 介助犬使用者は、①公共輸送施設利用、②公共施設利用、③住居の確保の面で困難に遭遇すると予測される。 そこで、将来の介助犬立法の整備を意識しつつ、比較法的な基礎調査を行った。
 アメリカでは、1990年に制定された「障害をもつアメリカ人法」(ADA)や各州の「白杖法」等によって、 「介助動物」(service animal)使用者の公共輸送施設利用や公共施設利用が権利として保障されているほか、 連邦法・州法による住居保障も厚い。 ADAの執行には、私人である当事者はもちろん連邦司法省も、 当事者としての訴訟提起、「裁判所の友」としての意見書提出、 和解(formal settlement)、調停(mediation)、といった諸手段を通じて積極的に関わっている。
 フランス法には介助犬の規定はない。 しかし、盲導犬使用者の「公共の場所」への立入りは法的に保障され、それを妨害する行為は犯罪になる。 また特筆すべきは、住居内で犬を飼育する権利が全面的に認められていることである。
 イギリスでは、アメリカのADAに触発された「障害差別禁止法」(DDA)が1995年に制定された。 そのなかで、盲導犬・聴導犬などのタクシー利用の権利が保障されたほか、 1999年にはDDAの執行を推進することを任務とする「障害者権利委員会」が設置された。
 一方、わが国では、「ノーマライゼーション」「バリアフリー」といった理念がさかんに提唱されているにもかかわらず、 介助犬はおろか盲導犬使用者の権利ですら法律上まったく規定されておらず、 たとえば盲導犬のレストラン・旅館などの公共施設利用については、 行政通達による「依頼」が行われているにすぎない。
 今後は、介助犬についての統一的な基準を作りつつ、まずは介助犬についても盲導犬同様の通達を出し(短期的課題)、 ついで盲導犬・介助犬・聴導犬使用者の権利を法律によって保障し(中期的課題)、 さらには動物全般に関わる法律を充実させてゆくべきであろう(長期的課題)。

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青木人志(一橋大学教授)「比較法学の来し方行く末―われわれにとって切実な比較法とは何か?」(2003年5月9日)

 19世紀半ばに、西洋の法と法理論を移植するという政府の決意とともに日本近代法の歴史が始まったとき、 比較法研究の有用性は自明のことであった。 それ以来、日本の法学者は概して比較法方法論の研究に熱心ではないが、固有の意味における「比較法学者」が、 自らの研究内容の方法論を反省すべきこと、「比較法」を講義する者がそれを余儀なくされることは明白である。
 比較法にはミクロ比較とマクロ比較という二つの主要な方法がある。 マクロ比較を通じて世界の法を分類することが、 厳密な意味における比較法の重要問題のひとつであることは、疑いを容れない。 日本のマクロ比較法理論について言えば、穂積陳重の先駆的業績以来大きな理論的進歩を遂げてきた。 しかし、逆説的現象であるが、マクロ比較法理論がグローバリゼーションの進展にともなって精緻化すればするほど、 その応用は難しくなり、実用性もはっきりしなくなる。
 この行き詰まりを打破するため、将来の比較法学に対し、つぎの3つの研究課題を提案したい。 (1)「法の継受」についての一般理論を発展させることによって、新しくダイナミックなマクロ比較法を案出すること。 (2)すでに存在するミクロ比較法の邦文業績を再検討することによって、ミクロ比較法の一般的方法論を作り上げること。 (3)まずは実定国家法の比較から、「比較法文化論」研究に着手すること。

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青木人志(一橋大学教授)「ヨーロッパの動物実験規制と日本法の現状」(2006年4月28日)

 ヨーロッパでは動物実験の許容条件についてのルールが早くも1876年にイギリスで立法化されている。 それ以来、動物福祉法(動物虐待防止法)の枠内で、 動物実験の許容条件やそのための諸制度を規定する取扱いが、130年以上も続いてきた。 とりわけ1986年以降は、EC動物実験指令にもとづき、EC諸国内での規制の足並みも揃っている。 このような歴史社会環境のヨーロッパでは、動物実験の許容条件の問題は、 実験動物の福祉の問題と概念上截然とは分けられず、これら両者が、 同じように動物保護法や動物福祉法や動物保護行政の中心的な対象のひとつだと考えられている。 一方、わが国は、従来、動物実験の法規制は未成熟であり、法律レベルの規定はきわめて少なかった。 動物愛護管理法の2005年改正で、 国際的スタンダードになりつつある 動物実験の3つのR(Refinement, Reduction, Replacement)に配慮すべきことが、 一般的にようやく規定されたが、動物実験の適正管理と、 実験動物の福祉の問題を概念上分けて考える意見もなお強い。 そのような考え方によると、 後者のみが動物愛護管理法や動物愛護管理行政の問題となり前者は別途考えるべきだということになる。 今後も、わが国の将来の法がどちらに進むか、予断を許さない。

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青木人志(一橋大学教授)「動物虐待関連犯罪をどう規定すべきか?―動物愛護管理法改正作業との関係で」(2011年6月17日)

 現在、わが国では「動物の愛護及び管理に関する法律」が、 その附則により定められた見直しの時期を迎えており、 中央環境審議会動物愛護管理部会のもとに「動物愛護管理のあり方検討小委員会」が設置され、 同法の総点検が始まっている。 同小委員会はすでに十数回の会合を重ね、活発な議論を行ってきている。 本報告では、今後不可避的に再検討されるはずの動物虐待関連犯罪規定に焦点をあわせ、 その望ましいあり方を考える。 具体的には、(1)動物愛護管理法改正作業全体のスケジュール、 (2)現在の動物虐待関連犯罪規定の成り立ちの説明、 (3)それらの運用状況の確認、 (4)将来の理論的・実務的な課題の指摘、 (5)イギリス法の規定形式との比較という見地から法改正の方向について具体的な示唆、 という順番で議論を進める。

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青木人志(一橋大学教授)「アニマルライツ論の新展開とわが国の動物法の現状―Donaldson & Kymlicka, Zoopolis: A Political Theory of Animal Rights (Oxford, 2011)の主張とその応用可能性」(2013年6月21日)

 近代的な動物虐待防止法は1820年代のイギリスで生まれ、そこから世界に広がった。 以来、現在にいたるまでの200年近い年月の間に、 動物擁護運動は一定の分野で一定の成功を収めてきた。
 また、20世紀後半からはいわゆる動物の権利論(アニマル・ライツ論)が台頭し、 人間の利益のために動物を搾取することが許されるべきではない、 というラディカルな主張がなされるにいたった。
 しかし、そのようような歴史的経緯があり、かつ、 アニマルライツ論のような単なる動物福祉論を超える思想が一定程度の支持者を集めているとはいえ、 人間社会におけるシステマティックな動物搾取は、 まったく改善することなく、それどころか、悪化の一途をたどっている。
 ドナルドソンとキムリッカ(2人は夫婦である)は、このような状況認識のもと、 2011年にZoopolis:A Political Theory of Animal Rightsと題する著作を発表し、 斬新な主張を行った。 彼らは、従来の「アニマルライツ論」が理論的にも政治的にも行き詰まっていると批判し、 まったく新しい視点や枠組を「アニマルライツ論」に導入しようとする。
 同書で展開されるその主張は、これまで「倫理」(応用倫理)の問題とされてきたアニマルライツに、 「政治学的」な視点を導入することでアニマルライツ論を理論的に再構成しなおし、 かつ公衆の支持を得られるもの(政治的に成功しうる理論)に鍛え上げようとするものである。 なお、同書はカナダ哲学会の2013 Biennial Book Prizeを受賞している。
 ところで、我が国の動物保護法は、この15年の間に、飛躍的な発展を見せた。 1999年、2005年、2012年にあいついで「動物愛護管理法」の大規模な改正が行われ、 報告者の青木は、その過程に審議会や小委員会の委員として積極的に関わってきた。
 本報告では、ドナルドソンとキムリッカの示した、 新しいアニマルライツ論が、どのようなものであるか、その概要を説明したうえで、 そのような考え方が、報告者が現在その渦中にある問題、 つまり、将来の我が国の動物保護法のあり方の探求において、 どのような示唆や含みをもちうるか、について若干の展望を加えてみたい。

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有賀美和子(大学院修士課程)「フェミニズム理論の変遷と最近の動向」(2001年1月26日)

 1960年代後半から現在に至るまでの「第二波フェミニズム」の歴史は、 70年代半ばと80年代前半で三つの時期に分けられる。 既存の伝統的な各学問分野における女性の「不可視性」に光をあてた第1期、 差異派フェミニズムの興隆と リベラル派/ラディカル派/マルクス主義派フェミニスト(「ビッグ・スリー」)による議論が拮抗する第2期、 三大理論によるフェミニズムの類別化の克服が課題となり、 女性の非・ステレオタイプ化と脱・西洋中心主義の議論が台頭する第3期である。
 今日の第3期フェミニズムでは、 従来の“白人中産階級”中心的な主流フェミニズムに対する黒人フェミニストらの諸批判に呼応して、 女性の「内なる差異」(difference)の強調を通じて、 人種や階級等の諸要因が女性を相互に区別していくプロセスとメカニズムが探られる。 例えば、人種差別を経験しない白人女性が、黒人女性との関係における「有利の経験」 あるいは“whiteness”の意味を考究することによって「他者を抑圧する差異」を克服することが、 現代フェミニズム理論の主要な課題となっている。

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有賀美和子(大学院修士課程)「「フェミニズム正義論」の射程とその可能性―家族内の正義をめぐるアプローチ」(2001年12月14日)

 本論においては、「家族」を“自然”の支配する、 <正義> とはイレレヴァントな私的領域と捉えるべきではないという 第二波フェミニズムによるリベラリズム批判を端緒として、 家族内の正義を基点とする「フェミニズム正義論」の理論的可能性を探ろうとした。
 「家族」を自然的な不可侵の聖域と捉えてきたという、 フェミニズムによる批判を投げかけられたリベラリズムには、 その批判に応答して、新たな家族論を展開することが要請されている。 そのためには、フェミニズムの視点を導入しながらリベラリズムの諸原理を捉え直し、 再構成していくことが必要であろう。 また一方においては、女性の特殊性を主張するフェミニズムが陥りやすい“ジェンダー本質主義”の罠を超克するために、 リベラリズムの原理である「正義の基底性」や「自律の尊重」が有効であることを見た。
 ルールは特定の善(good)の構想からは独立的に、 権利=正(right)に基づいて構築されるべきとする「正義の基底性」の理念は、 諸個人の善の特殊構想と深く結びついている家族関係の形成や維持にとって殊に有効性をおびてくる。 こうした諸原理の再考を伴いつつ、 家族をめぐる新たな正義構想をフェミニズムとリベラリズムの双方向から探る営為をとおして、 「フェミニズム正義論」の構築が進められるべきであろうと思われる。 その究極の目的は、従来の性別役割分業に縛られない自律的な男女の個々人を、 それぞれの「多様な善の構想」を追求する存在として、ひとしく尊重することにあるといえよう。

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安藤馨(一橋大学教授)「ベンタム主義の現代的再構成プロジェクト」(2021年5月14日)

 本報告では、報告者のこれまでの研究を振り返りつつ、 それらが扱った主題の「とっちらかり」ぶりについて、 それらにジェレミー・ベンタム(ベンサム)の法理学の問題関心を継承するという共通の背景動機があることを確認しつつ、 このベンタム主義的プロジェクトの行方について考察する。 性道徳に関する、当時としては異様に「リベラル」なベンタムの姿から始め、 統治道徳としての功利主義とその現代版について概観する。 ベンタムの中に2つの法モデルが共存していることと、その内在的衝突を指摘し、 それが監視 inspection を初めとする「統治テクノロジー」の目下の(不可避的)発達と相まって、 ベンタムにテクノロジー的支配の(願わくは幸福な)古典的モデルを見出すことができることと、 それが今後ますます重要度を高めていくであろうことを明らかにしたい。

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石塚迅(大学院博士後期課程)「言論の自由の位置づけをめぐる中国法学界の今日的議論」(2000年10月6日)

 従来、中国憲法における言論の自由は政治的権利であり、 政治的効能にその存在意義があると位置づけられてきた。 言論の自由について中国国内において議論することは事実上タブー視されてきたが、 1991年の「人権白書」公表以降、 中国法学界においても言論の自由について議論することが可能となった。 その中で、言論の自由の「政治性」に異論を提起する学者が現れはじめた。 本報告では言論の自由の位置づけをめぐる中国法学界の議論を整理し、 中国のおける言論の自由の保障の方向性を展望した。

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石塚迅(大学院博士後期課程)「中国における言論の自由―その法思想、法理論および法制度―」(2001年11月16日)

 本博士論文は、比較憲法的視点を重視することにより、 中国における言論の自由をめぐる法思想、法理論および法制度について検討し、 それが歴史上どのように変遷し、そして今日どのような状況にあるのかを明らかにすることを目的としている。
 筆者は、中国における言論の自由の理論的特質およびその実際を考察・検討することが、 ①中国と西欧諸国との間の人権および言論の自由をめぐる論争を理解するにあたり 必要不可欠であり(国際法・国際政治学上の意義)、 ②中国の政治体制改革および政治的民主化を分析・展望する上で 重要な意義を有しており(中国法・中国政治学上の意義)、 ③「人権」の普遍性あるいは「人権」概念そのものを問い直す 一助となる(憲法・比較憲法上の意義)という諸点において、 本博士論文が一定の意義を有していると考えている。
 本博士論文は、「序章:中国における言論の自由を研究するということ」、 「第1章:言論の自由の特質と「憲法的伝統」」、 「第2章:民主化要求と「中国的人権観」」、 「第3章:言論・表現の自由関連立法の構造とその問題点」、 「第4章:言論の自由の位置づけをめぐる中国法学界の今日的議論」、 「第5章:「反革命罪」の名称変更と言論の自由」、 「第6章:現代中国法における「四つの基本原則」と思想・言論の自由」、 「終章:「中国的」言論の自由の「普遍性」と「特殊性」」から構成されている。

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石塚迅(日本学術振興会特別研究員)「胡平論文の衝撃―民主化要求と「中国的人権観」―」(2002年4月26日)

 「改革開放」政策の中でしばしば顕在化した民主化運動 (「北京の春」、「学潮」、「天安門事件」)は、 「反右派闘争」や「文化大革命」における激しい言論弾圧に対する深刻な反省をその出発点としており、 西欧思想・文化の再流入に触発されたものであった以上、 おのずからそれにおける民主・人権要求の中心は言論の自由の保障およびその実現におかれた。 民主活動家や民主派知識人による言論の自由の実現を求める主張は、 1949年10月の中華人民共和国建国以降、 言論の自由についての議論を意識的・無意識的に控えてきた体制側の学術界に対して、 舌鋒鋭く問題を提起するものであった。 「言論の自由」それ自体は建国以降のすべての憲法に明記されてきた語であるため、 中国政府・共産党および体制側の学術界は、 民主活動家や民主派知識人の言論の自由観とは異なる自らの言論の自由観を提示する必要に迫られたのである。
 本報告では、民主派知識人の胡平氏が発表した論文 「言論の自由を論ず」をめぐる論争を分析の中心に据えることにより、 民主化運動における民主活動家や民主派知識人の言論の自由の実現を求める言説、 およびそれに対する中国政府・共産党および体制側の学術界の反駁の言説の具体的内容について検討した。
 中国政府・共産党および体制側の法学界は、 こうした民主活動家や民主派知識人の人権・言論の自由の要求に反駁する過程において、 徐々に「人権」概念を容認し、自らの人権観を国内外にアピールしていくのである。 1991年11月に中国政府が公表した 「中国の人権状況」という白書(人権白書)はその理論的集大成といえるものであった。 そして、同時にこの反駁の過程が体制側の法学界による 言論の自由をめぐる法理論の形成と確立の過程でもあったのである。

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石塚貴裕(大学院修士課程)「自由・人権・民主主義のパラドクス―ハーバーマスの言説の批判的検討を中心に―」(2000年10月27日)

 「自由」「人権」「民主主義」といった近代以後の社会における法(法思想)において 基本的なものとされるこれら諸理念が、 20世紀末の世界の現実においていかなる「パラドクス」を引き起こしたのかという問題を ユーゴ問題の現実に即して見てみる。 その上で、「自由・人権・民主主義」を守るためと称して行われたユーゴに対する武力を用いた「制裁」を、 「世界市民社会」「世界市民法」といった概念をキーワードにして哲学的・法哲学的な基礎付け、 肯定したハーバーマスの言説を彼の諸著作における哲学的・思想的問題点を検討することを通じて検討していく。 そこには彼の近代主義的・西欧中心主義的な立場が見て取ることができ、 その根幹にあるのは彼の「対話的理性の哲学」の限界であるということもできるのではないか。 さらには、ユーゴ問題をめぐる西欧的価値観に基づく主張に対して 「不信」と「不安」を表明した岩田昌征氏の主張の意義と 「反西欧的」なアプローチの限界をも検討していく。 今改めて西欧を中心とした近代以後の社会における法を 政治経済的な背景を検討することを通じて内在的に批判していくことの必要性が 法哲学に問われているといえよう。

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伊藤克彦(大学院修士課程)「法に全体論は可能か?―クワインとドゥオーキンを通して」(2003年11月21日)

 アメリカの哲学者W.V.O.クワインの著名な論文「経験主義の2つのドグマ」で主張された 言明の理解・正当化が言明の全体・総体から行われているという全体論(holism)のテーゼは、 主に英米の分析哲学、特に言語哲学に大きな影響を与えたが、法哲学・社会哲学の中で十分に検討されているとは言い難い。 「言明の全体・総体」をそのまま「法命題・法言明の全体・総体」と置き換えれば、 法の正当化の根拠や解釈といった問題に適用することが可能なのではないか? 法哲学で全体論にかなりの程度影響を受けていると思われるのは、 R.ドゥオーキンが「権利論」や「法の帝国」で主張する全体論的整合説である。 ドゥオーキンのモデルは法命題の正当化という点において、自然法・法実証主義のモデルとは根本的に異なる。 クワインの全体論自体の矛盾点や価値や道徳の問題はどう扱われるのかといった様々な問題を抱えつつも、 法哲学に全体論の視点を導入することは、法システム外部の刺激―例えば世論、 学説などを通して―常にその総体を変化させている 巨大なネットワークとして「法」を捉えることができるという点で非常に魅力的である。

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伊藤克彦(大学院修士課程)「ホーリズムの法哲学的意義と可能性」(2004年12月10日)

 前年度の報告を敷衍し、クワインのホーリズム(全体論)のモデルが
(1)論理実証主義の認識論のモデルよりも直接経験に対応しない知識を扱えるという点で優れている
(2)非基礎付け主義である
(3)アプリオリな知識抜きの認識論のモデルで哲学史上初めての説得力のあるモデルである
というメリットがあり、こうしたメリットはR.ドゥオーキンの「インテグリティとしての法」(law as integrity)や J.ロールズの「反照的均衡」(reflective equilibrium)にも影響を与え、法哲学・道徳哲学にも意義があると考える。 その一方でクワインのホーリズムのモデルを法哲学で扱う際に、「経験主義の2つのドグマ」(1954年)の時点では、 クワインが社会の正当化と個人の正当化を区別していなかったことが短所として挙げられ、 そのデメリットが法哲学では強調されてしまうのではないかということが問題点として考えられる。 報告ではこの問題点を指摘すると共に、問題点をどのように克服するのかという今後の自分の研究の方向性を示した。

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伊藤克彦(大学院博士後期課程)「法哲学における実在論の問題の位置づけ―ヒラリー・パトナムの内部実在論を題材に」(2005年12月16日)

 「実在論」とは、自分の心や認識の外側に何か独立な対象や独立の対象が存在すると主張する哲学上の立場である。 この実在論の立場はしばしば「真理の対応説」と呼ばれる認識論上の立場と結びつけられ、 外部世界の対象と直接対応する知識のみが客観的であるという主張へと変貌した。 こうした「実在論+真理の対応説」の立場が正しいのであれば、外部世界の対象に関する知識を直接扱わず、 法的推論や法的実践を扱う法学一般は、客観的な知識を取り扱わないことになってしまうのだろうか。 こうした問題は、1950年代の法解釈論争では盛んに議論されたトピックであるが、 現在では問題が解決されていないにも関わらず、議論が途絶えてしまって久しい。 本報告では、こうした問題に関連する法的判断の正当化・法の正統性の問題における田中成明・井上達夫の議論を紹介し、 それぞれの立場の検討を行った。 また最近の英米の分析哲学で、1980年代のヒラリー・パトナムが相対主義にも形而上学的実在論にも依存しない限りで 道徳的価値や美学的価値の養護を試みる「内部実在論」の議論を紹介し、 この議論が法哲学の上記のような問題に示唆を与えるのではないかという見通しを示した。

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伊藤克彦(大学院博士後期課程)「理由の空間の法哲学―「理由」の概念が法哲学あるいは法学一般にどのような影響を与えるか」(2006年11月10日)

 我々が素朴な直観として持っている、外部世界に原子や分子などの自然科学的な存在や実在に限定する 「科学的実在論」とそれに対応する知識のみが正当化されるという「知識の対応説」を立場として採用した場合、 道徳的価値(あるいは法的価値)に学門的な客観性や合理性を求めることができないのではないかという疑念は一般に根強い。 そうした一般の疑念にも関わらず、 現在の道徳哲学では道徳的価値の正当化というメタ倫理学的な議論が復活されようとしている。 現代においてその大きな論争の一つは、「マクダウェル・ブラックバーン論争」である。 マクダウェルは、道徳や価値は真偽を問いうるが、 我々の反応を世界に投影したものに過ぎないとするブラックバーンの立場の「準実在論」の立場を批判し、 色や味などの(ロックが分類した)いわゆる「二次的性質」は主体が置かれる状況によって知覚されないかもしれないが、 適切な条件下では等しく知覚され、その意味で「二次的性質」にはある程度の「実在性」や「客観性」を伴っており、 道徳的価値も同じように捉えることができるという独特の「非自然主義的道徳実在論」を主張する。 基本的に発表者はマクダウェルの立場に共感しており、 それはマクダウェルの主張が「理由の空間」という純粋哲学的な動機をはらんでいるからである。 発表においてはマクダウェルの「理由の空間」という哲学上のメタファーが 法哲学にどのような影響を与えるかの現段階の見通しについて報告を行なった。

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伊藤克彦(大学院博士後期課程)「ジョン・マクダウェルの「理由の空間」とメタ倫理学的立場の法哲学的意義」(2007年11月2日)

 最近の法哲学において、価値の客観性といったメタ法価値論(メタ倫理学)の問題の議論が下火になって久しい。 私がみるところ規範的正義論は価値の正当化の問題で行き詰まっており、 この問題の解決の突破口としてメタ法価値論の議論、 この報告では現在私がシンパシーを抱いているジョン・マクダウェルの議論の紹介を行った。 メタ倫理学上の議論において、「二次性質」「厚い倫理的概念」という議論を通して、 マクダウェルはブラックバーンやマッキーの「投影主義」を批判する。 特にマクダウェルは特に彼らの物心二元論というデカルト主義的構図を問題視する。 マクダウェルのこうした批判の背景には外部世界の知覚経験を所与のものとして受け取っているわけではなく、 概念化して受け取っているという「理由の空間」という哲学的主張があり、 こうしたマクダウェルのプロジェクトが法哲学の問題とどう繋がっているのかということを報告で論じた。

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伊藤克彦(大学院博士後期課程)「法価値と最小限の経験主義―マニフェストイメージと科学的イメージ」(2008年11月14日)

 知覚経験と直接対応しない知識をどう扱うかという問題意識が本報告のテーマである。 科学的な知識は実験や観察と理論・命題との対応関係による知覚経験のテストで知識の真偽が決まるとされる。 それに対して 法学や法実践においては、 知覚経験とは直接対応しないように見える人権や正義などの法的価値を多く扱うために、 法学は自然科学とくらべて客観性という面で劣るという見解が従来は支配的であった。
 この問題に関して、近年は法的価値を自然科学的な合理性に還元しようとする論者が見受けられるが、 私見によれば現在の法哲学で通説となっている見解は、田中成明や森村進が主張するように 「法価値は自然科学的な客観性を目指すことはできないが、間主観的な合理性を有している」という主張である。 ところで、この主張は「私たちの心・認識の外側にある世界は科学的実在論の世界であり、 価値はその世界から外れる」という存在論・認識論上の主張が前提となっている。 果たして、その暗黙裏の前提は正しいのだろうか?
 この法哲学で通説的な見解と親和的な(少なくとも両立可能な)主張を行うメタ倫理学上の立場として J.L.マッキーの「錯誤理論」(error-theory)があり、 そのマッキーの立場に徹底的な批判を加えたのが、ジョン・マクダウェルである。 マクダウェルのマッキー批判を通して明らかになることは、 私たちの心や認識が全く関わらない「剥き出しの対象」がありえないことと、 外部世界に関わる知識すら単なる命題と対象の対応関係ではなく、 全体論的な信念のネットワーク (これをマクダウェルは「理由の空間」(spaces of reason)と呼ぶ)で真偽が問われるが、 それでもなお外部世界との接触を失わない形での 存在論・認識論的な立場の構築というマクダウェルの大胆な提言である。 マクダウェルは自分自身のこの立場を 「第二の自然」(second nature)あるいは「最小限の経験主義」(minimal empricism)と表現するが、 マクダウェルのこの主張を受け入れることによって、 法哲学における法価値の問題に対して新しい視野を得ることができるのではないかということが、 本報告における報告者の主張である。

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伊藤克彦(大学院博士後期課程)「法価値の形而上学―世界・主体・社会の相互依存関係」(2009年10月2日)

 何らかの対象が外部世界に存在し、その対象の知識と対応する知識が客観的なものとされる。 この近代の経験主義やデカルト主義の構図をそのまま額面通りに受け取るのであれば、 法哲学や法実践で頻繁に取り扱われる価値の問題や論争は、その知識の枠組の外側に置かれるように見える。 またこの枠組は、社会科学に強い影響を与えている「事実/価値二分法」や、 価値判断が心的事象あるいは間主観的であるという見解にも繋がっている。 そのような法哲学で頻繁に扱われる経験的事実と直接対応しないと考えられている知識をどう扱うか、 もしくはそのような法学一般・法哲学における経験的事実の捉え方の前提となっている 存在論・認識論的な枠組を再検討するということがこの報告の中心となる問題意識である。 その問題の解決を図るために、J.マクダウェル(もしくは最近のH.パトナム)と中山康雄の哲学的立場を援用し、 若干修正した「全体論的規範主義」と呼ばれる立場を擁護し、 この立場を採用することで、法的推論および法的推論に含まれるとされる。 実判断と価値判断の双方が、対象世界と言語共同体に相互に依存することが論じられる。

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伊藤克彦(ジュニアフェロー)「道徳的個別主義とその法哲学的含意」(2010年7月2日)

 今年3月に提出した学位論文では、 法的推論に含まれるとされる価値判断に事実認識と共通のメカニズムがあることを指摘し、 その価値判断の構造を明らかにするための自らの哲学的立場として、 J・マクダウェルと中山康雄のアイデアに依拠した「全体論規範主義/最小限の経験主義」と呼ぶ立場を提唱した。 この論文における結論の一つとして、「状況把握(理論知=事実認識)と実践知(行為選択)には密接なつながりがあり、 価値判断や法的推論をある種の”行為”と捉えて、行為が行われる際の実践的推論(行為の理由)に着目することで、 その妥当性を論じることができる」という主張を展開したのだが、 論文においてはその価値判断や法的推論の妥当性の問題を(構想の一環として示したが)、具体的な形で論じることができず、 学位論文で素描した自らの見解をより実践的な法的推論の問題へと展開することを今後の研究の課題として考えている。
 現段階で私が考えている法的推論(法学方法論)の方向性は、 マクダウェルの影響を強く受けているJ.ダンシーなどの論者が提唱している 「道徳的個別主義」(moral particularsm)と呼ばれる立場に近親性を持っていると考えている。 ダンシーの道徳的個別主義の主張は 「全ての事例に単独の命題で表現されるような原理や理由を当てはめること(=「一般主義」)を否定し、 実践的推論の根拠となりうる多数の適用事例を主体が習得し、 獲得した知識の全体から個別事例を判断するべきだ」と主張する倫理学的立場であり、 その主張の背景としてはウィトゲンシュタインの規則遵守の議論や D.ウィギンズによるアリストテレスの実践的推論の再解釈などの影響が考えられ、 その立場に依拠することによって「法的個別主義」と呼べる立場を 構成することが可能なのではないかと漠然とした構想を頭に描いているのだが、 今回の報告ではその構想を展開する予備段階として、 「道徳的個別主義」の主張の内容とその主張の背景を検討することにより、 そこから法哲学の領域に引き出すことができる意義や含意を考察したい。

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伊藤克彦(博士後期課程修了者)「本質的に論争的な概念をめぐって―コンセプトとコンセプションの区別の再考」(2015年1月23日)

 法哲学において、「正義」「自由」「平等」などの規範的概念は、 その概念を使用する者の見解の一致が難しいだけではなく、しばしばその使用を巡って争いが起きるときもあり、 その意味は不確定で論争的であると主張されることがある。 規範的概念のこのような性格を強調してJ.RawlsとR.Dworkinがコンセプトとコンセプションという区別を導入したことは、 法哲学や政治哲学の領域でほとんど常識となっており、(特に国内では)その区別を疑問視する声は少ない。 さて、コンセプト/コンセプションの区別の問題を論じるにあたって、 最近の英米圏の議論では、Rawlsよりも以前にG.B.Gallieが1956年に主張した 「本質的に論争的な概念」(essentially contested concept)と呼ばれる議論が合わせて参照されることが多い。 Gallieの議論は、確かにコンセプト/コンセプションの区別に共通するものがあるが、 その区別よりもGallieの議論はやや複雑なもので、異なる部分を持つ。 本報告では、コンセプト/コンセプションの区別の問題点を詳らかにするために、 Gallieの議論を最初に紹介し、その議論とコンセプト/コンセプションを区別する議論を比較する。 さらに「民主主義」や「法」の概念などの具体例を通して二つの議論の相違点を指摘した後、 その相違点が具体的にどのような影響を与えうるのかを考察する。

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伊藤克彦(博士後期課程修了者)「権利基底的道徳と権利の根拠」(2015年11月13日)

 報告者は現在企画されている『権利の哲学入門(仮)』(2016年刊行予定)において 「現代倫理理論における権利論(仮)」というパートを担当することになっている。 現在その構想がまとまっているため、 「権利概念に焦点を当て、代表的な理論家の学説を歴史的に振り返ることを通して、現代社会における様々な権利問題を考えるためのヒントとなるような論集とする。」 という入門書のコンセプトにそれが合致しているか検討する機会にしたい。 はじめに取り上げたいのはJ.L.マッキーの「権利基底的道徳は存在できるか?」という論文である。 この論文で、マッキーは倫理学の二大潮流である義務論と功利主義とは違う種類の道徳的概念として権利概念を捉えた。 しかし、権利が義務論とも功利主義とも区別されるのであれば権利はそれ以外の根拠で正当化を求めなければならない必要性が生じてくる。 この報告の最後では簡単に最近の権利の根拠の問題について概観することを試みる。

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岩井淳(大学院修士課程)「法人(団体)の政治的活動の憲法上の保障について―日米の判例を題材として」(2008年7月4日)

 憲法における団体論を、法人(団体)の政治的活動を通じて考察する。 とりわけ、営利的法人の憲法上の地位と、その政治活動の特殊性について検討をくわえたい。

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岩井淳(大学院修士課程)「団体論の総論―団体論を検討する際のアプローチ」(2009年5月22日)

 憲法論において、団体論は「法人の人権」として説明されてきた。そ して、このうち「実在説的立場」が多数説となった。 即ち、法人は社会的実在であるがゆえ、 その実在たるにふさわしい権利が認められるべきであるとする説(伊藤正巳、芦部信喜説)が、圧倒的な支持を得た。 しかし、樋口陽一が、フランスでは、法人の人権は否定されているという仏モデルを提示し様相は一変する。 当然とされていた法人の人権論に対して懐疑的な論者が増え、現在、この団体について定説をみない。 こうした状況を踏まえ、今回は、団体をどのように検討すべきか、そのアプローチの仕方について考える。

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岩井淳(大学院博士後期課程)「戦前の憲法学説の再検討:筧克彦の国家論-石川健治の論文を題材として」(2010年4月23日)

 冷戦構造崩壊後、リベラル(穏健的な自由主義、社会福祉国家を企図する)な立場と マルクス主義に親和的なラディカルな民主主義の対立が終焉した感がある。 しかし、リベラルな立場は好敵手を失い、自らの拠って立つ根拠がかえって脆弱となった。 と同時に市場原理主義、宗教原理主義といった、これまでとは質の異なる敵が出現した。 リベラルな立場は、これまで(少なくも冷戦構造下では)憲法解釈の主流をなしてきたと思われるが、 この立場が揺らぎはじめている。
 このような状況の中、憲法学者は哲学に回帰する傾向があるように思われる。 そして、葬り去られた法理論を照射するものも現れた。そのひとりに石川健治がいる。 石川は尾高朝雄を新たな視点から再評価したが、続いて憲法学者「筧克彦」の国家論を精緻に分析した。
 筧の奇矯な学風は反知性の代表格として嘲笑の的とされてきた。 彼は、ひたすら内面と向かいつづけ、ついに教壇で「拍手」を打つようになる。 彼の著作に接したものは得体の知れぬものを感じたであろう。 そして、曼陀羅のような図版、「御主人様」「輔翼表現人」といった表現に本を閉じたものも多いのではないか。 ただ、こうした姿勢は、石川が指摘するように、筧の「克服」ではなく「放置」であろう。 翻り考えると、彼の国家論は(陳腐であるとの誹りを免れないとしても)日本の近代の巨大な鉱脈に接している可能性がある。 そして、それは「内なる天皇制」を対自化する契機となるやもしれない。 ここに筧研究の強い動機が生じよう。
 筧はドイツに留学し、ギールケとその友人ディルタイに師事した。 そして、筧はイエリネックの国家法人説(天皇機関説)をギールケの理論によって解釈することを企図する。 無論、ギールケの理解は筧独自のものである。 筧は汎神論、フィヒテの自我論を駆使して、ギールケの「仲間団体」に筧流の解釈を施した。 この研究過程で筧はその碩学ぶりを発揮する。 しかし、筧はやがて独善に陥り、その理論は権力につまみ食いされることになる。
 今回の報告では、石川健治「権力とグラフィックス」『憲法の理論を求めて』(日本評論社、2009年)を題材として 筧の国家論を紹介し、この論の問題点を考察したいと考えている。

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岩井淳(大学院博士後期課程)「法人の政治活動に対する態度-アメリカ連邦最高裁の場合」(2011年7月1日)

 アメリカ連邦最高裁においてCitizens United v. Federal Election Commissionの判決が下った(2010年1月)。 これは法人の選挙活動(表現活動の自由)に関わる判決であるが、 オバマ大統領が判決当日に厳しく判決を批判したことでも注目を集めている。
 法人であるCitizens United は” Hilary: The Movie”という映画を制作し、その放送を準備していた。 しかし、2002年趨党派選挙改正法(BCRA)は、 選挙前の一定期間に「選挙活助のための通信」として定義される、いかなる形態のメデイアを通じて、 企業や組合が候補者に対し、候補者の当選・敗北を明示的にに唱導する独立支出を用いることを禁止していた。 選挙管理委員会(FEC)に対しこの立法が当該映画に適用されることが、 表現の自由の侵害にあたり違憲であると主張した。
 連邦最高裁は、5対4で本件立法が表現の自由を保障する修正一条に違反し、 無効であることを宣言するとともに、Austin判決とMcConnell判決の一部を覆した。 本件の争点は幾つかあるが、最も重要なのは「個人の表現と企業の表現の区分論」である。
 以上のCitizens United判決をふまえ、 アメリカ連邦最高裁の法人の政治活動(表現活動)の態度について考察する。
 アメリカには法人の政治活動に関しては判例上ふたつの潮流があると思われる。本判決を検討するに際して、 この考察が不可欠であると考えられる。 そこで、今回はこの点を中心に報告してゆきたいと考えている。 また、その前提としてアメリカの選挙活動の実態を検討し、 全体として専門にかたよらない報告を行いたいと考えている。

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岩井淳(大学院博士後期課程)「戦時下の法学-宮沢法学の変遷」(2012年4月20日)

 現在、法学研究者有志によって戦時下の法学の考察がおこなわれており、小生もこれに参加している。 ここでは日独の戦時下における法学が研究対象とされている。 戦時体制の下で法学は変容してゆくが、これが何を意味しているのか。 異常な緊急事態に対応したものか、それとも新しい国家に移行する過渡期のそれか。 様々な議論がなされているが、「高度国防国家」論「総力戦体制」論という枠組みで、 これを再構成しようとする試みもなされている。 こうした理論は戦時体制を戦後の体制と切断し考えるのではなく、 これらを連続線として捉えようとするものであり興味深い見解である。 当研究会ではこの見解の是非及びその有用性とその限界も議論されている。
 この研究会において、わが国の戦時下の憲法論も問題とされており、戦前の宮沢憲法学が取り上げられた。 その成果を踏まえ、今回は宮沢法学の変遷に関わる報告を行う。 戦時下に展開された宮沢憲法学は戦後と比較すると、かなり変質しており、 通常これを連続したもの捉える立場はないように思われる。 宮沢は憲法の改正について八月革命説をもって説明したが、それは同時に「自己革命」をも意味するのか。 宮沢にとって戦時下において展開された憲法論は何であったのか。そうした問題についてあらためて考えてゆきたい。
戦前の宮沢憲法学は前期(1930年~1938、1939年) 後期(1939年以降戦時下)に分けることができるように思われる。 宮沢は少なくも前期において独裁政を批判的に捉えるなど、国家全体主義に否定的であった。 しかし、後期になると時代趨勢的に「国防体制」論を支持するに至る。 これを宮沢の緊急事態に際しての転向、あるいは軍部の圧力に屈したと考えることもできよう。 しかし、今回の報告の真意は宮沢の態度を探求することではない。 総力戦体制がひかれる中で、宮沢の憲法学がどのように変質したかをできるだけ客観的に考察することにある。 そこで、今回は後述する論文を取り上げ、宮沢憲法学の分岐点を考慮しつつ、彼の思想的な転換を考えることにする。
 宮沢は1930年代半ば一連の論文(「議会政治と独裁政治」「独裁政の民主的紛争「独裁政治形態の本質」)で 独・伊政治体制を念頭に独裁政の批判をくりひろげる。 宮沢は民主政を「治者と被治者との自同を原理とする政治形態」と規定して、 「民主政では言論の自由等が生命線であり、リベラルでない民主政は民主政ではない」とする。 そして、シュミット流の民主政を「喝采される指揮者がなぜ国民意思をよりよく代表するのか。 それはただ信ずる者のみが理解しうることである」と否定的にみる。 すなわち、それは政治的に大向うに受けるため、民主的扮装が必要なのであり、 自律的人間がある限り、「大向う」は民主的扮装を見破るべきである。 「それをしないで狐の化けた美女に恋する者は、やがて馬糞を与えられて幻滅を感ずるにちがいない」としている。
 以上のような宮沢の論調は1940年代に入ると変化する。 「最高度の戦闘力を生み出すためになにより軍それ自体がその目的のための完全な態勢を整へてゐることが必要である。 ・・・、ここではひろく一般の行政が徹底的に軍事目的に奉仕せしめられることが強く要請される。 すなはち単に一般の行政が軍事目的に反する方向において為されることがないといふにとどまらず、 さらに積極的にすべての行政がひとへに軍事目的の方向においてなされることが要請せられる」。(『法律時報15巻3号』) 「東洋における英米のかやうな支配的地位が結局において今日の戦争の根本の原因となってゐることいふまでもない。 束洋の国家の代表選手としての日本がその歴史的・宿命的な発展を遂行することは 必然的にアングロ・サクソン国家の東洋に対する支配といふものを排除することを意味する。 ここにおいて彼らはあらゆる方法をもつてわが国の進路を妨害するの策に出た。 さうしてわが国をしてつひに干文に訴へるのやむなきに至らしめたのである。」(宮沢俊義『東と西』) このような変調をどのように考えるか。宮沢の論文に即して考察する。 そして、こうした宮沢態度の変化が、「総力戦体制論」を前提とすると、 どのように評価されるのか、その糸口が見いださせればと考えている。

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岩井淳(大学院博士後期課程)「天皇制国家の弁証-筧克彦、上杉慎吉の国家論」(2013年5月10日)

 今回の報告は筧克彦、上杉慎吉の国家論を取り上げる。 この二人とも現代の憲法学で問題にされることは、ほとんどない忘れ去れた憲法学者である。 彼らが語られるとすれば、エキセントリックで極右の思想家としてであろう。 しかし「筧憲法学のような国体憲法学は、ばかばかしいデマゴーグとして笑殺されるべきものではない」 という指摘(針生誠吉『国民主権と天皇』)があるように、 彼らを簡単に葬り去ってよいかは疑問である。 というのは針生が述べるように 「戦後社会科学におけるその主体的、内在的な欠落の克服は今日も無意識に天皇制の精神構造の残存、再生を許している」 とも考えられるからである。 同様な趣旨から戦前の憲法学者の理論の研究も始まっている。 その嚆矢となったのは筧克彦の法理を精緻に分析した「権力とグラフィックス」である(石川健治)。 その中で石川は筧が単に放置されたと指摘し、我々はそれを乗り越える必要があると述べている。 確かに、こうした天皇制理論を看取せずして、 我々の『内なる天皇制』(奥平康弘)という問いかけを続けることは困難であろう。 このような含意をもって、今回は筧克彦と上杉慎吉の国家理論の考察を行う。
 まず上杉慎吉と美濃部達吉の天皇制論争についてとりあげる。 なぜなら、この論争を統合しようと筧の国家論が論ぜられ、 この論争は上杉、筧、そして美濃部の理論の輪郭をはっきりとさせるのに最適だからである。 これを起点として、その後、彼らの国家理論の骨子と哲学的基礎を探りつつ、 理論構築の動機・戦略、そうして、それらの問題点について考えてゆきたい。

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岩井淳(大学院博士後期課程)「宮澤憲法学の変容-戦時体制の弁証」(2014年10月10日)

 戦前、若き法学者宮澤俊義は「法の科学」を掲げ、憲法学界にデビューした。 彼は法学を「解釈学」と「科学」に峻別し、 科学の立場はイデオロギーを排し、客観的な認識を本旨とするものであると主張した。 このような観点から、師である美濃部の国家法人説をアミニズム的なものと批判し、 国家の背後に団体は存在しないとした。 これは宮澤の立場を明瞭に示すものである。 そして、同様に科学の視点から、 ナチス独裁が依拠していた民主主義を民主的扮装であると批判し、 自由主義的立場の擁護を試みる。 それはまた、宮澤の真骨頂の発揮でもあった。 なぜなら、彼の法学の底流には価値相対主義、個人主義があり、 それらは独裁政の対局に位置しているからである。
 しかし、国家総動員法が成立する頃、このような宮澤の態度は変調をきたす。 すなわち、「高度国防国家体制」を企図するため、 これまでの立場と異なる解釈論を展開する。 例えば(i)大政翼賛会の合憲性を基礎づけ (ii)内閣総理大臣の他国務大臣への指示権を肯定するなどがそれである。 これらはオールド・リベラルとして知られる佐々木惣一と論争にもなっている。
 同時に、宮澤は自己の基本的立場を再考し始める。 (i)近代政治社会の個人主義を「人のモナド」のシステムであると批判し、 人のつながりを重視すべきであると主張する。 (ii)そして、美濃部が排撃してやまなかった天皇の超法的性、 その憲法制定権力を認めるに至る。 これらは宮澤法学の基礎である個人主義や法の優位主義(国家に対する)を掘り崩すおそれがあった。
 今回の報告では宮澤のこうした変化を佐々木惣一との論争、 あるいは家制度の再考等を通じて検討し、 宮澤法学変容の意味について考察する。

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岩井淳(大学院博士後期課程)「団体の政治的言論-Citizens United判決と他の連邦最高裁の判決」(2015年7月3日)

 アメリカでは選挙の際、「ネガティブキャンペーン」が盛んに行われるようになっていた。 かかる状況を苦慮した議会は2002年BCRA(超党派選挙運動資金改革法)を制定した。 そうした中、非営利法人であるCitizens Unitedは当時民主党の大統領候補指名を争っていた ヒラリー・クリントンに対して批判的なドキュメンタリーを制作し放送しようとしていた。 これがBCRAの規定に反する疑いがあった。 すなわち、本作品は特定された連邦候補者に言及する(選挙運動通信)ものであり、 禁止期間中にその放映を企図したものであることから、同規定に抵触するかが問題となった。 そして争いは連邦最高裁に持ち込まれた。
 連邦最高裁では、団体(企業、組合、その他の法人)の選挙活動の制限するにあたって、 以下のように政府利益があるかが争点となった。 a)民主政の腐敗防止(anticorruption)、その外観防止の利益があるか。 b)民主政の歪曲防止(antidistortion)の利益があるか。 c)団体の当該政治活動に反対する構成員の利益の擁護。 ケネディ法廷意見は上記政府利益を否定して、BCRAの規定の一部を文面上違憲とした (Citizens United判決)。 これは団体の選挙活動の制限を取り除くもので、以降、ネガティブキャンペーンにさらなる拍車をかけた。
 今回の報告はこの判決とその他の連邦最高裁の団体の政治活動に関する判例をとりあげる。 そして、団体の政治的言論の制約(自然人と同様にこれらの活動にも憲法上の保障を与えるべきか)を中心に検討する。

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岩垣真人(大学院博士後期課程)「フランス会計院の変容と公会計の改革」(2014年7月4日)

 世界的な財政合理化の潮流の中で、フランスにおいても、 2001年に新予算・決算法(Loi organique relative aux lois de finances, LOLF)が定められ、 およそ40年ぶりに、財政の枠組みが変更されることとなった。 LOLF制定と、その後、2008年に行われた憲法の大改正によって、以降の財政の枠組みにおいて、 会計院(Cour des Comptes)の果たすべき役割が拡大されることとなった。 特に、政策評価を中心とした議会への情報提供機能をベースにし、 議会が財政を効果的に統制していくことが計画され、 財政の民主的統制の大前提として、 会計院の働きが予定されることとなった。
 この背景には、先進諸国において、 公会計・公監査の領域が拡大・拡張されていている、ということがある。 従来、公会計の機能は、 単に入金と出金の額が一致するか否かをチェックするに留まっていたが、 現在では、そこに評価とそれに基づく次期の計画定立を加えた、 財政過程全体を睥睨するものとなっている。
 会計や、評価を中心とする、専門的知見に基づく統制、という手法は、 従来、フランスで敬遠され続けてきた。 それは、専門家による専制、が懼れられてきたためである。 ではなぜ、そのような背景の中、会計院は権限の拡張に成功したのか。 会計院の特殊性に着目し、その理由を解明する。 また、これからの在り方についても、 評価を中心とした会計システムの変化に着目し、考察を行う。

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上原利夫(大学院博士後期課程)「会社運営機関における現実と法―明治期の二つの潮流について」(2000年7月7日)

 この数年、わが国のコーポレート・ガバナンスのあり方が政界、財界、学界の検討課題になっているが、 その領域が広いせいもあって容易に収斂しない。 大半の議論はガバナンス形態の国際比較、監査役機能の強化、 株主代表訴訟における取締役の負担軽減化等に終始しているが、 眼を歴史に転じると、会社の運営機関は明治26年の旧商法制定後も制定前の姿が実質的に残り、二つの潮流が見られた。 戦後この二つは一つに合流したかに見えたが、順当に機能せず形骸化が生じた。 その結果1993年の監査役会制度の新設があり、 さらにソニー(株)から始まった執行役員制度の導入による取締役会の規模縮小が流行している。 この新しい二つの流れを明治初期の渋沢栄一とロエスラーの会社概念の再生と位置づける。 この辺りで、過去120年の学習効果を活かして早期に収斂させ、日本的な新しい機関を再構築すべきではないか。 本稿はそれを導くための研究報告である。

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宇野文重(日本学術振興会特別研究員)「明治民法起草者の「家」と戸主権理解―富井と梅の対立点から」(2005年6月24日)

 本報告は、①明治民法親族編の審議過程における「家」概念の多様性を示してその歴史的な意義を検討し、 ②梅謙次郎と富井政章の親族法に関する議論につき、富井を「家」擁護的な立場とする評価を見直し、 梅の「家」と戸主権理解の再検証を試みるものである。
 富井は、「戸主という個人の権利と地位を親族集団が強制的に剥奪する」廃戸主制度を提案したことで、 特に「家」擁護的であると評される。 しかし、富井が起案した親族法規定の全体的な構造は、 現実の家族共同生活の単位たる「世帯」と法律上の「家」が合致することを前提に(750条)、 <戸主-家族員>関係を<世帯主-同居家族>(749条ほか)として構成するものであり、 その上で廃戸主制度は戸主権濫用の防御策として企図された。 富井の「世帯」としての「家」理解は、明治前期の下級審および内務省の「家」把握と共通性を有し、 さらに民法施行後の司法・立法過程に継承された。 他方、梅は「家ノ主権」たる戸主権に対する干渉を拒否し、戸主権行使一般に対する司法権の介入を強く否定する。 戸主権の「身分権」としての絶対性は、所有権主体としての絶対性の主張とともに、梅の戸主権像の核であり、 民法上の「家」を「名義上ノ家」=戸と「事実上ノ生活」とに峻別した彼の「家」把握に基づいている。 梅は戸主権と戸とを、親権を軸とする家族法秩序を越える次元に位置づけているといえる。

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宇野文重(日本学術振興会特別研究員)「明治民法の二つの「家」―戸主権濫用判決の分析から」(2006年6月23日)

 本報告は、明治民法上の「家」制度の構造を、二つの観点から考察するものである。
 第一に、梅謙次郎の戸主権と「家」の理解について検証する。 梅によれば、明治民法上の「家」は、 戸主が支配する「名義上ノ家」と、親権・夫権が支配する「事実上ノ生活」との「二重構造」である。 よって、戸主権は「名義上ノ家」=戸籍に対する支配権であり、 現実生活とは切り離された観念的な権利として位置づけられる。 他方、親権・夫権は「事実上ノ生活」を直接的に支配し、戸主権よりも法的実効性のある権利義務関係として規定される。 しかし、梅は「居所指定権」についてのみ、親権者よりも戸主の権利が優越すると論じた。 つまり梅は、究極的には、戸主権をより上位にある身分権として位置づけ、 その権威性・絶対性を確保しようとしたとも考えられる。
 第二に、明治民法施行後の裁判所における「家」と戸主権の理解を、居所指定権と同意権を素材に検証する。 まず、戸主の居所指定権に対して、裁判所は民法施行直後から権利濫用を認め、その絶対性を否定した。 約40例の判決を検討した結果、権利行使の正当性を判断する基準とされた「一家整理ノ範囲」とは、 具体的には居住・生計・扶養の単位である「世帯」であるといえる。 裁判所は、民法上の「家」及び戸主権と現実の家族共同生活との乖離を「世帯」という概念を導入することで是正した。 他方、戸主の同意権についてほとんど濫用を認めず、戸主権の絶対性が肯定・維持された。 二つの戸主権に対する評価は対照的であるが、結果的にいずれも民法上の「家」と戸主権の観念化に結びついた。
 梅が二分した「家」と家長権のうち、「名義上ノ家」と戸主権は、民法の運用(解釈)を通じて一定の変質を遂げ、 昭和初期の民法改正過程にも影響を及ぼしたと考えられるが、この点については今後の課題としたい。

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宇野文重(国際共同研究センター非常勤共同研究員)「近代日本「雇用契約」に関する研究―研究の現状と課題」(2007年7月6日)

 近代日本の「契約」概念を研究する素材として、「雇用契約」を取り上げる。 近世史における「奉公」とその契約に関する研究の蓄積は厚い。 その理由の一つは、近世の「家」においては、奉公人も家長の血縁家族とともにその構成員であったことにある。 近代についても明治初期刑法上の「家長-雇人」関係についての研究等は存在するが、 債権法としての雇用契約研究となるとごく僅少である。 本報告では研究の現状と報告者の問題意識を示した上で、 「明治前期の裁判資料」および「民法典編纂過程における法学者の議論」を素材とする 今後の研究方法について論じたい。

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宇野文重(国際共同研究センター非常勤共同研究員)「明治前期裁判例における『母』の法的地位と「家」原理」(2008年6月20日)

 本報告は、明治前期下級審における「未成年後見人任免訴訟」の分析から、 明治民法施行以前における「親権」と「家」原理との対抗関係・相剋について検証する。 その理由ないし意義は、以下の二点である。
 第一に、明治前期には「親権」という概念は存在せず、一般に「後見」概念に包摂されていた。 すなわち、典型的な「未成年後見人」とは未成年者の母であり、 母の後見を不服として罷免請求を行うのは亡父の親族である。 つまり、後見人任免訴訟は実質的に母の親権をめぐる争いであり、 後見制度は、近代日本の「親権」史の出発点として位置づけられる点で重要である。
 第二に、明治前期の後見人は、未成年一般に付されるものではなく、 戸主たる未成年者に限って設定されるものであった点である。 すなわち、「家」を継承した幼年戸主に対する後見であり、「家産」管理や「家政」の代行など、 「家」のための後見という要素を本質的に備えている。 ここに、親権者としての後見人と「家」との対抗関係が生じる。 すなわち、後見人の権限行使を抑制するのは、「親族協議」や「親族会」として現れる親族団体であり、 親族会は「家」利益の代弁者として後見人に対峙するのである。
 さらに親族会は、明治民法では慣習とは切り離されて規定された結果、機能不全に陥り、 大正期の民法改正において「家事審判所」構想をもたらした。 明治前期における親族会機能の解明は、「家」=親族会による家族間紛争調停機能が、 国家へと転換していく近・現代家族法史の展開を検討するためにも、必要不可欠な論点であるといえる。

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ヨヴ・エレナ(大学院修士課程)「ワイン産業の法的枠組の比較―モルドバ、フランス、日本のワインの歴史的経緯をふまえて」(2017年1月6日)

 ワインとは、古代から存在する飲料であり、文化や人々の生活の中で重要な役割を果たしてきた。 同時に、複雑な歴史的背景の下に、ワインに法的な保護・規制を与えるという発想は古くからあった。
 現代でもワインに関する法的な枠組みとなっている国家レベルの「原産地呼称」の制度は、 ワイン造りの伝統を持つフランスで初めて生まれた。 その目的とは、生産者や消費者を保護するのみならず、 ワインそのものの品質や産地名を国内・国外で守ることである。
 このように、フランスで発祥した本制度はEU法におけるワインに関する規制のモデルとなった。 ワイン造りの古い歴史を持つモルドバ共和国にもこれをモデルとした「ワイン法」が存在する。 そして、ワインに未だ馴染みのない日本においてもわずかな先行研究が存在し、似たような規定が登場した。
 本発表では、以上の3カ国におけるワイン産業の歴史・文化や法的な現状を考察の上で、 報告者が考えた問題点を取り上げたい。

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ヨヴ・エレナ(大学院修士課程)「地理的表示の知的財産としての保護の発展―フランス、モルドバ、日本の比較検討」(2017年11月17日)

 本発表では、 フランス・モルドバ・日本各国における地理的表示制度を歴史的・文化的な背景も含めて紹介した上で、 現在の状況や将来の課題を検討する。
 本制度が誕生したフランスでの発展の経緯を検討し、 世界での広がり方やその理解を検討する。 原産地の名称やそのブランド・評判を知的財産として保護するという議論は フランスで1800年代から始まり、 法律や制度が徐々に導入される。 「工業所有権の保護に関するパリ条約」において初めて国際法レベルで原産地の偽造を防ぐという概念が現れた。 しかし、国内法を整備する際に、 原産地の名称は商標などと同じような保護を受け、 知的財産の一環として考えられるかどうかについては議論が長く続いた。
 現在では、国際的な保護は 主にTRIPS協定(知的所有権の貿易関連の側面に関する協定)とEU内での独自規制が存在する。 商品の国際的な流通が必要としている本制度を 如何に統一した制度に近づけるかは現在の課題となっている。 フランスでは原産地の名称は知的財産法典の他に、 消費者法典や農事・海洋漁業法典において解説され幅広く守られている。 地理的制度についてフランスと異なる歴史や特産品、文化などの背景を持つ モルドバや日本での導入の難しさや現状を分析する。

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王維真(大学院修士課程)「中国戸籍制度改革の新しい段階—居住証制度の導入に対する検討」(2018年11月30日)

 本報告では、 2015年に中国全国において実施された居住証制度について検討する。 中国の戸籍制度は、農村戸籍と都市戸籍を区別しており、 「二元的」な戸籍制度だと言われている。 戸籍の変更と戸籍の変更に伴う移動に対しては、 厳しい制限がかけられている。 また、教育や社会保障などにおいて、 農村戸籍を有する人口が長い期間にわたって差別的な扱いを受けてきた。 ところで、2014年『国務院の戸籍制度改革のさらなる推進に関する意見』が公布され、 二元的な戸籍制度をなくそうとする改革が行われ始めた、 その最新段階として居住証制度が実施された。 本報告では、この居住証制度はどのようなものなのか、 居住証制度の導入によって戸籍による差別はどのように改善されるかといった問題について検討する。

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王維真(大学院修士課程)「中国における戸籍制度の歴史的変遷及び改革新段階の考察」(2019年11月29日)

 中国の「二元的な戸籍制度」は1958年の『中華人民共和国戸籍登記条例』によって形成された。 農村人口と都市人口が区別され、 まるで身分社会のような社会構造が作り上げられた。 それからこの二元的な戸籍制度は厳格な統制時期や移転の緩和時期などを経過して、 長い期間にわたって機能してきた。 本報告では、中国の戸籍制度の形成及びその後の戸籍改革を整理し、 計画経済・大躍進・改革開放といった歴史的背景に合わせて、 改革の過程と原因を考察する。 また、2014年から始まった戸籍改革の新段階において、 居住証制度の導入のほか、 2019年4月に「2019年の新型都市化建設の重点任務」が中国国家発展改革委員会によって発表された。 その重点任務のうちに戸籍制度の改革や都市農村格差の解消といった内容も含まれている。 本報告では、今回の「重点任務」によって戸籍による差別はどうなるか、 どのような問題点が残されているかを検討する。

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王熠(大学院修士課程)「日中におけるいわゆる「キャラクターの商品化権益」保護をめぐる議論について」(2020年12月13日)

 日中両国において、 コンテンツ産業とキャラクター・ビジネスの発展に伴い、 商品化事業がもたらす経済的利益には巨大な誘惑が生じるため、 真の権利者たちは常にいわゆる「タダ乗り行為」に直面している。 その中で、 とりわけ知名度のあるコンテンツ題名とキャラクター名等を 無断で商標登録出願を行う(冒認商標)問題が深刻化している。 このような現状において、 真の権利者の利益保護、 商品化による権益に対する救済、 冒認商標権者に対する規制の強化をどのように図るべきかが問題となり、 キャラクター諸要素の顧客吸引力そのものに注目した いわゆる「商品化権益」をめぐる議論が展開されてきた。
 本報告は、 日中両国における「キャラクターの商品化権益」保護をめぐる議論の現状を概観し、 中国の司法実務上における「商品化権益」の取扱いについて、 若干の検討を試みるとする。

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王熠(大学院修士課程)「題名・キャラクター名と抵触する商標への規制のあり方―日中の裁判例を素材に」(2021年11月26日)

 本報告は、 日中における題名・キャラクター名の抜け駆け登録(冒認出願)商標への規制について考察する修士論文の中間報告である。
 先願主義・登録主義の商標法制度により、 真の権利者にとって、 無断出願・登録された商標は将来の商品化事業の展開への影響が大きい。 すなわち、冒認商標権者から権利行使されることのみならず、 題名・キャラクター名の公式訳の変更を余儀なくされることも起こりやすい。 このような現状のなか、 題名・キャラクター名へのタダ乗り行為対策の強化に関する需要が高まっている。
 実際には、 日中の司法実務において、 真の権利者の利益保護が重視されており、 商標の権利付与・権利確認にかかる阻却事由の適用範囲を緩める傾向がある。 しかしながら、この傾向について、 理論的には十分な説明がついていないため、 過剰保護を招きかねないとの指摘が見られる。 そのため、登録場面において、 阻却事由の適用について、 どのような変化がなされたかを明確化する必要があり、 さらに既存の商標法・不正競争防止法のメカニズムを配慮した規範の構築が求められる。
 そこで、本報告では、 日中両国の関連規定・裁判例等を整理・概観したうえで、 利益衡量の視点から規制時の考慮要素(判断規範)を検討することを試みたい。

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王熠(大学院博士後期課程)「日中キャラクター・ビジネス上の海賊商品についての法的諸課題―「パクリ」と「モノマネ」問題をめぐる論点の整理」(2022年5月27日)

 本報告では、 令和3(2021)年度に提出した修士論文の要旨を修正・加筆した内容に加えて、 今後の研究計画・方針について述べる。
 修士論文は、 日中における題名・キャラクター名の抜け駆け登録(冒認出願)商標の規制について考察したものである。 論文内容は、日中の議論状況を踏まえ、 個別の事例を詳細に検討したうえで、 実際の考慮要素ないしは判断基準を析出しようとしたものである。
 修士課程における研究をさらに発展させ、博士課程では、 日中のコンテンツ産業における海賊商品に関する対策の現状と今後のあるべき規制について検討することを目指している。
 そこで、本報告は、 日中のキャラクター・ビジネス上の海賊商品(故意による営業としての無許諾商品)の法的諸課題をめぐる議論の前提として、 とりわけ「パクリ」と「モノマネ」問題の現状について概観したうえで、 現行法的対応の仕組みを明らかにし、 それに関連する論点の初歩的な整理・考察を行い、 若干の検討を試みたい。

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太田寿明(大学院修士課程)「アダム=スミス『道徳感情論』の紹介」(2016年1月22日)

 アダム=スミス(1723-1790)は、 『国富論(諸国民の富)』における経済思想の側面がとりわけ有名であり、 そのためにしばしば「経済学の父」と呼ばれるほどである。 しかしその実、彼が経済学者のみならず道徳哲学(倫理学)者としての顔も持っていたこと、 更にその著『道徳感情(情操)論』において、 狭義の倫理学だけでない経済学、法学、政治学を包括した「人間の社会的行為の全体系を基礎づける社会哲学原理」(高島善哉) を彼が説いていたこともまた、知られるべき事実であろう。
 そこで、本報告ではこの事実を法(哲)学(史)的な関心から検討することを目的とし、 具体的には、『道徳感情論』を法学原理の部分に力点を置いて読解し、内容の紹介を試みる。 また『道徳感情論』は、共(同)感に基づいて倫理あるいは法原理の確立を構想する極めて独創的な研究である。 従って、それを理解することは、法と感情との関係など、 法学の基本的な諸問題に対し少なからぬ示唆をもたらすことが期待できる点において、 骨董趣味を超えた今日的な意義を持ち、 法哲学(史)に限らず基礎法学全体にとって有力な視座を提供するように思われる。

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太田寿明(大学院修士課程)「アダム・スミス『道徳感情論』の紹介(続)」(2016年10月7日)

 引き続きアダム・スミスの『道徳感情論』における法原理を法哲学(史)的な関心から検討する。 前回の報告では(1)『道徳感情論』における共感原理が如何なるものであり、 (2)それに基づいてスミスの正義論が如何に展開されたのかを検討した。 今回はこのことを踏まえて、 (1)その正義の捉え方がスミスにおける他の徳と比較して如何なる特質を持つのか、 (2)それが彼の法の捉え方に対して如何なる関係にあり、 結果として如何なる法理論的含意が生じているのかを具体的に検討する。 検討にあたっては、 (1)法と感情が如何なる関係にある(べき)かという法哲学的な問題関心を念頭に置くとともに、 (2)18世紀スコットランドという歴史的な文脈を踏まえることでスミスの思考の精確な把握を試みる。 哲学的観点と歴史的観点の両方を備えた理解を目指す。

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太田寿明(大学院博士後期課程)「アダム・スミスの刑罰論」(2017年6月9日)

 本報告は、刑罰と応報感情とが如何なる関係にあるかという法哲学の基本問題を探究するために、 アダム・スミス『道徳感情論』における刑罰論の検討を課題とする。 検討にあたっては、 (1)『道徳感情論』を内在的に分析し、 (2)その法理論史的な文脈を踏まえることによって、 スミスの刑罰論の総合的な理解を目指す。

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太田寿明(大学院博士後期課程)「アダム・スミス『法学講義』の紹介」(2018年5月25日)

 報告者は、 18世紀スコットランドの哲学者アダム・スミス(1723-1790)が 『道徳感情論』および『法学講義』で展開した法学原理の構造と意義の解明を目標とし、 2017年度法文化構造論報告では、 特にスミスの刑罰理論に着目した上で、 (1)その理論内容を内在的に分析し、 (2)法学的文脈における位置を比較検討することによって、 その特質を一定程度明らかにした。
 2018年度は、 2017年度の成果を更に発展させ、 スミスの法学原理の構造と意義とをより具体的に解明するために、 『法学講義』において主要な地位を占める法概念に特に着目して研究を進めてゆく。 従って、本報告では、 (1)『法学講義』のテキストの分析を通して、 スミスの法理論において主要な地位を占める概念を特定し、 (2)その概念に関するスミスの議論を内在的に分析することによって、 その理論構造の解明を試みる

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太田寿明(大学院博士後期課程)「アダム・スミス『法学講義』司法論研究」(2019年10月11日)

 本報告は、 博士論文「アダム・スミス『法学講義』司法論研究」(仮題)の中間報告として、 これまでの研究をひとつの形にまとめあげることを目的とする。 報告は次のように進められる。
 (1)現在までのスミスの司法論に関する通説的見解を整理し、 それが個々の論点においてもはや維持するのが困難である一方、 通説に代わる見解が今日なお提出されていないことを指摘する。 その上で、この問題の解決——新たな司法論像の構築——が 本報告(博士論文)の最終目標となることを論じ、 そのために用意される研究手法と議論の構成を説明する。
 (2)『道徳感情論』の倫理学の諸原理と『法学講義』における法的諸概念の理論構成を分析した上で、 両者を比較、統合することにより、司法論の理論構造を解明する。
 (3)(2)の知見をもとにスミスの司法論像に関する新たな仮説の提出を試みる。 さらに、この仮説の含意を提示した上で、今後の研究の展望を述べる。

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太田寿明(大学院博士後期課程)「アダム・スミス『法学講義』司法論研究」(2020年10月23日)

 法哲学の理論的歩みを前進させるためには、 古典古代以来法と最も密接な関わりを有してきた自由と法との関係が究明されねばならず、 その究明のためには、 今日までこの問題の解釈に多大な影響を与えてきた 「古典的自由主義 (classical liberalism)」と呼ばれる法思潮を理解せねばならない。 そこで本報告は、 令和2(2020)年度提出予定の博士論文「アダム・スミス『法学講義』司法論研究」(仮題)中間報告として、 「古典的自由主義」を定礎した代表的哲学者とされるアダム・スミスの自由論を、 その法学(司法論)との連関において探究することで、 「古典的自由主義」の法理論を検証し、 上記の問題に法理論史の観点から接近することを目指す。 報告は以下のように進められる。
(1)司法論の通説的解釈の問題点と博士論文の具体的課題を論じ、 研究手法と議論の構成を説明する。
(2)主に『道徳感情論』と『法学講義』に内在する法理論的構成を分析し、 両者を比較することで司法論の理論構造を解明する。
(3)司法論研究の新しい仮説を提示し、 その含意を論ずる。

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王天聡(大学院博士後期課程)「自殺関与行為の処罰とパターナリズム」(2023年12月15日)

 日本刑法では自殺関与罪を規定している。 刑法学ではパターナリズムを自殺関与罪の処罰根拠にする見解が多いが、 刑法におけるパターナリズムに関する検討が足りない。 パターナリスティックな介入が被介入者の自由を制限することと 介入者が自分自身の判断が被介入者の判断より優越することを考えると、 それを合理的に制限する必要がある。
 本報告では、欧米倫理学の議論を紹介し、 ミルがいう危害原理と両立しうるようなパターナリズムが自殺関与罪を正当化できるかを検討する。 報告の目的はパターナリズムによって日本刑法における自殺関与罪を正当化できない可能性を示し、 パターナリズムが自殺関与罪を正当化できるかという問題を提起することである。

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大中真(大学院博士後期課程、桜美林大学講師)「バルト諸国の国家承認問題をめぐる考察―国際関係史と国際法の接点を求めて」(2008年1月25日)

 本報告は、バルト諸国の独立と消滅、復活に焦点を当てることで、 国際関係における小国の意味を考察しようとするものである。 具体的にはバルト諸国の1918年のロシアからの独立、1940年のソ連邦による併合、 1991年の独立回復を国際関係史の視点から概観しつつ、国際法における国家承認問題をも考察することで、 国家の継続性と正統性とは何かを考えるよすがとしたい。

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大中真(大学院博士後期課程、桜美林大学准教授)「英国学派 'The English School'」における法制史の視座」(2009年1月30日)

 日本ではあまり知られていないが、国際関係論の理論の中に、「英国学派」と呼ばれる一派がある。 本報告では、そもそも「英国学派」とは何かを概観した上で、特に報告者が関心を抱いている側面、 同学派の中における法制史(国際法史と呼ぶ方が適切かもしれない)の要素を考察したいと考える。 先行研究が非常に少ない分野でもあり、今回の報告も試論の域を出ないが、 出席者の皆様のご意見・ご指摘を賜れば幸いである。

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大中真(大学院博士後期課程、桜美林大学准教授)「イギリス国際関係論の起源と展開」(2009年11月27日)

 報告者は昨年度の報告で、英国学派の概要を紹介した。 英国学派における法制史(国際法史)の視点を探ることが目的であったが、 その後、M. ワイトやH. ブルなど学派の大家に至る系譜を考察することが、 イギリス独自の、法の要素を強調した国際関係論形成の鍵を握るのではないかと考えるようになった。 以上の視点から、今回の報告では、イギリスでどのように国際関係論が生まれ展開したのかを明らかにしてみたい。 本報告は直接の博士論文中間報告ではないが、それにつながる一部分となる計画である。

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大中真(大学院博士後期課程、桜美林大学准教授)「マーティン・ワイトの思想にみる国際法史の伝統」(2010年10月29日)

 報告者はこれまで過去の法文化構造論総合問題において、 国際関係の英国学派を歴史的経緯から検討を加え発表してきた。 今回は、その研究成果の上にたち、 英国学派を代表する研究者であるマーティン・ワイト(Martin Wight, 1913-1972)に焦点を当て、 彼の思想の中に国際法史の伝統がどのように見受けられるかを探りたい。 報告では、今夏に報告者がロンドン大学図書館で調査した未公刊一次資料、通称「ワイト文書」をも取り上げ、 その内容を紹介するとともに、ワイトの思想の背景を考察してみたい。

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大中真(大学院博士後期課程、桜美林大学准教授)「マーティン・ワイトの国際理論」(2012年10月26日)

 報告者は大学院本研究科入学以来、国際関係論における法の要素(具体的には国際法の歴史)に注意を向け、 再検討する研究を続けてきた。 日本ではこの分野の研究が非常に遅れている、というのが報告者の認識である。 その結果、国際関係理論の中の1つの潮流である、英国学派(the English Schol)に焦点を当てることとし (なぜなら、英国学派は国際法の要素を重視する傾向があるからである)、 国際法史の伝統がどのように育まれてきたのかを考察してきた。 そして2010年、2011年にはその成果を『一橋法学』に掲載させていただいた (2012年11月には三部作の最後が同じく『一橋法学』第11巻、第3号に掲載予定である)。 こうした経緯を踏まえ、本報告では、英国学派の泰斗であるマーティン・ワイトに注目し、 彼が唱えた独特の思想「国際理論」の中で、国際法史がどのように理解されていたのかを解明したい。 彼の理論は、国際関係論の中でも独特の地位を占めるが、 死後40年が経った近年、世界的規模で注目が集まり、かつ評価が高まっている。 しかるに日本では、本格的なワイト研究は極めて少なく、 また国際法史の視点からワイト、さらには英国学派を取り扱った研究も、 世界的規模で見てもおそらくほとんど存在しない状況である。 その意味では、本報告が些かなりとも学問発展に貢献することが、報告者の真摯な希望である。 なお、本報告は博士論文中間報告でもある。

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大中真(大学院博士後期課程、桜美林大学准教授)「マーティン・ワイトの国際理論—英国学派における国際法史の伝統」(2013年5月24日)

 本報告は、今月初旬に提出した博士学位論文の内容を確認し、今後の課題を考察するものである。 報告者はこれまで、国際法史を学びつつ、それが国際関係論にどのような新たな視点を提供できるか、考えてきた。 国際関係論の中でも、英国学派と呼ばれる学問的流れが国際法(史)を重視していることに興味を覚え、 同学派において国際法史の伝統といえるものが存在するのか、 もしするとすれば如何なるものかを、第一次世界大戦直後にまで遡り探求してきた。 そして、学位論文の研究対象として、 イギリスの国際関係論研究者であるマーティン・ワイト(Martin Wight, 1913-1972)に注目し、 彼の代表作『国際理論』の中で国際法史がどのような重要な位置を占め、 また彼の思想に影響を与えたかを研究してきた。 今回は、博士学位論文第二部第二章以降を中心に、 ワイトが国際法学およびその学説史をどう理解していたかを報告したい。 すでに提出した学位論文内容について、 不備や説明不足が多々あることを報告者も認識しており、こうした点についても補足解説を試みたい。

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奥村文(大学院修士課程)「ヨーロッパ法の統一に向けて―カネヘムの議論から」(2002年10月4日)

 現在、ヨーロッパの各方面にわたる統合に伴いヨーロッパ法統一の必要性が増しているが、 その実現には多くの障害が残っている。 この問題について、R. C. van Caenegem, European Law in the Past and the Future, Ch.2,3 'Towards a new 'ius commune'?'を元に、 現在行われている議論と今後の展望について検討した。 カネヘムはコモン・ローと大陸法が収束できるかと言う点を重視しながら、その議論を楽観派と悲観派に分類し、 さらに楽観派を、中世の共通法の伝統に基づく新しいユス・コムーネと、 判例や部分的規定から統一を目指す実務的アプローチの二つに分けている。 実際には、コモン・ローと大陸法との違い以外にも、国家法との関連においてどこまで法を統合するのか、 統合した場合は統一民法典を創るのかといった問題もあり、互いに複雑に絡み合っている。 これらの問題の解決は容易ではなくヨーロッパ法の統一は今後も難航しそうだが、統一へと向かう可能性は十分にあり、 その際に新しい世代に対する法教育のヨーロッパ化や法制史的・比較法的な研究が役立つのではないだろうか。

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奥村文(大学院修士課程)「ローマ契約法における信義誠実の歴史」(2003年12月5日)

 契約における信義誠実の原則は、現在の法制度の多くで認められ、 ヨーロッパ統一契約法を作る際にも重要な要素となっており、それが我が国の消費者法などにも影響を与えている。 国際的な契約法を作る際にこの原則の果たす役割は大きいが、 曖昧な部分も多く、歴史的考察を加えることはその理解の一助になるのではないかと思われる。 今回はその最も基礎となるローマ法における契約の信義誠実(bona fides)の歴史について、 Zimmermann and Whittaker, Good Faith in European Contract Lawを基に検討した。 成立時期や他の類似もしくは反対の概念との関係、 キリスト教の影響など、まだはっきりしない部分も多いが、 今後は対象を絞って通史という形で概観できればと思っている。

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賈明釗(大学院修士課程)「キャラクターの二次創作の研究―類似性判断を中心に」(2023年12月1日)

 既存の著作物に登場するキャラクターが ペットボトル飲料やお菓子、立て看板、おまけ、そしてティッシュペーパーにまで描かれ、 社会の至る所で目にすることは稀ではない。 キャラクターの絵を保護するか否かという点に異議がないが、 最初から築き上げられていくキャラクターのイメージがそのキャラクターの財産的価値を構成している。 そのため、原著作者が二次創作者に対して様々理由で放置・黙認するケースが多いが、 トラブルが発生して最後に訴訟が発展してきた場合もある。
 本報告では、同人活動が盛り上がっている誇りを持つ日本において、 著作権法でキャラクターを如何に取り扱われているか、 二つのキャラクターが類似しているか否かについて裁判官が判決を下す際に、 既存の法規範に従うだけでなく、 価値判断中に考慮すべきポイントが何であるか、 日本と中国の現状と課題等を比較して考察したいと考えている。

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勝又崇(大学院修士課程)「フリッツ・ケルンにおける「良き古き法」学説の生成と変転」(2019年7月12日)

 本報告では、学士論文の成果の一部に若干の補足を加えて発表した上で、 修士論文に向けた研究方針について述べる。
 学士論文では、 中世の法を非制定的な不文法として捉える 歴史学者フリッツ・ケルンの「良き古き法」学説の来歴を検討した。 この説に関しては、 20世紀初頭に幅広く受け入れられた後に、 実証的研究により全面的な批判を受けたにもかかわらず、 依然としてこれに代わる通説が存在しない、 という混沌とした問題状況が続いている。 またそれに伴って、 この説の成立に至るまでの学説史に関してはいくつかの研究が存在するが、 ケルン自身における学説形成過程について充分な検討がなされてきたとは言い難い。
 そこで本報告では、 ケルンが「良き古き法」について論じたいくつかの論文の検討を通じて、 その中世的法観念理解の変遷を辿る。 またこれを、テンニエスなど同時代のより広い文脈に位置付けることを試みる。

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勝又崇(大学院修士課程)「ザクセンの異同文献と「固有法」意識の萌芽」(2020年11月6日)

 かつて実定法学においては、 ある法制度が「ゲルマン的」ないし「ローマ的」であるとの特徴づけが自明事として行われていた。 こうした思考が相対化されるのと軌を一にしてドイツの法史学で検討されたのが、 「固有法」意識の歴史的沿革である。 そこではとりわけ、 17世紀の博学者ヘルマン・コンリングがローマ法の効力を相対化する主張を行ったことが重視された。 しかし、まさにその相対化という消極性ゆえに、 コンリングをもって「固有法」意識を語る出発点とするのは、 立論として不充分であると思われる。
 そこで注目に値するのが、 16世紀にザクセンで著された異同文献である。 「異同文献」とは、異なる法体系同士を比較する文献類型で、 中世以来様々な法体系を対象にものされた。 そうした文献が、 ローマ法継受が限定的だったとされてきたザクセンに登場するのは興味深い。 本報告では、 ドイツ法史、特にザクセン法史の研究史を辿った上で、 「固有法」意識の形成史の中に当該異同文献を位置づけることを目指す。

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勝又崇(大学院修士課程)「複数の法の間の関係と差異文献―ザクセン法の場合、カノン法の場合」(2021年9月17日)

 中近世のヨーロッパでは、 「差異文献」と言われる一連の書が著された。 これは、異なる法体系の間の個々の法制度に関する相違を列挙する文献類型のことであり、 主にローマ法とカノン法、ローマ法と地域固有法を対象としていた。 前近代は、複数の法が互いに重なり合いつつ併存する多元的な法世界だった。 よって、差異文献は、複数の法同士の関係を整序する存在として、 そうした環境に影響を受けて形成され、 または影響を及ぼした可能性がある。 したがって、このような文献を関連資料と併せて検討することで、 ヨーロッパ法史における複数の法の間の関係やその変容過程の解明に貢献できると思われる。
 そこで本報告では、修士論文の成果を交えながら、 それぞれローマ法とザクセン法(地域固有法の1つ) またはローマ法とカノン法を対照した差異文献の検討を通じて、 その可能性の一端を示したい。

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勝又崇(大学院博士後期課程)「ローマ法とカノン法に関する中世後期の差異文献」(2023年11月10日)

 中世ヨーロッパにおいては、 カノン法とローマ法のそれぞれから、 専門家が法テクストの解釈を行う法学が徐々に形成された。 カノン法学とローマ法学は、 片や神学的資料、公会議決定および教皇令、 片やユスティニアヌス法典というように独自の法素材をもち、 独立した学問分野として発展しつつも、 互いに影響を及ぼし合い、補い合う関係にもあった。 こうした関係は、両者を一括するius utrumque(両法)という呼称にも現れている。 一方で、従来の研究はこうした併存関係を、 ローマ法からカノン法への、または反対の流入という視点から検討することが多く、 両者の関係を包括的に記述しようとする試みは多くなかった。
 本報告では、 カノン法学者とローマ法学者の双方によって執筆されている文献類型である、 複数の法の法制度の相違点を列挙する差異文献の分析を通じて、 新たな研究視角を与えられることを示したい。

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嘉多山宗(大学院博士後期課程)「「謝罪広告」について考える」(2011年12月16日)

 民法723条を根拠に認められてきた「謝罪広告」は、今日、様々な意味で「窮境」に陥っている。 「謝罪広告」は、思想・良心の自由、表現の自由を侵害するものとして捨て去られるべき制度なのか, それとも報道被害の適切な救済手段として生き残りうるのか。
この問題を考えるための基礎的考察として、 現在「謝罪広告」がどのような点で行き詰まりを見せているのかを分析するとともに、 これまで「謝罪広告」という法制度がどのようにして我が国で用いられてきたのか、検証を試みたい。

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嘉多山宗(大学院博士後期課程)「名誉回復請求の根拠はどこに求められるか」(2012年7月6日)

 名誉毀損の被害者は,民法723条に基づいて、 謝罪広告,取消広告をはじめとする名誉回復処分を命ずるよう、裁判所に求めることができる。
 その実定法上の根拠法規は明らかであるが、 裁判所が謝罪広告を命ずることと思想良心の自由、表現の自由との関係を考えるためには、 さらに立ち入って、名誉回復請求がなぜ認められるのか、その根拠はどこに求められるのかを検討する必要がある。 そして、そのためには、ここで回復しようとする「名誉」をどう捉えるかを考察しなければならない。
 報道被害の救済という報告者の実務的な関心を基軸として、 名誉保護に関する学説上の議論を参照しながら、検討を試みたい。

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嘉多山宗(大学院博士後期課程)「メディア環境の変化と名誉・プライバシーの保護」(2013年10月4日)

 19世紀以降の情報コミュニケーション手段の技術的発展を背景として、 「メディア」を「何らかのメッセージを送り手から受け手に伝達する手段」と捉える考え方が一般化した。 このような「メディア」の捉え方は、 わが国の名誉毀損・プライバシー侵害訴訟にも強い影響を及ぼしてきたと考えられる。
 しかし,インターネットを介したニュースの伝達や、 ツイッターによる情報発信などに代表されるメディア環境の変化の下、 従来のような「メディア」の捉え方は、ある種の事案において、 実態を的確に把握することの妨げとなっているのではないか。
 メディア環境の変化を反映したいくつかの事例を素材として、 「メディア」の捉え方が法的判断にどのような影響を及ぼしているかを検討したい。 また、そこでの検討を踏まえて、名誉・プライバシーの救済のあり方についても方向性を探りたい。

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川島翔(大学院博士後期課程)「中世学識法訴訟におけるlitis contestatio―訴訟成立要件としての当事者の意思」(2014年5月9日)

 本報告は、中世法学において訴訟で争うことについての当事者の意思がいかに考えられていたかを考察するものである。 現在わが国の民事訴訟においては、合意なくして相手方を弁論の場へ引きずり出すことができるが、 歴史的に遡ると古代ローマの時代から近代に至るまでは、原則として両当事者の合意が必要だと考えられていた。 その合意を示す行為として、litis contestatioという訴訟法上の手続が存在した。 litis contestatioは中世において「訴訟の本質的なものsubstantialia iudicii」とみなされ、 古代のローマ法と同じく手続上重要な地位を与えられていた。 しかしながら、同時に、当事者の意思についての考え方に重大な変化が見られる。 すなわち、当事者の意思にかかわらず一方的に訴訟を遂行しうる可能性が生じるのである。 この点について、教会法学者タンクレードゥス(Tancredus,1185-1234/36)の著作を糸口として、 13世紀の法学者の学説および教皇令を紐解き検討を行う。 加えて、ローマ法学と教会法学、法学と教皇立法の関係性についても論じたい。

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川島翔(大学院博士後期課程)「中世学識法における訴訟当事者の不出頭に対する措置」(2016年11月11日)

 西洋中世において、 訴訟法に関する規定を訴訟の流れに沿って体系的に整理・記述した 最初の専門文献である『訴訟法書』という一群の文献がある。 これらの文献は、 訴訟法学が中世において初めて法学の独立した一部門として 登場したことを示すものと考えられている。 しかしながら、『訴訟法書』についてはその重要性が夙に指摘されてきたのにもかかわらず、 その内容および意義はまだほとんど明らかになっていない。 本報告では、訴訟当事者の不出頭、 特にそれに対するサンクションに関する訴訟法理論を検討対象とし、 12世紀から13世紀半ばまでのローマ法学、カノン法学および『訴訟法書』の記述を比較することで、 『訴訟法書』の意義・特徴について考察を行う。

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川島翔(大学院博士後期課程)「中世学識法における命令不服従についての訴訟法理論―訴訟法書の訴訟法学への寄与」(2017年10月27日)

 初期のカノン法学がボローニャを中心としてだけではなく、 アルプス以北の諸都市においても発展しかつ高度な水準を有していたことは、 シュテファン・クットナーによって先鞭を付けられ、 以後の研究者により詳細に検討され、 現在ではすでに通説となっていると言ってよいだろう。 カノン法研究の泰斗ペーター・ランダウはさらに歩を進め、 2009年の論文で「訴訟法学は大幅にアングロ=ノルマン王国のカノン法学者の成果である」 という大胆なテーゼを提示した。 この研究は、訴訟法に関する規定を訴訟の流れに沿って体系的に整理・記述した 最初の専門文献である訴訟法書の成立に着目し、 プロソポグラフィの手法による考証に基づいて、 訴訟法書の大多数がアングロ=ノルマン王国におけるカノン法学者に由来することを証明した。
 しかしながら、訴訟法学への寄与を証明するためには、 同地域で成立した文献の量だけでなく、 対象史料に含まれる学説の具体的内容を考慮する必要があろう。 ゆえに、本報告では学説史の手法を用いる。 すなわち、訴訟法書に含まれる法理論を分析し、 それをローマ法学およびカノン法学の学説史に位置付けることにより、 ランダウのテーゼを検証する。 その際の検討素材として、 主として訴訟当事者の不出頭に関わる「命令不服従」についての訴訟法理論を用いる。 加えて、まだほとんど明らかになっていないとされる訴訟法書の性質・意義についても考察を行う。

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岸野幸枝(大学院修士課程)「カストロはなぜキューバ共産主義化を決意したか」(2012年12月14日)

 冷戦終結から20年以上が経ち、共産主義はもはや廃れつつある。 しかしながら脱植民地化の流れの中で、共産主義イデオロギーは、 米国をはじめとする自由主義諸国が時に脅威を感じるほどの強い魅力を備えた体制だった。
 本報告では、およそ半世紀にわたって共産主義独裁政権を存続させたキューバに着目し、 カストロがなぜ1961年にキューバ共産主義化を宣言したのかについて考えたい。 コロンブスの発見以来スペイン及び米国の干渉を受け続けたキューバは、 政治的にも経済的にも大国に依存し続けてきた。 そのつながりは時に経済成長を可能にするものだったが、 カストロは大国との関係性及びそれに規定された国内社会に強い不満を抱いていた。 カストロの生い立ち及びキューバの国内外情勢を通じて、 カストロが共産主義のどの様な点に魅かれ、共産主義を選択することで何を達しようとしたのか、 本報告では論じていきたい。

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北谷昌大(大学院修士課程)「ユスティン・ゴプラー『レヒテンシュピーゲル』をいかに評価するか―軍事に関する法の記述をもとに」(2020年12月13日)

 近時、ドイツ語で書かれた法学文献が、 16世紀ドイツ(神聖ローマ帝国)における 「ローマ法の継受」において果たした役割に注目が集まっている。 各地の裁判所で実務を担っていた、 ラテン語の法律用語を理解できず、 また大学で法学を学んだ経験のない者たちに、 これらの文献はローマ法の知識を伝え、 「継受」を促進したとされる。
 本報告では、 そのような文献の中で ユスティン・ゴプラー(Justin Gobler)の レヒテンシュピーゲル(Rechten Spiegel)を取り上げる。 レヒテンシュピーゲルは、 君主に仕える官吏等を対象としており、 その内容にレーエン法・帝国法・軍法などを含む点で、 裁判官や訴訟当事者を対象とした他のドイツ語法学文献とは一線を画する。
 報告者は、 卒業論文執筆以来軍法に関心を有していることから、 本報告ではレヒテンシュピーゲルにおいて、 軍法のいかなる内容がどのような形で受容され、 またそれがいかなる意味で官吏向けの法知識とされたかについて検討を加えるものである。

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北谷昌大(大学院修士課程)「16世紀半ばの法学識者の「軍法」論―ユスティン・ゴープラー『諸法鑑』を例に」(2021年10月29日)

 従来の法制史研究において「軍法」という法分野は、 事典及び概説的著作による概観は存在するものの、 個別的研究を欠き、 軍隊に対する規律やその運用実態を対象とした研究は歴史学によってなされてきた。
 このような状況下で、 近時ディートヘルム・クリッペルは法学の学問史的研究により、 「軍法」が18世紀のドイツ法学において1つの重要な法分野であったと指摘した。 本報告はクリッペルの研究から示唆を得て、 16世紀半ばのドイツの法学識者ユスティン・ゴープラーによってドイツ語で著された、 非法学識者向けの法文献である『諸法鑑』の「軍法」論を検討する。 同書は改版時に「軍法」に関し大幅な内容の付加を行っており、注目に値する。
 本報告では『諸法鑑』に先行する法文献の著者らの問題意識を解明した後、 ゴープラーの意図を明らかにした上でその「軍法」論を検討する。 そしてその内容を同時代の軍事理論家の「軍法」論と比較することで、 法学識者の「軍法」論の特質を明らかにする。

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北谷昌大(大学院博士後期課程)「近世ドイツにおける法学識者の「軍法」論研究序説」(2022年6月10日)

 報告者は、近世にドイツにおいて重要な法分野だったとされる「軍法」の形成過程の一端を探るべく、 修士論文においてユスティン・ゴープラーJustin Goblerの手になるドイツ語での法文献 『諸法鑑Rechtenspiegel』に着眼し、 そこにおける「軍法Kriegsrecht」の位置づけ・内容を明らかにした。 すなわち、ゴープラーにおいて「軍法」とは、 世俗秩序に正義をもたらす「諸法」の中で、 君主(皇帝)が行う刑罰権行使としての正戦の要件を規定する位置づけであるが、 その具体的内容は個別の兵士の規律及び軍組織、将官の任務に重点があり、 「軍隊の内部秩序を法的に規律することで正戦性が維持される」という構成となっている。 本報告ではこのようなゴープラーの「軍法」論を踏まえた上で、 近世を通じた「軍法」の学問化の過程及び法学における位置づけを解明するための端緒として、 研究状況及び史料状況について見通しを示す。

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北谷昌大(大学院博士後期課程)「18世紀ドイツ法学における軍法学の制度化―プロイセンの状況を中心に」(2023年7月7日)

 近時、近世ドイツ法学における軍法(Kriegsrecht / ius militare)の重要性が指摘され、 個別の問題領域についての実証的研究も蓄積されている。 しかし、これらの研究においては、 軍法(学)が、同時代の制度、 法学の在り方とどのように関係したかが十分に顧慮されているとは言えない。 このため、近世ドイツにおいて法学識者が軍法を論じた背景、 そしてそのような議論が同時代の文脈において有した意味が明らかとなっていない。
 本報告では、近世ドイツにおける軍隊、 大学といった制度と同時代の大学所属の法学者の活動の関係を検討する。 具体的には、 17世紀末から18世紀初頭にかけてのプロイセンにおける軍法務官制度の整備という 「制度化」が法学者による軍法学の「学問化」を促した過程、 その後18世紀後半に至り法学の自己変革を背景とした大学制度改革の中で 軍法学という枠組みが変容する状況を明らかにする。
 本研究は、戦争が継起する「平和なき」近世において 軍法が有した同時代的重要性を明らかにするとともに、 ひいては近代法学成立前の法学の特質を解明する一助となろう。

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北原康平(大学院修士課程)「「協商民主」をめぐる中国国内の議論状況―「協商民主」の実態をつかむ手がかりとして」(2020年1月10日)

 本報告の目的は、 中国における「協商民主」の実態を探るための足掛かりを得ることにある。 中国では、政策決定に際して、合法性の確保や、多元性の受容、 公民の政治参加促進といった内容を含む「協商民主」というスローガンが掲げられている。 このスローガンは、 習近平国家主席をはじめとした共産党幹部の公式発言・文書にもたびたび現れている。 しかし、「協商民主」が具体的にどのようなものなのかについて、 国内外を通じた統一的解釈は存在しない。 これを探る手がかりとして、 まずは中国国内における議論状況を概観する。

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北原康平(大学院修士課程)「中国基層社会における「社区建設」と「協商民主」」(2020年10月9日)

 修士論文では、 中国基層社会における「協商民主」の取り組みが、 「社区建設」においてどのように作用しているのかを明らかにする。
 「社区」とは、改革開放以降役割の薄れた「単位制度」の代わりに、 基層社会を管理する役割を期待される生活共同体である。 ここで、より効果的に地域社会をまとめる手段として、 中国共産党や中央政府が期待しているのが、 「協商民主」の取り組みである。
 「協商民主」の取り組みは中国各地で実践されており、 地域により多様なあり方を見せている。 特に都市部と農村部とを比較すると、 そのあり方には顕著な差がみられる。 これらを比較することで、 「協商民主」の実態をつかむだけでなく、 これが基層社会においてどのように位置づけられているのかを探る。
 本報告では、 「社区建設」と「協商民主」の取り組みを概観した上で、 都市と農村の実例を挙げながら、 それぞれの特徴を比較する。

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吉良貴之(日本学術振興会特別研究員)「幸福と時間―Whole Life Satisfaction説の時間分析」(2009年1月16日)

 幸福論における「生全体への満足(whole life satisfaction)」説 (以下、WLS説)につき、特にその時間的側面に着目して分析を行う。 WLS説は、幸福判断における時間的範囲を文字通りその人の生涯全体とするものであり、 現代の議論ではW.Tatarkiewiczが Analysis of Happiness(1962=1976)において明確に打ち出し、 その後、J.Kekes、J.Griffin、L.W.Sumner などの有力な論者によって 理論的深化が図られてきた(変奏として、有機的全体説、構造説など)。 本発表では、それらの議論を追いつつ、 存在論としてのWLS説が時間論上の四次元主義(four-dimensionalism)、意味論上の全体論(holism)、 価値論上の欲求充足説(desire satisfaction theory)などと親和的であることを示す。 発表者は必ずしもWLS説を積極的に支持するものではないが、 従来は幾分か荒唐無稽なものとして考えられがちであったWLS説が 実際は多様で興味深い哲学的問題を内在させるものであり、 また実践的にも相応の直観適合性をもつrobustな理論であることを確認したい。 なお、分配的正義論への含意や、現代の幸福論における位置づけなども余裕があれば簡単に触れる。

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吉良貴之(日本学術振興会特別研究員)「応報刑論/応報的正義論の現代的展開」(2009年7月17日)

 現代刑罰思想における応報刑論・応報的正義論について考察する。 応報刑論はもともと評判のよいものではないが、 昨今は目的刑論の行き過ぎ(実効性への疑問、人権軽視)への反省から 「応報刑論のルネッサンス」という事態が起こっており、 両者は折衷的に理解されるようになっている――カントやヘーゲルの応報刑論さえも。 本発表ではその議論状況(特に英米のもの)をふまえた上で、 「支配」や「自由」に関わる諸問題との関わりを考えていく。 工学的(architecturalをこう訳してみる)な支配が広まるにつれて、 予防目的の刑罰は一般・特別を問わずその必要性を著しく低める。 したがって理論的には「緩罰化」が要請されるのだが、 しかしそれと逆行するように世論における「厳罰化」要求は高まる一方である。 これが何を意味するのかを、神経倫理学の最近の成果などを通して分析してみる。 それにはもちろん統計情報の歪んだ伝達が大きな要因としてあるが、より原理的にいえることはないか。 とりあえずの仮説として、目的刑の実効性が弱まるにつれ、 その(過渡的な?)補完としての応報刑論/応報的正義論が不気味に復活することを指摘したい。 なお、「応報」という観念の時間分析(事前ex ante の応報はあるだろうか?)なども興味深い思考実験となるため、 適宜織り込むことによって議論の立体化を図る。

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吉良貴之(日本学術振興会特別研究員)「世代間正義と将来世代の権利論」(2010年6月4日)

 現在に生きる我々はこれから生まれてくる将来世代のために、良好な地球環境を保全したり、 枯渇資源を十分に残したり、核廃棄物を適切に管理したりするといった諸々の配慮を行う責務を負っているのだろうか。 この責務をいかに正当化するかという問題は、 世代間正義(intergenerational justice)論として昨今の規範理論において活発に論じられている。 それにあたっては様々なアプローチがあるが、 本発表では特に権利論によるものを取り上げ、その魅力と限界を見定めたい。
 権利論の主張は〈将来世代には良好な地球環境を享受する権利があり、 現在世代はそれに対応した義務を負う〉という単純明快なものであるが、 D.Parfit が指摘した非同一性問題(配慮そのものが当の将来世代の構成を変えてしまう)によって 壊滅的な打撃を被ったとされ、 有力な潮流とはなっていない。 現在世代の責務のみを論じれば足りるという指摘で簡単に片付けられがちである (筆者も一定程度、それに同意するのだが)。
 しかし最近では、共同体論あるいはリベラル・ナショナリズム論の影響を受けた論者によって 積極的な再構成が試みられており、 その意義を十分に見定めることも必要であると考える。 そのような権利論でも従来の問題を十分に扱いきれておらず、 また概念的な無駄を抱え込まざるをえないという点において理論上の弱点は克服されていないものの、 一方、普遍主義的アプローチにおいて軽視されがちであった配慮の動機問題について、 将来世代を配慮の単なる客体としてではなく権利主体として構成することによって 想像力の回路を示そうとしている点に一定の意義があると考えられる。 また、この作業はひるがえって現在に生きる我々の権利主体性、 とりわけその規約的(conventional)性格を照らし出すことになるだろう。 アルキメデスの点としての将来世代の権利論は、 むしろ現在に生きる我々の権利論を問い直すことに最大の意義があるということを本発表では示したい。

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吉良貴之(常磐大学嘱託研究員)「「科学裁判」の諸問題」(2011年7月15日)

 「不確実な科学的状況での法的意思決定」プロジェクトに関連して、「法と科学」に関する最近の問題を考察する。 科学技術の先端的問題が争点となる裁判においては法律家と科学者の協働が不可欠であるが、現状では様々な困難がある。 本発表では、特に以下の点に焦点を当てる。 (1)科学者の「証言」の法的取扱いにおいてクリティカルになる、当事者主義の構造的問題。 (2)「因果関係」についての法律家と科学者の理解の不一致とその原因。 (1) については、Sheila Jasanoff, Science at the Bar, 1995を嚆矢とする、 科学技術社会論(STS)における「法」理解を批判的検討の素材とする。 (2) については、Hart & Honore, Causation in the Law, 2nd., 1985から、 Moore, M.S., Causation and Responsibility, 2009に至る (法的)因果関係論の諸文献を参考にする。

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吉良貴之(常磐大学嘱託研究員)「死者と将来世代の存在論―「死の害」の考察から」(2012年5月25日)

 もはや/いまだ存在しない対象について、その存在論的身分を考察する。 特に素材とするのは、英米分析形而上学において盛んに論じられている「死の害」の議論である。 死は一般的に「悪い」ものであるのは確かだが、それは「誰にとって」「いつ」悪いといえるのか。 本人がもはや存在しないにもかかわらず、「悪い」という性質を帰属させるとはどういうことなのか。 こういった非存在対象への性質帰属の問題は、エピクロスやルクレティウスによるパラドクスの提出以来、 二千年を超えて根本的な哲学的問題であり続けているが、 近年の分析形而上学における時間論の精緻化によってまた新たな光が当てられつつある。
 本発表では死の害についてトマス・ネーゲル以降の「剥奪説」をめぐる議論の時間論的側面を中心的に検討しながら、 ひるがえって、いまだ生まれざる将来世代の存在論に接続することを目指す。 発表者は時間論において「現在主義」と呼ばれる立場の一種を支持するが、 過去/将来命題の真理製作者たる現在の「証拠」によって 死者/将来世代を適切な範囲のもとに「区切る」ことを可能にする枠組みを提出したい。

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吉良貴之(宇都宮共和大学シティライフ学部専任講師)「世代会計の規範的可能性」(2014年1月24日)

 本報告では、いわゆる「世代会計」を取り上げ、その規範的含意について考える。 世代会計とはローレンス・コトリコフらによって開発された手法であり、 国民を10年程度ごとの世代に分け、それぞれに属する人々が政府に税金の形で支払った負担と、 社会保障などの形で受け取った受益のバランスをグラフによって示したものである。 日本の場合、いくつかの計算があるが、おおむね2010年時点で50歳程度が「損益分岐点」になっている。 つまり、それ以上の世代は政府との関係で収支がプラスであり、それ以下はマイナスとなる。 特に20歳以下および将来世代になると数千万円単位のマイナスとなる。 このように可視化された世代間不均衡は、民主的政治プロセスにいかなる影響を与えうるか。 ポジティヴな可能性としては、高齢世代に将来試行的な責任感を育み、 若年世代に政治参加への意識を高めさせる契機となる。 ネガティヴな可能性としては、高齢世代にいわゆる「逃げ切り」インセンティブをもたらし、 若年世代に無力感をもたらすものとなる。 民主的政治プロセスの現在中心性を考えるならば後者の危険が高いといえるが、 前者の可能性につなげる道にはどのようなものがあるか。 近年、注目されつつあるリベラル・ポピュリズムなどの知見を参考にしながら検討する。

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吉良貴之(宇都宮共和大学シティライフ学部専任講師)「ドゥルシラ・コーネルの法理論」(2014年7月18日)

 ドゥルシラ・コーネル(Drucilla Cornell)の法理論を紹介・検討する。 吉良が監訳をつとめた新著『自由の道徳的イメージ』(御茶の水書房、2014年8月出版予定)、 同じく監訳『イーストウッドの男たち』(2011年)の内容を中心に、 これまでの『イマジナリーな領域』『限界の哲学』などの著作と関連づけながら、 「イマジナリーな領域」「限界」といった独特の概念を駆使して展開される コーネルの法理論の可能性を考察したい。 コーネルは現在、ラトガース大学の教授であり、 法哲学、政治哲学、フェミニズム思想について幅広い業績を残してきた。 彼女は「倫理的フェミニスト」という自己認識のもと、 ジャック・デリダの脱構築=正義論(およびそこから影響を受けた批判的法学研究、批判的人種理論)、 ジャック・ラカンの精神分析理論を 現代のリベラルな法・政治哲学に接合する試みを続けてきた。 デリダやラカンの議論はその難解さと不明瞭さゆえに現代の法哲学では敬遠される傾向にあるが、 リベラルな法哲学が(暗黙のうちに?)前提としている 「主体」像の形成過程を考える上で一定の有効性を持ちうるとするコーネルの議論は、 そうした一連の思想潮流と現代の法理論の生産的な関係を考えるにあたって 有益な視座をもたらすだろう。 なお、アパルトヘイト後の南アフリカ共和国での法/正義の再構築について論じた 2014年の最新著 Law and Revolution in South Africa も余裕があれば紹介する。

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吉良貴之(宇都宮共和大学シティライフ学部専任講師)「権限配分最適化構想としての立憲主義―A. Vermeuleの近著を素材に」(2015年10月2日)

 近年、憲法問題に関わる議論において 「立憲主義(constitutionalism)」という語が頻繁に用いられるようになっている。 立憲主義は広義には憲法に基づく政治体制のあり方を指すが、 近年の用法では、人権保障を核とする権力制限的契機が強調される傾向にある。 このように「権力の過剰」を前提とした上でその抑制を図る憲法秩序観は通説的なものといえようが、 一方、憲法思想史的には権力をむしろ希少な資源とみなし、 そのパフォーマンスを最大化すべく配分するあり方としての立憲主義構想も有力なものとしてある。
 本報告では現代アメリカにおいてその流れを受け継ぎ、 「新制度論者」として「最適化立憲主義」の構想を唱えるエイドリアン・ヴァーミュールの議論を紹介・検討する。 主な対象とするのは彼の主著 Judging under Uncertainty (2007)、 および最新著 Constitution of Risk(2014)である(なお、後者は吉良が翻訳作業を進めている)。 具体的な論点としては、 たとえば複雑性と複合性を加速度的に増しつつある科学技術のリスクが法的問題になる際、 司法はそれに適切に対処する能力を現に有しているかどうか。 ヴァーミュールはそれに消極的であり、 司法における憲法解釈として禁欲的なテキスト主義を主張しつつ、 立法・行政の各ブランチの能力に応じた権限配分の最適化を図ろうとする。 そしてそれが実証的に検証可能な経験的問題であるとするところに彼の独創性がある。 本報告では「法と科学技術」の問題関心のもと、彼の提唱する最適化立憲主義の妥当性を検討したい。

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金景淑(大学院修士課程)「P2Pにおけるフェアユースの法理―アメリカ著作権法を中心に」(2004年1月9日)

 情報のデジタル化の進展とインターネットの普及は、 著作物としての情報の流通と利用においても変化をもたらしている。 デジタル情報(著作物)は、複製が極めて容易で、しかもその品質にも劣位がなく、 インターネットを通じて一般人も容易に送信・流通させることが可能な特徴がある。 このようなデジタル情報の流通・利用と関連して、現在法的問題として顕在化しているのが、 いわゆるP2P方式による情報流通・利用の著作権侵害をめぐる問題である。 P2P(ピアーツーピアー)とは、 ユーザ間の情報の自由利用(共有)を可能にさせるインターネット上の情報流通の方法である。 そもそも著作権法は、「情報の保護と利用のバランス」の理念の上に成り立っており、権利者の権利保護だけでなく、 一定条件(私的複製等)下での権利の制限(情報の自由利用=フェアユース)が保障される建前に立っている。 現在、アメリカは、P2Pのようなデジタル著作物の大量複製・流通に対応するため、 著作物を保護するための技術的手段を法的に保護する 著作権法の改正作業を終え(「デジタルミレニアム著作権法(DMCA)」1998年)、 他の国々にもその影響力を広げようとしている。 この法律による場合、P2P方式は著作権侵害になる可能性が非常に高くなる。 本報告は、デジタル時代においてもフェアユースの法理はなおその存在価値があるという視点から、 各国の法制と判例の動向をも見極めつつ、フェアユース法理の現代的再構築を試みる。

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金景淑(大学院修士課程)「技術保護手段とフェアユース法理の変革―WIPO条約とその国内法化」(2004年11月26日)

 従来のアナログ著作物(コンテンツ)が、デジタル化され、さらにネットワークを通じて流通されるにつれ、 過去には予想しなかった新たな問題が生じている。 このような問題への対応の一つとして著作権者は、 そもそも著作物へのアクセスやコピ-をコントロールすることができる 手段(いわゆる「技術保護手段」)を求めるようになった。 以上のような技術保護手段は著作権法との関連で認めたのが 「WIPO著作権条約」および「WIPO実演・レコード条約」である。 しかし、WIPO条約を国内法化した国における技術保護手段の保護の範囲や程度は、少しずつ異なる。 保護の範囲や程度が国によって異なっていることにより、場合によっては、 ある特定のケースにおいて国別に異なる法的結果を招く可能性もある。 本報告では以上のような問題意識のもと、WIPO条約を国内法化したいくつかの法制を比較法的に考察する。 なお、それが既存のフェアユース法理にどのような影響を与えるかについて論じている。

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金景淑(大学院博士後期課程)「放送と通信の融合における放送事業者の権利―韓国の事例を中心として」(2005年11月11日)

 放送と通信の融合とは、 別の領域であった放送部分の区切りが通信部分が技術の発展と需要の多様化と共にだんだん消えていき、 その産業構造と制度まで融合していく現状をいう。  二つの現象により著作権法上の放送事業者の権利にも変化が生じている。 歴史的に著作権法は、新しい技術の登場とともに新たな種類の権利を法律に加えてきた。 本報告ではこのような変化について、主に韓国の事情と著作権法を中心に考察する。

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金景淑(大学院博士後期課程)「ネット時代における映像著作物の利用―日米韓の著作権法制の比較検討」(2006年10月20日)

 著作権法の目的である「権利の保護と公正な利用のバランス」(著作権法1条参照)は、 インターネット時代にはどのようにして維持されるべきか。 この問題について最近までは、 権利の保護を強調することによる権利と利用のバランスの維持(権利アプローチ)が支配的な流れとして強調されてきた。 しかしながら、著作物(情報)利用の可能性が爆発的に増大しているインターネット時代においては、 著作物(情報)の円滑な利用を促し、 著作権者の利益をも増進させることによる権利と利用の同時的な活性化(利用アプローチ)のほうが、 より望ましいアプローチではなかろうか。 本報告は、このような観点からの問題提起である。

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金景淑(大学院博士後期課程)「ネット時代における映像著作物の利用―日米韓の著作権法制の比較検討」(2007年10月5日)

 デジタル技術とインターネットの発達は、つい何年前には想像もできなかった、 新たなかつ多様なデジタル媒体を登場させており、 これによりいわゆる「動画」ないし「映像物」を容易に楽しめる時代になってきている。 例えば、現在は「動画」をアイポッド(iPod)のような方式 (ダウンロード方式)によりいつでもどこでも簡単に楽しめるし、 携帯電話等を利用した動画の受信も簡単にできるようになっている。 このような現象は当然、映像著作物を供給ないし配給する側からすると、 より多様な媒体(チャンネル)を通して多量のコンテンツを提供したいという欲求を増加させる要因につながっている。 また、ユーザー側からしても、このようにして提供される映像著作物をいかに容易にかつ安価で利用することができるか、 という点が関心事となる。
 しかし、このような要望ないし関心にはいくつか解決すべき問題がある。 まず、映像著作物の権利処理をいかに効率的に行うかという問題である。 第二に、インターネットによる映像著作物の流通を念頭に置く場合には、権利処理の前提として、 映像著作物を送信するための権利をどのように概念構成するかという問題である。 第三に、映像著作物のユーザーによる利用において、 いかに当該映像物に法的・技術的な制約なく容易にアクセスすることができるようにするかという問題である。 もちろん、この際は、デジタル技術の特徴たる容易な複製からの著作権侵害問題も考えなければならないであろう。
 以上のような問題について、それぞれの解決点を探る上での手がかりを試みる。

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格日楽(大学院修士課程)「中国の少数民族教育法制に関する研究」(2004年1月23日)

 今回の報告は、漢民族と55の少数民族を有する多民族国家中国の民族法制のなかの少数民族教育法制に焦点をあて、 その内容を整理しながら、 中国の教育水準の進展に伴う民族教育の変容のなかでどのような問題が生じているのかを明らかにし、 その解決策として模索すべき問題を提示した。
 本研究では、少数民族言語を教授言語として使用している教育を少数民族教育と定義し、 これを今後の少数民族教育法制の研究対象としている。 少数民族の教育の遅れが、少数民族の人材育成、少数民族の生活に対して与えている影響を考えた上で、 散居、雑居している少数民族の教育権、二言語教育、少数民族の学生を対象とする奨学金制度、 外国語教育、少数民族教育法においての単行条例、変通条例の活用、少数民族の学生が漢民族の学校に通う現象、 生活の貧しい地域の少数民族学生が義務教育の段階においても登校できず、 大学に入っても都市の大学に通えない等の問題に注目した。 そして、中国においていまだに少数民族教育に特化した法が存在しないことから、 少数民族教育法の立法等、少数民族の教育法制の重要性を主張した。
 以上の点を考察するに先立って、中国の法律制度が社会主義の特徴を有している点も視野に入れながら、 今後も少数民族法制の研究を進めていきたい。

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熊谷未来(大学院修士課程)「ドイツにおける軍人の基本権保障―政治的自由を中心に」(2014年10月17日)

 我が国では制服自衛官による政治的意見の表明について度々問題となってきた。 「制服」が社会に与えるインパクトを思えばその発言は決して軽視されるものではなかろう。 しかし、自衛官の政治的表現がどの程度許容されるかについて、 我が国では学説、判例ともに蓄積が少なく明瞭とはいえない状況にある。
 本報告では、軍人を「制服を着た市民」として、 その権利に配慮を払うドイツの理論を素材とし、考察を試みる。

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格日楽(大学院修士課程)「中国国民教育における少数民族教育法制の特徴と課題―内モンゴルにおける少数民族教育を素材に」(2004年10月15日)

 今回の報告は、去年の報告に引き続き、多民族国家中国の民族法制のなかの少数民族教育法制に焦点をあて、 その現状を紹介しながら、中国の民族教育と民族教育法制がどのような特徴を見せているのか、 そして、どのような課題が生じているのかをまとめることを試みた。 その結論として少数民族教育立法が必要ではないかという点に辿りついた。
 修士論文においては、具体的に研究を行ったのは以下の諸点である。 1.少数民族教育資金の欠乏及び法律による少数民族教育資金保障の必要性。 2.少数民族教育の特殊性と民族自治地区の発展事業の必要に応じ、 法律に基づいた教育自治権を設定する必要性。ならびに、 少数民族教育法制における教育の平等と教育の自由に対する検討の必要性。 3.現在の少数民族教育法制の問題点、すなわち一方で、 全国的な法律(『教育法』、『民族区域自治法』等)は原則的な規定に偏り、 他方で地方の法律(『広西省民族教育条例』、『フホホト民族教育条例』等)は 適用範囲が狭すぎるという欠点に鑑みて、 少数民族教育法制のシステムにおいて全国的な少数民族教育を対象にした法律を制定する必要性。
 今後の修士論文の執筆においては、 中国の民族教育と日本や諸外国との比較研究の内容をも充実させていきたい。

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格日楽(大学院博士後期課程)「中国における少数民族の教育自治権について―中国内モンゴル自治区におけるモンゴル族の学校教育を中心に」(2005年11月25日)

 今回の報告は、中国の少数民族に対する教育について、 憲法および民族区域自治法の規定する少数民族教育自治権の実施の観点から、検討することを目的とした。
 中国では、教育の格差がもっとも鮮明に表れているのが、 少数民族区域と非少数民族区域における教育の格差であると言われている。少数民族区域における教育の中でも、 とりわけ少数民族の自民族の言語を教授言語としている少数民族教育の立ち遅れが深刻な問題となっている。
 少数民族教育の強化、つまり、少数民族教育自治権の強化は、 中国の民族区域自治制度における民族区域自治権の強化でもある。 そして、少数民族教育の進展や少数民族教育自治権の強化はさらに、教育上の格差を埋める機能を果たすのみならず、 現在の少数民族教育の内容が少数民族の文化や歴史まして生活から遠くかけ離れた民族教育になりつつある 現状の見直しという点においても非常に大きな意味を持つ。
 少数民族教育は今後も、「統一した多民族国家」や「中華民族」というイデオロギーの下で、いかにして、 文化や歴史ひいては少数民族の存続の担い手としての真の民族教育として 生き残っていくのかという大きな課題を抱えていくのではなかろうか。

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格日楽(大学院博士後期課程)「中国における少数民族の教育自治権について―民族教育の使用言語と内容を中心に」(2006年5月26日)

 本報告は、中国民族教育の言語文字の使用状況及び民族教育の内容に焦点を当て、 現状分析した上、民族教育がこれらに対する重視度が不足していることを指摘した。 そして、これらの問題に対する解決策として民族教育自治権を提示した。 民族教育に対する自治権民族区域自治権の中でも、非常に重要な権利の一つである。 そして、本報告において、民族教育自治権の立法権の活用、実効性の強化と実行機関の確立が、 民族言語、教育内容の自治権を確実に機能させる切っ掛けになると指摘した。
 民族教育は少数民族の文化、伝統などの存続にかかわる。 しかし、民族言語と民族教育の内容を無視した実体のない民族教育は 少数民族の発展や歴史、文化、伝統、生活習慣の継承に役立つところか、返って阻害する可能性がある。 民族自治法制の領域においても民族言語と民族教育の内容の問題を深く検討し、 少数民族の実情に適合した民族教育の保護と推進することが民族教育の発展につながると考える。

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格日楽(大学院博士後期課程)「中国の地方自治制度の現状と課題―民族区域自治制度を中心に」(2007年10月19日)

 中国では中央と地方の関係において多元的な自治制度の形態が存在する。 行政区域が実行する地方制度の違いによって、普通地方制度、 民族区域自治地方制度(自治区・自治州(盟)・自治県(旗))及び 特別行政区制度(香港特別行政区とマカオと区別行政区)の三つの形態に分かれており、 自治制度の補充として村民自治が含まれる。 中国では、これらの自治制度の中に、ともに存在している共通の基盤についての研究が少なく、 また、日本でもあまり紹介されていない。 本報告は、中国の地方自治制度の民主主義の実現及び人権保障においての意義等、 中国の地方自治制度の現状と課題について検討する。

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格日楽(日本法国際研究教育センター非常勤研究員)「中国の地方自治制度に関する研究―地方制度の各形態に関する基礎的考察」(2008年5月16日)

 中国では中央と地方の関係において政区域が実行する地方制度の違いによって、 普通地方制度、民族区域自治地方制度及び特別行政区制度の三つの形態に分かれている。 1992年に始まった社会主義市場経済の導入により、従来の計画経済体制に依存していた様々な制度が見直されている。 地方制度においても、計画経済の時代では地方に対する権限・利益の分配は 計画経済の時代には重要視されていなかっただが、 現在では、地方への適切な分権は当該地方の住民の利益に緊密に関連し、 地方の発展にも影響を及ぼすということへの認識がますます深まっている。
 本報告は、上記の中国における地方自治制度の各形態に関する基層的考察を行うとともに、 2008年3月にチベットで発生した北京五輪の開催直前の大規模暴動と一連の抗議デモに関連する 中国の地方自治制度のなかの民族区域自治制度の問題点及びそのあり方についても検討を加えることにする。

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格日楽(ジュニアフェロー)「中国の地方制度における自治の必要性について―各地方形態の現状と課題の視点から」(2009年12月11日)

 中国は計画経済から社会主義市場経済への経済制度の転換を契機に、 近年急速な経済発展を遂げ、世界の注目を集めている。 しかし、その一方で、地域格差、民族紛争や地方主義などの問題が絶えず、 中央・地方関係、とりわけ地方制度が課題として浮上した。
 中国では、国家統一の堅持という原則が中央・地方関係の大前提であり、 地方自治の実現は、この大前提の上で成り立つものであると思われる。 しかし、この原則の中身を考察してみると、事実上地方自治の発展を妨げ、 地方の自治権を制限するものになっていると思われる。
 本論では、まずは、従来の地方制度のなかの自治にかかわる部分を取り上げて考察し、 それが現代の地方制度にどのような影響を与えたのかを検討する。 それから、現代中国における中央・地方関係および地方制度の実体を法律の観点から考察する。 最後には、このような中央・地方関係が地方制度にどのような課題をもたらしたかについて検討する。
 中国の地方制度を中央・地方関係の角度から考察し、とりわけ地方の各形態に共通する課題に焦点を当て、 地方制度における自治の必要性について議論を展開していきたい。

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格日楽(ジュニアフェロー)「中国の選挙制度における民族政策について―人民代表定数配分における少数民族への配慮を中心に」(2010年11月12日)

 中国では選挙権の平等をめぐり、選挙制度は、 従来、人民代表の定数配分について二つの大きな課題を抱えているとされる。 一つ目は、都市と農村の一人民代表当たりの基礎人口数の格差が『選挙法』(1979年)によって明文化されていること。 二つ目は、漢民族と各少数民族との一人民代表あたりの基礎人口数の格差 (少数民族への配慮の原則により、生ずる現象)である。 ところで、2010年10月に行われた『選挙法』に対する5度目の修正において、 ついに都市と農村で異なっていた一人民代表当たりの基礎人口数を同数とした。 しかし、この修正では、二つ目の漢民族と各少数民族の問題については、触れることがなかった。
 今回は、その二つ目の人民代表定数配分における少数民族への配慮を課題とする見解に着目し、 中国の選挙制度における民族政策を検討する。

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格日楽(ジュニアフェロー)「中国の民族区域自治について」(2011年11月4日)

 中国では民族区域自治制度を通して少数民族自治機関(人民代表大会及び人民政府)に自治権を付与する。 中国の地方制度において、民族区域自治制度は地方制度の大きな特徴ではあり、 民族問題を解決する最も有効な手段として重要な位置を占める。 しかし、近年選挙及び自治条例の制定などにおいて、自治権が充分に行使されていないなど、 その問題点がしばしば指摘されるようになった。
 本報告は、中国における民族の特徴及び民族政策の本質を解析し、 そこから見える民族区域自治の問題点を明らかにすることを試みる。

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格日楽(ジュニアフェロー)「中国の民族自治制度における民族自治権の現状ー民族自治権にまつわる具体例とその分析」(2011年11月4日)

 2012年は、胡錦涛国家主席と温家宝首相による現政権にとって最後の年であり、 来年からは習近平が率いる新しい政権が誕生する。
 これに際し、今回の報告は改めてこれまでの民族の定義や民族自治の本質などについての研究を踏まえ、 民族自治権について自治条例の制定、選挙制度と民族教育などの具体例を取り上げ、 中国の民族自治制度の実態を検討する
 周知の通り、民族問題は国、時代、政治的な要素によって多様性を持つものである。 新政権下の中国では、民族問題はどのように展開されるのか、一層目を離せない。

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小林史明(日本学術振興会特別研究員)「法と文学 Law & Literature 研究とは何か―アメリカにおける伝統と現代の課題」(2016年5月13日)

 法学における学際研究は数多くあるが、 その一つに「法と文学」と呼ばれるぼんやりとした領域がある。 本報告では近年注目を浴びる「法と文学」の輪郭を描いて紹介するとともに、 とくに着眼すべきだと思われる論点を取り上げる。
 「法と文学」が領域として成立するのは1970年前後であった。 しかしそれまでには、法を科学または社会科学として捉える潮流と、 法を人文学のなかで理解しようとする伝統の両方が驚くほど古くから存在していた。 その相剋を振り返りつつ「法と文学」の来し方を訪ね、法を「物語り」と考える現代の「ナラティヴ法学」の構想と問題点を指摘したい。 時間的余裕があれば、法と芸術の関係(知財的な意味ではない)についても触れたい。

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小林正典(大学院博士後期課程)「市場経済への転換期における中国民族法制の研究」(2000年11月24日)

 本研究では、①民族関係の一般的類型を所与とし、 中国の市場経済体制への移行が民族法制に与える影響を想定、 ②グローバル化時代において、従来の民族関係の概念が変容する状況を想定、 ③少数民族地域では「持続可能な発展」にパラダイムを転換し、 「人間中心の経済、社会開発」に接近することを想定、という3つの想定を基にしながら、 市場経済への転換期における中国民族法制の課題を明らかにすることを狙いとしている。

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小林正典(法学研究科特別研修生)「全球化と中国民族法制の諸問題―UNDP人間開発理論との接点を中心に―」(2001年4月27日)

 中国は、WTOへの加盟の問題に象徴されるように、 全球化(グローバリゼーション)時代の到来を受けて、 少しずつ国際的に広く認知された基準を取り入れようとしている。 また中国は、沿海地域と西部地域との経済格差の是正に配慮し、 西部大開発を国家の重要な基本政策として掲げ、 外国資本の導入や国際協力機関からの援助を受けることに対し大きな力を入れている。 人口が12億を超える中国は、漢族の他、55の少数民族と識別されていない集団を有しており、 民族紛争の防止と円満な解決を図るべく、 民族法制によって民族関係の調整が図られている。 しかしながら、民族法制において中国が想定してきた民族関係は、 基本的に国内問題の枠組みの中で類型化されるに止まり、 外国資本が少数民族地域にもたらされることによる諸問題(外国資本による経済的統治)や貧困地域の人口移動、 さらにNGOの活動等の新たな局面を想定してはいない。 西部地域において、国際協力機関からの援助を受けるための体制作りが求められる今日、 中国は国家発展計画委員会を中心として、 UNDP(国連開発計画)等の国際機関が提唱する開発の国際的潮流への接近する傾向があり、 れは10次5カ年計画においても部分的に反映されている。 民族区域自治法においても、 10次5ヵ年計画が国家の基本計画として民族自治地方の経済活動の指針に位置付けられていることから、 西部大開発の推進に伴って、民族法制は、持続可能な発展概念にパラダイムを転換し、 人間開発理論の基本的な考え方を社会および経済発展の分野において取り込む必要がある。 そこで、本報告においては、全球化時代における中国民族法制の諸問題のうち、 共産党の政策との整合性が問題となるUNDP人間開発理論との接点に焦点を当てながら、 若干の考察を試みる。

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小林正典((財)比較法研究センター研究員)「台湾における原住民族立法の状況」(2002年5月10日)

 総人口約2,300万人のうち、マレー・ポリネシア系の原住民族が2%を占める台湾では、 李登輝政権時代の第3次憲法改正(1994年)で多元文化を称揚する文言が盛り込まれ、 「原住民族」の発展と援助に関する条項が明文化されたのを契機とし、 原住民族に関する各種法律法規の立法化が急速に進みつつある。 そこで本報告では、原住民族の概況を見た上で、日本の植民地法制の沿革と霧社事件に触れ、 さらに立法化が進む各種法律法規の要点を確認しながら、台湾原住民族法研究の今日的意義と課題を整理する。 今日の台湾の原住民族研究を概観すると、多文化主義を志向する傾向がきわめて強く、 大陸側における費孝通の中華民族多元一体理論と異なる方向を進んでいる。 また、陳水扁政権も1999年9月10日の総統選挙期間中に 「原住民族と台湾政府の新しいパートナーシップ関係」に署名し、 原住民族の自治権を拡大させる政策を採っており、 一国二制度に依拠しながら台湾を取り込もうとする大陸とは真っ向から対立している。 マイノリティー政策に対する台湾側と大陸側の違いは、 将来の両岸関係を展望する上で様々な課題を突きつけており、 原住民族法立法化の動向も注目される。

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坂井大輔(大学院修士課程)「卒業論文「主権論の比較法史学的分析」の概要とその問題点」(2010年5月14日)

 本報告は、報告担当者が昨年度に提出した卒業論文 「主権論の比較法史学的分析」の概要を紹介するものである。  主権という言葉は、これまでに多くの論者により、 それぞれ独自な観点に基づいて論じられてきたが、 それらは基本的にはdogmatischな性質を帯びており、 それゆえしばしば非妥協的な対立をもたらす要因ともなった。 これに対して本報告は、主権概念に関する様々な議論を、 社会科学的な視点から整理することを試みるものである。
 本報告ではまず、一定の視角からこれらの議論を観察することを通じて、 主権論に関する3種類の類型を定立することを目指す。 そのうえで、定立された類型に基づいて把握された主権論の系譜を、 ヨーロッパと日本とで比較することを試みる。 この際、ヨーロッパにおいてはボダン、ルソー、シェイエス、 カレ・ド・マルベール、シュミット、ケルゼンらを、 日本においては穂積八束、美濃部達吉、宮沢俊義、尾高朝雄、 杉原泰雄、樋口陽一、芦部信喜らを議論の対象として取り扱う。 そして最後に、自身の卒論の抱える問題点を示し、今後の研究の方向性を探究する。

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坂井大輔(大学院修士課程)「穂積八束の民法典批判」(2011年10月7日)

 報告者は現在、穂積八束をテーマとして修士論文の作成にあたっている。 本報告では、修士論文の計画の概要について述べるとともに、 その中から特に八束の民法典批判を取り上げて検討を加える。
 穂積八束は、一般的には憲法学者として知られているが、民法典の編纂にも深く関わっていた。 民法典論争に参加して「民法出テヽ忠孝滅フ」などの論文を発表し、旧民法延期派の一翼を担った八束は、 法典調査会委員として自ら関与した明治民法に対しても、批判を行なった。 そこで論じられたのは、財産権の社会化と家制度の保護であった。 この二つの主張が接合する仕方には、八束の法学の主題が極めて明瞭な形で示されている。 本報告では、八束の法学が何を見通し、何と敵対し、何を求めたのかを、 彼の民法典批判の論旨を辿ることによって検討してみたい。

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坂井大輔(大学院博士後期課程)「穂積八束「公法学」の体系」(2012年5月11日)

 日本の法が、個人よりも団体や国家を優先する傾向を有してきたことは、夙に指摘されている。 しかし、近代日本の法学がそのような傾向をどのように形成し、 維持してきたかについては、あまり研究されていないように思われる。 本稿は、このような問題に取り組むための足がかりとして、穂積八束の学問を取り上げるものである。 穂積八束は、日本初の憲法学者といいうる存在であるとともに、 憲法以外の分野についても積極的に発言した人物である。 19世紀末のドイツで最先端の法律学を修めたにもかかわらず、 彼の学問は、国体、家制、忠孝といったキーワードをちりばめた国家主義的、団体主義的な様相を呈した。 彼はこのような態度故に、反動主義のイデオローグと見なされるにいたり、 戦後の法学界からはほとんど無視されている。 しかし、彼の主張は何らかの形で影響力を有し続けてきたものと見るべきである。 日本の近代法および近代法学の歴史を検討するに際しては、穂積八束を避けて通ることはできないであろう。
 穂積八束についての先行研究に関しては、幾つかの問題点が指摘できる。 第一は、八束の学問の全体を視野に収めた研究がほとんどない点であり、 第二は、八束に対して、「頑迷固陋で時代錯誤な絶対主義者」という先入観を論者が有している点である。 これを受けて報告者は、修士論文において、①八束の法理論はどのような目的によって構築されていたのか、 ②その目的のために、八束はどのような法学の体系を構築したのか、 を解明することによって、先行研究における問題点を克服することを課題とした。 彼の学問体系が守ろうとしたもの、排斥しようとしたものを明かにし、 さらに、そのような議論を展開せねばならなかった時代背景は何かを突き止めること、 その上で、国家の正当化(国家論)、国家権力の行使(法論)、国家の正当性の調達(道徳論)という 三要素の統一体としての八束「公法学」体系を描き出すこと、 これらを試みることで、穂積八束という、 明治法学史において独特の地位をしめる法学者をより精密に理解することができるであろうと考えたのである。
 本報告では、八束の「公法学」体系がいかなるものであったかを、具体的に検討する。 それにより、国家論――いわゆる国体論――、法論、道徳論にわたる様々な議論が、 〈天皇制共産主義〉的国家秩序の形成・維持という目的を実現するための 統一的な構造を有していたことが、明らかになるであろう。

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坂井大輔(大学院博士後期課程)「総力戦体制論の登場とその影響」(2013年1月25日)

 1990年代以降、日本の近現代史学は、総力戦体制という概念を用いて歴史を叙述するようになってきている。 世界大戦という新たなる戦争形態に対応するために国内のあらゆる人・物を「資源」として動員した総力戦体制が、 戦後社会の基盤を作り上げた、というこの議論は、戦前・戦後の連続面を強調することにより、 それまでの歴史観を修正する役割を果たしてきた。 歴史学のみならず、社会学・政治学・経済学などの学問分野にも影響力を持つに至った総力戦体制論であるが、 基礎法学、とりわけ法史学は、この議論にどう応答してきたのか、必ずしも明確ではないように思われる。
 そこで本報告では、総力戦体制論の概略を、主な論客の議論を検討すること通じて紹介し、 さらに、これまで戦時期日本の歴史を叙述する際に用いられてきたいくつかの概念との比較を試みる。 その上で、近現代法史を研究していく上で総力戦体制論という問題提起をどのように受け止めればよいのか、 若干の考察を行ないたい。

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坂井大輔(大学院博士後期課程)「戦前・戦中の平野義太郎―ゲルマン法思想・マルクス主義法学・大アジア主義」(2013年12月6日)

 マルクス主義法学の泰斗として知られる平野義太郎の業績は、 今日においてもなお、高く評価されていると言ってよいであろう。 そしてそれ故に、彼が戦時中に展開した大アジア主義論は、多くの論者達の注目を集めてきた。 戦時という状況下では仕方がなかったのだ、と擁護するもの、いわゆる「転向」の一例としてとらえるもの、 彼のそれ以前の学問との関連性に言及するもの、など、様々な視点からの研究が、これまで行なわれてきた。
 本報告では、民法学者としてゲルマン法思想の研究に携わっていた平野義太郎が、 マルクス主義法学の理論家となり、戦時下において大アジア主義論を主張するに至った経緯を概観したのち、 彼の「転向」を論じた諸説を比較検討する。 その上で、戦前・戦中の平野の学問がいかなる性質のものであったのか、について、若干の考察を試みたい。

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坂井大輔(大学院博士後期課程)「穂積八束とルドルフ・ゾーム」(2015年1月9日)

 報告者はこれまで、穂積八束の学説について報告を重ねてきたが、 その際、彼の学説がいかにして成立したのか、という問題に触れて来なかった。 今回の報告では、この問題に対して、 八束はドイツ留学を通じてルドルフ・ゾームから影響を受けたのではないか、 という仮説を立てることによって、接近してみたい。
 これまで、八束のドイツ留学については、ラーバントの下で憲法学を修めた、 という点のみがクローズアップされてきた。 憲法学者・穂積八束の研究としてこのような問題設定がなされたのは、 至極当然のことではあっただろう。 しかし、この両者を比較し、その影響関係を跡づけようとする作業は、 管見の限りでは実り多いものにはなっていないようである。
 ラーバントの同僚であった法学者ルドルフ・ゾームは、 法制史・ローマ法・民法・教会法といった様々な領域で活躍した人物である。 そして、帰国後の八束の論説を参照すると、家族法を公法とする説や、 いわゆる「国家全能主義」の主張-これらは八束「公法学」の核心部分である-においてゾームが引用されている。 この点に鑑みれば、ゾームと八束との関係性こそが問われねばならない。
 したがって本報告では、八束「公法学」成立過程の一端を検証するため、 八束とゾームとの比較を試みる。 両者の類似性と差異を見ていくことは、ヨーロッパと日本の違いは何か、 という根源的な問いへの入り口となりうるであろう。

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坂井大輔(大学院博士後期課程)「穂積八束の『後継者』、上杉慎吉」(2015年11月20日)

 上杉慎吉は一般的には穂積八束の後継者であったと言われるが、それはいかなる意味においてであろうか。 穂積八束「公法学」の展開を跡付ける作業の一環として、この点を検討してみたい。 上杉については、時期ごとに異なる議論を展開していることが知られている。 本報告では上杉の言説を、 ①欧州留学以前(1902年-1906年)、 ②留学後から八束の死まで(1909年-1912年)、 ③八束死後(1913年-1929年)、 の3期に分け、それぞれの時期において、上杉の議論がどのような点で、 どれほど八束と異なっていたのか、それとも同一であったのか、を辿っていくこととする。 ①については、上杉が当時採用していた機関説の内実が、 ②については、留学後の変容の実態と美濃部・上杉論争とが、 ③については、神話的モチーフに彩られた上杉独自の国家理論が、 それぞれ主たる問題をなす。 そして、以上のように両者の関係性を測定することは、 明治・大正という時代の断絶が公法学に対していかなる意味を持っていたのか、 という問題にも、示唆を与えるであろう。

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坂井大輔(大学院博士後期課程)「美濃部達吉はいかに理解されるべきか」(2016年10月21日)

 美濃部達吉は、議会主義・自由主義を擁護するために、 穂積八束や上杉慎吉らとの間で論争を繰り広げた人物である、 という通念は、多くの研究によってもはや維持しがたいように思われる。 とりわけ、1930年代以降の「円卓巨頭会議」構想や「職能代表制」論などを取り上げる研究によって、 「議会主義者」美濃部達吉というイメージは大きな転換点を迎えたといってよいであろう。 本報告では、美濃部達吉研究の動向を振り返りつつ、 現在において構築可能な美濃部達吉像とはいかなるものであるのか、を模索したい。 これにより、報告者がこれまで取り上げてきた穂積八束・上杉慎吉の「対戦相手」の姿を、 より明確に描き出すことができるのではないだろうか。

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坂井大輔(ジュニアフェロー)「「天皇主権学派」の実像—穂積八束・上杉慎吉を中心として」(2017年5月26日)

 昨年8月に公表された「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」を発端として、 現在、天皇の在り方を巡る議論は俄に活況を呈している。 その中で、明治以降に展開されたいわゆる「国体」に関する言説が注目を浴びていることは、周知の通りである。 これらは、大日本帝国憲法の制定とその解釈学の確立に伴って法の世界と関わりを持つようになり、 美濃部・上杉論争や天皇機関説事件などの原因ともなった。 法学史においては、 「天皇主権学派」と言われる穂積八束・上杉慎吉が君主専制の解釈論を提唱したのに対して、 美濃部達吉らの「立憲学派」が自由主義的な解釈論を提起し、学問的に勝利を収めた、 という見方が常識化しているといって良いであろう。 そのため、今日に至るまで、「主権学派」に属する法学者たちに関する研究は、 「立憲学派」のそれとの比較においては、少数に留まっている。 しかし、近代日本における天皇の在り方を解明するためには、 積極的に天皇権力の基礎付けを論じようとした「主権学派」の理論に対する分析を行なうことが必要であり、 本報告はそのような分析を試みるものである。
 本報告では、「主権学派」に属する穂積八束・上杉慎吉の議論の構造を、 憲法学のみならずその著述活動全体を対象として再構成することを試みる。 天皇が最高権力者であることをいかに弁証しようとしたのか、 そのもとでいかなる法体系を構想したのか、 さらに、その枠組を維持するためにどのような活動に従事したのか、 という多角的な視野から彼らを観察し、比較することで、 単に「専制的」とだけ評することのできない彼らの議論の特徴が浮かび上がると共に、 両者の差異も認識されるであろう。 また、これによって、美濃部との論争の結果が何をもたらしたのか、 についても、明確になると思われる。
 加えて、上杉慎吉が東京帝国大学に弟子を残せなかったことから2代で断絶したかのように見える「主権学派」が、 上記論争にも拘わらず学界において命脈を保ち、 戦後まで存続していたことを確認しておきたい。 たとえば、穂積八束のもとで学んだ公法学者のひとりである清水澄は、 学習院教授、東宮御学問所御用掛などを歴任し、 戦後においては憲法改正時において枢密院議長を務めた人物であるが、 八束から受け継いだ憲法学説を大きく改めることはなかった。 美濃部の機関説が勝利したと言われる中でも、 清水のような法学者も充分にその活躍の場を与えられていたのである。 このような視点から、「主権学派」の広がりについて考察してみたい。

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佐藤智晶(大学院修士課程)「英米法上の過失不実表示に関する一考察」(2003年12月5日)

 確実性を極め、情報が財産的価値を増す今日、我々は様々な利益の調整に苦心している。 「Truth the daughter of time(真実は時の娘である)」と古代ギリシアの著述家ゲリウスは述べたとされる。 しかしながら、過去の社会と比較した場合、現代社会は、 創出された不正確な情報をそのままにしておけるほどの時間的余裕を有していないと思われる。 本稿は、主に次の二つを目的として英米法上の不法行為に基づく過失不実表示責任を表示者の注意義務に着目して検討した。 それは第一に、英米法上の不法行為に基づく過失不実表示責任を表示者の注意義務に着目して理解することにより、 情報に関する利益の調整について示唆を得ること。 第二に、英米法、とりわけアメリカ法上、純粋な経済的損失と表示上の過失が交錯した場合、 いかなる法理によって事件が解決され、その法理が採用されている根拠はいかなるものかを明らかにすることである。 本稿の検討により、アメリカの不法行為法の一性質を強く再認識させられた。

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佐藤智晶(大学院修士課程)「英米法上の過失不実表示における注意義務の意義―明確かつ公正な諸利益の調整方法を志向して」(2004年10月22日)

 アメリカ合衆国において、情報に関する諸利益は、 損害の種類と損害発生の危険に対する予見可能性に照らして、 まず注意義務によって調整されている。 不確実性の時代に、情報創出からもたらされる利益と、 表示信頼の保護からもたらされる利益を適切に調整するためには、 より明確な行為指針(注意義務)を必要としているのではないか。 唯一完全な調整方法でないとしても、アメリカ合衆国の見解は不合理ではないものと考えられる。 また、日本法の見解との相違からは、抑止を重視するアメリカ不法行為法の特徴も垣間見ることができる。

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佐藤豊(大学院博士後期課程)「インターネット上のファイル交換サービスの提供に対する著作権行使と欧州人権条約における表現の自由との関係について」(2014年10月3日)

 本報告では、無許諾のファイル交換等、 インターネット上での著作権侵害行為に使用可能なビットトレント技術を利用するために必要な 「トレントファイル」(ファイルの所在等の情報が含まれた電子ファイル)を ウェブサイト上で投稿・検索可能とするサービスを提供する者について、 当該サービスの提供による刑事責任等を肯定するスウェーデン国内裁判所の判決が、 欧州人権条約にいう「表現の自由」に反するか否かが争われた欧州人権裁判所の判決を検討の対象とする。  ビットトレント技術自体はファイルの効率的な送受信を可能とするものであり、 著作権侵害行為以外にも利用可能である。 しかし、国内裁判所は、当該サービスの利用者が当該サービスを利用して入手した トレントファイルを用いて大量に著作権侵害行為を行っており、 サービス提供者が著作権者からのトレントファイルの削除要求にも応じることなく サービスの提供を漫然と継続したこと等を斟酌し、 当該サービスの提供による刑事責任等をサービス提供者に負わしめた。 欧州人権裁判所は、 当該サービスの提供者を問責する結論自体は 欧州人権条約10条1項にいう表現の自由との抵触があるとしつつ、 サービス提供者に対する責任は同条2項にいう「責任」に該当する等として、 サービス提供者の申立を退けた。 本報告では、欧州人権条約における知的財産権の位置づけに関する一連の裁判例に照らし、 この判決の説示の特徴及び射程を分析する。

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史曄(大学院修士課程)「『一国二制度』における中国大陸法と香港法の衝突」(2000年12月8日)

 香港は返還前から、中国大陸との人的、物的往来が頻繁で、貿易に限らず、 資金や技術などの移動による直接投資も拡大されてきた。 その結果、両地域間に多様な渉外民事法律関係が生じ、 ことに紛争になった場合にどの地域のどの法律を適用するのかという法の衝突の問題が生じる。 返還前に、このような法の衝突は、それぞれ独立した主権を有する国家(地域)間の問題として扱われてきたが、 香港返還後、「一国二制度」の中国においてこの問題をどのように対処しているのかについて、 準国際私法の観点から実際の状況に即して紹介する。

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柴田尚到(大学院修士課程)「規範体系と生殖医療技術の進展」(2000年10月27日)

 生殖医療技術の進展という一つの現象を素材として、 リベラルな規範(法規範、道徳規範)の把握を前提として、 究極的には医療専門家集団の自律性を擁護することを目指す。 すなわち、医療専門家集団に課せられた職業倫理を規範体系の中に正当に位置づけることを目指す。 この際、J.S.ミルの「他者危害原理」の意味内容を具体化して擁護し、 その上で法的パターナリズムと法的モラリズムの道徳的正当性を生殖医療技術との関連を意識しつつ検討し、 両者ともに道徳的正当性に疑問があるとの結論を正当化する。 そして、にもかかわらず、生殖医療技術問題においては 医療専門家集団によるパターナリスティックな介入は正当であると考え、 その「パターナリスティック」の内容を限定し具体化しつつ、擁護することを目指す。

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周圓(大学院修士課程)「アウグスティヌスと初期正戦論」(2006年1月13日)

 正戦はラテン語bellum justumの和訳で、それに関する理論の古典的形を定式化したのは 初期キリスト教会の教父聖アウグスティヌスだと思われる。 本報告は古代ギリシアからアウグスティヌスまでの正戦論の発展を考察し、 アウグスティヌスの正戦論に重点を置いて分析した。
 古代ギリシアにおいて、正戦の思想はすでにあったと思われるが、それは道徳的で抽象的なものだった。 ローマでは契約上の義務の分析と結びつく正当原因(justa causa)の概念が発展し、正戦の判断基準となる。 キケロは特に初めてbellum justumの言葉を使い、正戦論の最も古くかつ確実な起源とされる。 キリスト教の中で、旧約聖書に記された戦争はしばしば神に命令されたもので、 正戦と聖戦の区別がつかないケースがほとんどである。 戦争に対する新約聖書の態度は非常にあいまいなのだが、 初期キリスト教会は基本的に絶対平和主義の態度をとっていたと思われる。 しかし、313年コンスタンティヌス帝の改宗以後キリスト教の国教化に伴い、教会の態度に変化が徐々に生じて、 聖アンブロシウスのようにローマ帝国と親密に付き合い、異端者と異教徒を相手とする正戦を唱える教父も現れた。 そのアンブロシウスから影響を受けたのがアウグスティヌスである。
 北アフリカ出身のアウグスティヌスは、 キケロの著作に感心したりマニ教徒となったり新プラトン主義に心酔したりして、 多彩かつ奔放な青年時代を送った後、終にアンブロシウスの導きの下でキリスト教に入信して、ヒッポの主教となった。 彼はその後の生涯を通じて、多数の宗教論争に参加し、夥しい量の著作を残し、 初期キリスト教会の最も偉大な教父と評価されている。
 アウグスティヌスの正戦論は ①正しい動機において、内面的な愛(caritas)の観点を導入し、最重要視する、 ②正当原因において、神の意思を広く解釈する、 ③戦争を遂行する正当権威において、世俗の皇帝と君主の戦争発動権を是認する、 という三点において非常に特徴的である。 アウグスティヌスはそれによって、キリスト教会の中で、初期教会の絶対平和主義の傾向に終止符を打ち、 正戦論の発展過程の中で、正戦をキケロやローマ人より遥かに広範な理論に仕上げた。 彼の正戦論は、ヨーロッパにおいて西ローマ帝国滅亡以後の極めて混乱した時代を生き抜いて、 その後グラティアヌスにより整理され、トマス・アクィナスにより体系化されて、後世に多大なる影響を及ぼした。

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周圓(大学院修士課程)「グラティアヌスの教令集の中の正戦論」(2006年11月24日)

 グラティアヌスの教令集の第二部法律事件23は、 『カノン法大全』における「戦争に関する問題」を取り扱った唯一の箇所として、 従来のカノン法史のみならず国際法学史の研究者からも注目を受けてきた。
 そもそも法律事件23自体は、必ずしも正戦を論じるために設定されたものではなく、 むしろ、個人が暴力を行使するときの指針を整理するものだと思われる。 とはいえ、そこからわれわれは、戦争に対しグラティアヌスが抱いた態度を読み取り、 彼の正戦論として復元することができる。
 本報告では、正戦論に関する従来の研究において アウグスティヌスとトマス・アクィナスの連絡役と看做されてきたグラティアヌスを対象に、 彼の正戦論の内容及びそれが有する歴史的な意義を究明し、 また、キケロ、アウグスティヌスという聖俗両方の正戦論源流に対する継承統合、 及び、トマス・アクィナスに対する影響を念頭に置き、 正戦論の系譜におけるグラティアヌスの位置づけを試みる。

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周圓(大学院博士後期課程)「清朝晩期における国際法の輸入―中国国内の研究成果をまとめて」(2007年12月14日)

 清朝晩期における国際法の輸入に関しては、 近年中国の学界において多くの研究論文が提出され、関心が高まりつつある。 本報告は、それらの先行研究について、方向性やそこで明らかにされた点などを考慮しつつ、 総体的なまとめを行い、それらについて評価を試みることを目的とする。

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周圓(大学院博士後期課程)「アルベリコ・ジェンティーリの戦争観」(2009年1月30日)

 フーゴ・グロティウスが「国際法の祖」と崇められて久しいが、 その学説は多くの面において必ずしも独創的とは言えない。 理論の構築に当たり、彼が多くの法学者、神学者及び哲学者から栄養分を吸収し、 その中にもっとも重要な一人としてアルベリコ・ジェンティーリ(Alberico Gentili, 1552-1608)がいる。 本報告では、ジェンティーリの生涯を追 い、主著『戦争法三巻』を中心に彼の戦争観を分析し、 他の思想家の学説と比較しながらジェンティーリの 戦争観の特徴及び戦争法発展の歴史における彼の位置を明らかにしたい。

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周圓(大学院博士後期課程)「アルベリコ・ジェンティーリの国際法思想 」(2009年10月16日)

 本報告は2010年の提出を検討中の博士学位申請論文の中間報告に当たり、 ゆえに論文と同じく『アルベリコ・ジェンティーリの国際法思想』を題目とし、 論文の構成に従い、ジェンティーリの生涯と時代を紹介したうえ、 国際法に関する主著三冊を中心に彼の国際法思想を分析し、その内容、特色と意義を究明する。
 研究対象アルベリコ・ジェンティーリ(Alberico Gentili, 1552-1608)は 近世イタリアに生まれペルージャ大学で法学を学んだローマ法学者である。 しかし、信仰迫害でイギリスへ逃れて以降、彼の関心は、 当時まだ独自の法分野として成立していなかった国際法にも向けられるようになった。 『戦争法論』や『外交使節論』などの著作を残したジェンティーリは、 近代国際法の発展を大いに推し進めたにもかかわらず、死後数百年の間忘れ去られ、 19世紀末イギリスの国際法学者ホーランドにより再発見されるまでほぼ無名に止まっていた。 ジェンティーリは、当時構成されつつあった国際社会を視野に入れ、 君主=国家間の関係を教会の権威から徹底的に解放し、 それに代わり人類社会共通のius gentiumをもって拘束されるべきものとし、 実質上ius gentiumに「国際法」の意味を付与した。 また、彼は「正当原因(justa causa)」を中心とする伝統的な正戦論から脱却し、 戦時国際法と戦後処理に重点を置く戦争観を述べ、近代における古典的正戦論の衰退を予告した。 彼の国際法思想は、体系性、世俗性及び実証性の面で他の同時代の論者たちを凌駕しており、 いたって近代的なものであって、後のグロティウスにも大きな影響を及ぼした。
 本報告は、ジェンティーリがなした国際法、とりわけ戦争という現象への考察に注目することにより、 彼が構想した国際法の内容とその特色を究明し、 国際法の成立に対するジェンティーリの貢献を論じたい。

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周圓(大学院博士後期課程)「丁韙良と『万国公法』」(2010年5月21日)

 1860年代、中国に滞在したアメリカ長老会宣教師 丁韙良(William A. P. Martin)が清政府の要求に応じ、 アメリカの高名な国際法学者恵頓(Henry Wheaton)の大著 Elements of International Law (1836初版) を中国語に訳し、『万国公法』と名づけた。 約八万字あるこの訳書は、清朝後期の中国にとって西欧諸国と西欧近代国際法を知る啓蒙的な書物となり、 清政府の外交実践に変革を呼び起こし、思想界にも深遠な影響をもたらした。
 本報告は、中国語と英語の資料を照合した上、 (一)丁韙良の生涯を追い、宣教師、翻訳家、教育者といった彼の多彩な活動を紹介すること、 (二)『万国公法』の内容およびそれが翻訳出版された背景を分析し、訳書としての価値を検討すること、 ならびに (三)、西欧近代国際法の吸収と運用を巡る清政府の思惑を究明することを趣旨とし、 19世紀後半において中国が国際法を受容する経緯を論ずる。

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周圓(大学院法学研究科アジア・太平洋地域3大学ネットワーク・プロジェクトコーディネーター)「アルベリコ・ジェンティーリの正戦論―『戦争法論』2、3巻における「形相因」と「目的因」を中心に」(2012年6月15日)

 本報告は、16世紀後半から17世紀初頭にかけてイングランドで活躍していた イタリア人法学者アルベリコ・ジェンティーリの代表的著書『戦争法論』を題材とし、 彼の正戦論に対し考察を加え、その国際法史における位置づけを検討することを目的とする。
 ジェンティーリの正戦論については、従来の数少ない先行研究の中で、 中世キリスト教神学者あるいは後期スコラ学派が展開した正戦論の系譜を継ぐものと位置づける考え方と、 正戦論の伝統から完全に脱出し、 近代における無差別戦争観の草分け役となったとする見解という二つの相反する評価が存在していた。 それに対し、本報告は、 ジェンティーリがアリストテレスの因果関係論から啓発を受けて独自に考案した「正当原因論」の体系を概観し、 従来の研究においてあまり注目されていなかった「形相因」と「目的因」をめぐる議論を対象とする。 その内容に対する分析を通じて、ジェンティーリの学説に現れる近世自然法論の傾向と実証的な手法を明示し、 それに基づき国際法の体系を構築するという彼の構想の一端を明らかにし、 後世の国際法の発展に与えた影響を論じる。

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周圓(ジュニアフェロー)「リチャード・ズーチとイギリス実証主義国際法学伝統の確立」(2013年6月7日)

 リチャード・ズーチ(Richard Zouche, 1590-1661)は、 17世紀前半に生きたイギリスの代表的なローマ法学者であり、 後世の研究者から一般的に アルベリコ・ジェンティーリ(Alberico Gentili, 1552-1608)の後継者と見做されてきた。 それは、彼が、ジェンティーリの保有していた オックスフォード大学ローマ法欽定講座担当教授の職を受け継いだこと、 ならびに、国際法の領域ではジェンティーリが草分けとなった 実証主義的伝統を発展しイギリスで確立させたことが 総合的に考慮された評価だと言えよう。 本報告は、国際法に関わる活動を重点にズーチの生涯を紹介するとともに、 彼の国際法学説を分析し、ジェンティーリのそれとの異同を明確にすることを目指す。 国際法の英文名称として一般化された“international law”の語源となった“jus inter gentes”を 初めて著作の中で明確に書き落としたズーチであるが、 彼の学説に対する研究は、 国際法の誕生期の歴史及びイギリスにおける国際法学の発展を究明する上で非常に有益なものとなるであろう。

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周圓(ジュニアフェロー)「近世イングランドの高等海事裁判所におけるローマ法適用」(2013年10月18日)

 イングランドの高等海事裁判所は、英仏スロイス海戦(1340年)後に成立した機構である。 この裁判所は、設立当初から海賊行為や海上における略奪などの犯罪を主な審理事項としていたが、 徐々に捕獲裁判所の役割を備えるようになり、 さらに、海上救助や海上衝突事故などの民事事件にも管轄権を広めていった。 高等海事裁判所の判決は、船、物、人のいずれにも効力を及ぼすものであるとされた。 また、この裁判所がイングランドにおかれ、イングランドの法学者たちにより運営されたにもかかわらず、 その法的判断はもっぱらローマ法に基づいて下されていた。 このことはこの裁判所の大きな特徴のひとつである。
 高等海事裁判所は、1660年の王政復古後、一般海事法廷と捕獲法廷の二部に分割されたが、 1834年に所管の刑事事件の管轄権が中央刑事裁判所に引き継がれ、 1875年に所管の民事事件の管轄権についても新設の最高法院の検認・離婚・海事部に引き渡したことにより、 裁判所の機構自体が消滅するに至った。 本報告は、その高等海事裁判所の近世における活動に焦点をあわせ、 アルベリコ・ジェンティーリやリチャード・ズーチなど 当時のイングランドにおける最も代表的なローマ法学者たちの関与を通じて、 この裁判所におけるローマ法適用の実態および それが後世の英国における国際法伝統の形成に与えた影響を論ずる。

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白田秀彰(法政大学専任講師)「情報法の背景」(2000年5月12日)

 社会の情報化のもっとも目につきやすい変化は、 コンピュータやネットワーク関連機器に代表される情報機器の社会への普及一般化にある。 このため、「情報法」として取り扱われる領域は、 これらの情報機器の利用が従来の法的諸問題に加える新しい様相を、 いかに現行の法体系の枠内で説明するかという点に重点が置かれている。
 しかし、「情報化は産業革命に匹敵する社会的変動をもたらす」という見解に基づくならば、 情報化によって生じる社会変動を調査・予測して、 法体系の基礎部分を見直すという問題設定もありうる。すなわち、基礎法的・比較法的情報法である。
 近代法は、君主権力から政治的に独立した市民が自らの財産権を確実なものとする制度として構築された。 情報化時代においてどのような社会階層が、 どのような社会的利益を確実なものとするために、法制度を形成することを要求するのか? ネットワーク文化は法的考慮に値する正当文化たるのか? 情報化社会に固有の問題とは何だろうか、法はそれをどのように解決するのか?

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白田秀彰(法政大学助教授)「著作権制度の再設計について」(2004年5月7日)

 現在の著作権制度は、創作活動を奨励する目的のために、 複製物の複製(流通)を制御する権利を、著作権者に付与する。 著作物は情報なので極めて少ない費用で複製が可能であるため、 そのままの状態では希少性がなく、市場において経済的価値が生じない。 それゆえ、著作物の生産は常に過少となる。 そこで、複製物の複製を制御して生じる市場からの利益を著作権法で権利者に得させることで、創作を奨励する。 しかし、著作権法の保護対象の拡大と、情報技術の展開によって、 ①創作に必要な費用が低下し、作品の生産が活発になっており、 また、②創作性のある作品だけではなく、 日常的な活動によって生成される情報までも著作物の枠組みに入る状況になり、 複製を抑制して生産を奨励するという前提が疑われはじめている。 ここで、複製を奨励するような保護枠組みを導入することで、 一単位の著作物から生じる経済的利益および外部効果により 全体的利益を奨励することがより最適なのではないかと指摘する。 そのための保護枠組みとして、経済学で用いられる4つの所有モデルに関する比較を行った。 その結果、段階的に規模が変化するクラブ所有に、適切な著作物を割り振る構想が提示された。 しかし、提示された構想は未熟だった。

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菅沼博子(大学院修士課程)「ドイツにおける宗教的侮辱表現―神冒涜罪の検討を中心に」(2014年5月7日)

 日本において、 近年ヘイトスピーチの法的規制の検討が行われることが増えたが、 どのような集団をヘイトスピーチの保護の対象にするかという問題については、 宗教集団を含めるか否かについて、十分な検討が加えられているとは評価しがたい状況がある。
 一方、欧米諸国においては、 2005年に起きたムハンマド風刺画事件を一つの重大な契機として、 宗教集団に関するヘイトスピーチについての議論が進展している。
 また、日本では、ヘイトスピーチの法的規制を求める声の高まりとともに、 「表現の自由」と「人間の尊厳」との間でバランスをとろうとする ヨーロッパ型のアプローチが注目されるに至っている。
 そこで、本報告では、 実際に宗教的な侮辱表現に対する法的規制を有するドイツを題材として、 その法制定過程とドイツにおける議論状況を検討する。

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菅沼博子(大学院博士後期課程)「ドイツにおける宗教的な侮辱表現―信条冒涜罪(刑法166条)の考察を中心に」(2015年5月29日)

 ドイツ刑法166条の信条冒涜罪は、 神冒涜罪が1969年の刑法改正によって、世俗化が図られ、その名称を改められたものである。 しかし、キリスト教の伝統という根を内包しつつ現代に至る信条冒涜罪は、 意見表明の自由・芸術の自由などとの間で緊張関係をはらみながらも、社会的な支持のもと延命している。 信条冒涜罪は、事件数がきわめて少ないにも関わらず、近年の社会的な状況を受けて極めてドイツにおいて関心が高いテーマである。
 本報告では、信条冒涜罪の制定過程、 信条冒涜罪をめぐる裁判例・判例、現代のドイツの学説(刑法学・憲法学)の状況についての検討を通じて、 シャルリー・エブド事件後の日本・ドイツにとって示唆するところを憲法学の視座から探ることを目指す。

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菅沼博子(大学院博士後期課程)「シャルリー・エブド事件のあとで―ドイツにおける信条冒涜罪(刑法166条)の近時の展開をめぐって」(2016年4月22日)

 1969年の刑法改正によって、神冒涜罪はその名称を信条冒涜罪と改め、 今日に至るまでドイツ刑法典に存在している。 本報告では、2015年1月にフランスで起きたシャルリー・エブド事件後に生じた、 ドイツにおける信条冒涜罪をめぐる議論を中心に紹介・検討を行う。
 ドイツにおいては、立法府において、 信条冒涜罪の刑法典上の存置を主張する立場と条文の完全削除を主張する立場という二つの立場に分かれており、 ムハンマド風刺画事件以前・以後においても論争が行われてきた経緯があり、 シャルリー・エブド事件以後も基本的にはこの構図において、論争が行われている。 しかし、信条冒涜罪をめぐる法解釈論は、連邦憲法裁判所が刑法130条4項の合憲性をめぐって判断をくだした ヴュンジーデル決定(BVerfGE 124, 300)によって示された、 保護法益としての「公共の平穏」の限定的解釈の影響を受けて、大きな転換点をむかえつつある。
 そこで、本報告では、ヴュンジーデル決定による信条冒涜罪への影響と、 シャルリー・エブド事件以前から行われてきた信条冒涜罪をめぐる法学者の議論をふまえて、 シャルリー・エブド事件以後のドイツにおける信条冒涜罪の論争状況を示す。

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関良徳(日本学術振興会特別研究員)「弁護士の倫理と政治―米国の公益弁護士をめぐる諸問題」(2001年6月22日)

 貧困者への法律扶助は先進各国において制度化されてきたが、 その中でも米国は貧困者集団の利益を促進するための公設専任弁護士を配置して、 貧困を抜本的に解決するための法改革を念頭に置いた法的サービスを提供するという独特の制度を作り上げた。 しかし、こうした米国の試みは多くの重要な変革を促す一方で、 様々な倫理的・政治的問題を提起するものでもあった。
 依頼者と公益弁護士との間の倫理的関係については、次の三つの問題を論じた。 ①「訴訟の優先順位」では、貧困者の日常的な問題(借金・離婚など)よりも 政治性や社会的インパクトの強い訴訟を弁護士が優先している点を批判した。 ②「依頼者コントロール」では、弁護士が訴訟戦略的な理由から依頼者を道具として操作することの問題点を指摘した。 ③「クラス・コンフリクト」では、集団訴訟における集団内の意見の不一致と、 それに伴う弁護士主導の代理行為が孕む危険性について明確化した。
 公益弁護士が民主制過程で成立させることのできない法や政策を司法過程で実現しようとすることへの批判も存する。 立法失敗論を前提に法改革訴訟を擁護する立場も考えられるが、対話の可能性を重視する立場からは、 法改革訴訟による問題提起と民主制過程での反省的な議論とを組み合わせて考える必要があるだろう。
 以上の考察から、公益弁護士による法改革の重要性が確認される一方で、 依頼者との間の倫理的関係への配慮もまた強調されることになる。

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高木智史(大学院修士課程)「効用水準の個人間比較と立場互換に基づく正義」(2014年11月14日)

 正義概念の中核的要素をなす普遍性はしばしば他者との想像的立場互換によって成立すると解釈される。 こうした考えは、特に黄金律やKant、Sidgwick、Hareなどの道徳理論に見いだすことができる。 また、経済学においても同様の思考様式が規範的議論に際して用いられる場合があり、 「拡張共感」という手法を用いて記述的表現を与えられる。 この拡張共感は多くの経済学者が前提している効用の序数性と親和的であるため、 効用に関する形而上学的前提を置くことを回避することができるという利点がある。
 本報告では、主に経済学者であるJohn Harsanyi(1994年ノーベル賞受賞)の 拡張共感を用いた効用水準の個人間比較アプローチと このHarsanyiの議論に対してなされてきた批判を検討することで、 そこから導かれる道徳的な個人間比較に関する含意について若干の検討を試みたい。

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高木智史(大学院修士課程)「福利と規範性」(2015年10月23日)

 本報告は、福利の道徳的意義を検討するための前提として、 その非道徳的価値としての意義を解明することを目的とする。 とりわけ、内在的価値である福利を如何に説明するかに焦点を当てる。 この説明に際して、内在的価値とは他とは異なる固有の性質であるという応答や、 その自然的性質の記述をもって応答するのは不適切であるとされる。 というのも、前者は価値を初めから不可思議な存在としてしまうし、 後者は自然主義的誤謬に陥る典型的な議論であるためである。
 これに対して、自然主義的な還元でなく規範的な還元を行うことで有意な説明を試みようとする試みが FA分析(fitting-attitude analysis)あるいは 責任転嫁論証(buck-passing account)である。 本報告では、内在的価値とそれを規定するFA分析の検討を通じて、 福利の道徳的意義に関する研究の予備的考察を行いたい。

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高木智史(大学院博士後期課程)「価値と文脈」(2016年7月22日)

 G. E. Mooreは著書Principia Ethicaにおいて、 「全体の価値はその部分の価値の総和と等しいと考えられてはならない」という有機的統合体原理を提唱した。 これは、内在的価値を巡る不変主義(invariabilism)あるいは 普遍性原理(principle of universalitiy)と両立可能な価値の算出方法を提示したものとされる。 しかし、近年このMooreの立場には、 条件主義(conditionalism)や全体主義(holism)と呼ばれる立場からの批判が為されている。 本報告では、この不変主義と全体主義との間の論争について、 とりわけ道徳的特殊主義(moral particularism)を巡る議論で有名な、 Jonathan Dancyによる批判に着目して論じることを目的とする。

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高崎理子(中央大学大学院博士後期課程)「国際司法裁判所判例における文化的考慮と特別裁判部の可能性」(2016年1月8日)

 従来、文化的要素に対する考慮の必要性は、国際裁判においてあまり重視されなかった。 そこには、「文化」は合理的判断に馴染まない、という理由があったと考えられる。
 しかし、冷戦後、「文化」の問題は政治・貿易等の伝統的な諸問題とともに世界の趨勢に影響を与えるようになってきたとの指摘がされるようになった。 また、「文化」は国際法上の価値概念として、国際社会で認識され始めている。
 こうした点を鑑みると、当事者の法的主張に組み込まれた文化的要素も他の要素とともに幅広く法的議論の俎上に載せた方が、 より説得力のある判決を生み出し、ひいては国際裁判所の権威や価値を高めることにもつながるのではないか。
 以上の問題意識に基づき、本報告では、国際司法裁判所(ICJ)判例を対象に、 文化的要素に対する裁判所の取り扱いがどのように変化してきているか、という点について考察する。 さらに、文化的考慮により適した場となる可能性のある、国際司法裁判所の小法廷(裁判部)について検討する。。

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但見亮(一橋大学講師)「信訪制度の問題点」(2011年5月6日)

 中国に「特色ある制度」とされる「信訪」(原語)制度は、施政者の慈悲を求めるという伝統的な方法と、 人民による監督(=「民主」)という正当化理念とが結合した複雑な制度・理論構造を持ち、 そこでは理論的支柱(正当化根拠)である「民主」と、その統制原理としての「法治」とのせめぎあいが見られている。 本報告では、「信訪」の沿革と変化の分析を通じて、超法規的措置としての性格を明らかにした上で、 1995年制定・2005年改正の「信訪条例」の規定の概観により、所謂「信訪」の「法治化」のあり方を検討する。 そのうえで、「信訪」により解決が求められる問題と申立人のメンタリティの分析などを通じて、 「信訪」「法治化」の試み、すなわち苦情処理制度化の試みが有効な解決策を提示できていない、 ということを明らかにし、これらの検討及び認識に基づいて、 「信訪」を取り巻く司法・行政などの諸制度の望ましい変革のあり方がどのようなものか、 さらに「信訪」問題の解決にとって、あるべき「民主」と「法治」のあり方を考える。

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但見亮(一橋大学講師)「中国における『憲政』をめぐる議論の様相」(2013年7月5日)

 2012年末の指導部交代前後から、中国では、「憲政」をめぐる議論が日に日に激しさを増している。 その議論の内容は、論理・主張においては従来から見られたものが目立つものの、 依拠する根拠や対立の構図においては、新しい傾向もみられている。 本報告では、この議論の様相について紹介するとともに、 主張内容の分析とその背景やそれぞれの意図の検討を通じて、 本議論(とりわけそれに加えられた新しさ)を生み出した現状の問題と、 それが指し示す制度の方向について考察してみたい。

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谷本真珠(大学院修士課程)「ペット動物売買の消費者保護に関する日米比較―先天的疾患を有していたペット動物を購入した事例を基に」(2018年12月14日)

 ペット動物の購入に関する法的紛争の多くは、 購入したペット動物が病気を患っていたことに起因する。 日本では、民法や消費者契約法等の一般法を用いてこのような紛争の解決が試みられる。 他方、ニューヨーク州では、統一商事法典に基づく主張に加え、 ペット動物の消費者保護法という特別法を用いて、 ペット動物の購入に関する法的紛争が解決されることが多い。 本法律では、売主の義務、買主の権利義務等が詳細に規定されている。
 本報告では、ニューヨーク州におけるペット動物の消費者保護法の紹介を行う。 そして、購入したペット動物が先天的疾患を有していたという点で類似する、 両地域の事例を比較検討する。

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谷本真珠(大学院修士課程)「動物保護と消費者保護を両立させるペット犬の流通規制のあり方―オハイオ州法とニューヨーク州法を参考に」(2019年11月8日)

 ペット犬流通における日本の制度を整理し、 オハイオ州法とニューヨーク州法を概観して比較検討する修士論文の中間報告を行う。 流通過程の犬の福祉を向上させるために、 動物保護と消費者保護を両立させる日本法のあり方を考えることが本報告の目的である。
 日米において、 ①利益を重視して動物の福祉を考慮しない動物取扱業者の飼育方法、 ②先天的疾患等に罹患しているペット犬を知らずに購入した消費者が、 売主に請求できる内容が不明確なために売主から補償を受けられないという問題がある。 本報告では、これらの問題に対応するための行政の業者規制に加え、 消費者保護法に着目をする。
 日本法では、 動物の飼育環境を立入検査等で確認することを行政は義務付けられているが、 十分に検査を行えていないと批判されている。 紛争時に消費者が売主に請求をする際は、 契約条項の不当性を争うために消費者契約法が用いられることが多い。 オハイオ州法では、行政の業者規制を中心に、 流通されるペット犬の福祉向上が試みられている。 これは日本法と同じ方向性である。 2010年頃まで、オハイオ州の業者規制が緩く、 悪質な動物取扱業者が問題視されていた。 昨今は、動物の福祉を考慮した規制強化が行われている。 しかし、法改正に執行体制が追い付いていないと批判されている。 ニューヨーク州では、行政の業者規制の他に、 パピーレモンローと呼ばれるペット犬の消費者保護法を特別法として定められている。 消費者の売主に対する請求が明文化されているため、 消費者は売主への請求が容易になった。 これに伴い、コストのかかる裁判等を事前に回避するために、 動物取扱業者はペット犬の飼育環境を改善するといった予防策を講じると考えられる。

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谷本真珠(大学院博士後期課程)「動物取扱業者規制の日米比較―ペットショップにおける生体販売禁止法を中心に」(2020年9月25日)

 修士論文では、 「飼い主によるペット犬の終生飼養を促進する法制度のあり方」というテーマを扱い、 本報告ではその内容をさらに深める。
 修士論文では、動物福祉の向上・消費者保護の充実を実現するために、 アメリカで施行されている動物取扱業者規制・ペット犬の消費者保護法という2つのアプローチに注目した。 結論として、この2つのアプローチだけでは、 動物の福祉・消費者保護という効果を実現するには依然として課題が残ることが分かった。
 そこで、本報告ではアメリカで採用されている3つ目のアプローチである、 ペットショップにおける生体販売禁止法について紹介する。 ペットショップにおける生体販売を完全に禁止するとペット犬の消費者保護法の前提が失われるため、 動物取扱業者規制・生体販売禁止法の2本立てで規制が行われることとなる。 生体販売禁止法の機能・課題についても言及し、 最後に生体販売禁止法から得られる日本法への示唆を述べる。

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谷本真珠(大学院博士後期課程)「メリーランド州における「ペットショップにおける生体販売禁止法」について」(2022年9月30日)

 日本でペット犬を購入しようとする場合、 ペットショップを利用するのが主流である。 しかし、繁殖・飼養環境が外部からは見えないペットショップを通して犬を購入することは、 不健康な犬を購入する確率を高くし、 経済的・精神的な面で消費者の利益を害するおそれがある。 これは日米が抱える共通の課題である。 事業者規制の強化や、ペット犬の消費者保護法を制定することで、 それらの問題に取り組む州がアメリカにはあるが、 これらには限界があることを修士論文で明らかにした。
 これらの限界を克服するために、 博士論文では、 消費者保護・動物福祉の向上・行政リソースの有効活用という3点を充足し、 かつ、動物愛護管理法の目的でもある 「人と動物の共生する社会」を実現するようなペット犬の流通規制を模索する。 そのために、日本法とアメリカの州法を比較する。 州レベルでペットショップにおける犬猫の生体販売を禁止するメリーランド州法を重点的に考察する。
 本日の報告では、 メリーランド州法の概要や、制定過程、同法の合憲性を確認する訴訟、法改正内容を紹介し、 同州法のメリット・デメリットを整理し、今後の研究課題について検討する。

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谷本真珠(大学院博士後期課程)「ペット犬の購入者を保護しつつ動物福祉を最大化する法制度のあり方―日本法とアメリカ州法の比較検討」(2023年11月17日)

 日本におけるペット犬流通において、 動物の福祉及び犬の購入者たる消費者の利益が十分に保護されているとは言い難い場面がある。 そこで、犬の消費者(購入者)利益として考慮されるべき事項を整理し、 それらを手厚く保護することが犬の福祉にどのように影響しうるのかについて検討する。 博士論文では、 流通される消費者(購入者)利益と犬の福祉を向上させることを試みる アメリカ州法(オハイオ州法、メリーランド州、ニューヨーク州法)を参考に、 ペット犬の購入者を保護しつつ、 動物福祉を最大化しうる法制度のあり方について若干の示唆を得ることを目的とする。

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趙鍇(大学院修士課程)「中国における社会信用システムの現状と諸問題」(2020年1月10日)

 社会信用システムは、 社会ガバナンスへの強化を目的として、 中国政府が創設する巨大な社会プロジェクトである。 国務院が2014年に公布した「社会信用システム建設計画綱要」によれば、 それは「社会構成員の信用情報」を収集・管理し、 「賞罰メカニズムにより、社会の信用レベルの向上を目指す」ものとされている。 しかし、6年間経って進められた結果を見てみると、 信用システムの先行きは決して楽観とはいえない。 暴露された諸問題の中、 特に注目を集めるのは習近平総書記の提唱する 「依法治国(Rule of Law)」との齟齬があることと考えられ、 さらに、法律を超える新たな統制ツールである 「依信治国(Rule of Trust)」を構築しようとする恐れがあると考えられる。
 本報告では、文献にあわせ、 社会信用システムの構成及び動き方を明らかにし、諸問題を検討する。 そのうえで、当該システムの在り方と行方について考察する。

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趙鍇(大学院修士課程)「中国における「徳治」の変遷および新たな実践への考察」(2020年10月2日)

 本報告は、これまで中国における「徳治」の歴史的変遷を概観する上で、 現在中国政府の末端(農村)管理における徳治の新たな実践としての 住民に対する信用評価の一例を紹介する修士論文の中間報告である。
 中国における有効な社会カバナンスの一つと考えられる「徳治」について、 歴史の変遷とともに、重要なポイントとされる「徳」の重心と内容は、 「君」から「民」へ、「私徳」から「公徳」へ、という二つの変化が現れた。 また、「社会信用システム建設」の発足に伴い、 全社会への強制的な道徳要求が現れ、 さらに法的手段を用いて道徳問題を解決する傾向が深刻化している。
 そこで、2008年に発表された 「自治、法治、徳治相結合の三治結合農村管理体系」を背景として、 本報告では、「三治結合」の実験とされる 中国山東省栄成市農村住民信用スコア評価方法について紹介し、 実践中の「徳治」カバナンスをどう捉えるかについて検討を行いたい。

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趙鍇(大学院博士後期課程)「中国社会信用システムに関する研究―その現状と課題」(2021年6月11日)

 近年、中国における社会全体の信用度が低下したことによって、 社会秩序が崩壊していく傾向がより強まりつつある。 特に社会ガバナンスの面でこれに直面していた。 このような状況に対し、2007年初頭に、国務院は「信用」の重要性が初めて示された。 2013年に、『与信業管理条例』、 『社会信用システム構築綱要(2014-2020)』等が次々と制定・策定された。
 社会信用システムの構築については、 すでに多くの法令が制定されているが、 中国の社会信用システムおよびこれに関連する法制度の構築はまだ始まったばかりであり、 法制度の整備も遅れている。 社会信用システムの構築するために効果的な法制度をどのように整えるのかは 中国政府が現在直面している課題である。
 そこで、本報告では社会信用システムの仕組みを明らかにし、 実例を説明する上で、当該システムのあり方について考察しておきたい。 また、中国社会信用システムの構築において重要視すべき課題について検討し、 最新の政策を説明した上で、その行く末を展望しておきたい。

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趙鍇(大学院博士後期課程)「習近平法治思想から見る「法治」と「徳治」」(2022年9月15日)

 修士論文では、 中国における社会信用システムの構成と現状について考察した。 本報告は、そのようなシステムを支える理論としての習近平法治思想をたどり、 批判的な視点から紹介かつ検討を加えるものである。
 習近平法治思想は 「法治と徳治を国家ガバナンスの中で相互補完させ、 相互促進させ……法治という手段を使って道徳分野で目立った問題を解決すべき」 などを述べた。 またこれも中国特色ある社会主義法体系の不可欠な部分でもある。
 そこで、本報告は、 前述した理論のキーワードである「法治」と「徳治」に着目し 、①西側の認識と異なり、 中国に限られる「法治」と「徳治」の文脈を明らかにし、 ②法律と道徳の関係を考察し、 法治を使って道徳問題を解決するという発想の妥当性と可能性を指摘し、 ③事例をあげながら、 国家ガバナンスの中での「法治」と「徳治」のあるべき姿を検討する。

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鄭昊滢(大学院修士課程)「中国における政府情報公開制度の問題に対する検討」(2018年12月14日)

 中国においては、従来、政府が保有する情報の多くが国民に公開されておらず、 政策や法令・規則に関する情報であっても公開されないことがあった。 しかし、1990年代後半から政府が保有する情報を公開する動きが起こり、 情報公開に関する法令の制定について検討が進められてきた。 その一環として、専門家グループが、 中国国務院の委託を受けて、諸外国の立法等を調査し、 2002年に「中華人民共和国政府情報公開条例」(原語では「政府信息公開条例」) の専門家の草案(原語では「専家建議稿」)を作成した。 これを受けて立法化作業が進められ、 2007年4月5日に「中華人民共和国政府情報公開条例」(以下政府情報公開条例)が公布された。 現実の生活の発展に相応するために、今「政府情報公開条例」を改善している。 本報告では、現在の政府情報公開制度の現状を中心に、 主に自主的な公開と申請に基づく公開についての実務上問題とその理由を検討する。

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鄭昊滢(大学院修士課程)「中国における政府情報公開条例の改正についての研究」(2019年11月1日)

 1966年に米国の情報公開法が誕生して以来、 公衆が政府に対して情報公開の申請を行い、 政府が特定の期間内に情報を公開するという新たな法律関係が規定された。 これは法律化された情報公開といい、 これまでの情報公開とは違っている。 政府情報公開の法律化は政府情報公開を規範化することであり、 政府情報公開の範囲は政府の選択ではなく、 法律によって定められている。 1966年以後50年間に112の国家が相次いで情報公開法を制定した。 中国では2008年に政府情報公開条例(以下では旧条例と略する)を実施され、 それに基づいて政府情報公開制度の整備が進められている。 同条例の施行後、 政府情報の公開件数が大幅に増加する一方で、 現行制度の不備や新たな課題も顕在化してきた。 その後10年を経て、 政府情報公開制度の一層の強化拡充と実効性向上を目的として、 2019年4月3日、 政府情報公開条例が改正され、 同年5月15日に施行された。
本報告では旧条例の成立過程と内容を簡単に要約し、 条例が実施された10年間に現れた主要な問題点と新条例の改正の内容をまとめ、 最後に新条例に残されている問題点を指摘した上で、 今後の動向について考察する。

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鄭昊滢(大学院博士後期課程)「中国における突発公衆衛生事件の情報公開について―新型コロナウイルス肺炎の感染拡大を例として」(2020年12月4日)

 中国ではSARS(重症急性呼吸器症候群)を契機に 突発事件(自然災害、事故災難、公衆衛生事件及び社会の安全に関する事件をいう)が 発生した場合の危機管理の重要性が認識され、 一案三制(一案とは応急対策計画[紧急预案]、 三制とは危機管理の体制、仕組み[机制]及び法制をいう)の整備を進めてきた。 その後17年を経て、 一案三制は新型コロナウイルス肺炎拡大によって試されることとなり、 それによって現行制度の不備や新たな課題が顕在化した。
 本報告では、 新型コロナウイルス肺炎の感染拡大を例として、 中国における突発公衆衛生事件の情報公開制度及び現れた主要な問題点について紹介する。 また2020年感染症予防法の改正草案の内容をまとめ、 突発事件対応法の改正に巡る議論を整理した上で、 今後の動向について考察する。

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鄭昊滢(大学院博士後期課程)「中国における個人情報保護法について」(2021年6月25日)

 情報技術の発展に伴い、情報の大量収集、保存、利用が可能となり、 個人の権利・利益が侵害される可能性が高くなった。 個人情報が漏洩したり、(同意を経ずに)売買されたり、 または低コストで広められるリスクが高い。 中国は2003年に個人情報保護制定に向けた研究を行うために国務院情報化弁公室を設立したが、 インターネットに関する業務は多部門の管轄が重なっているため、 法制定の難易度が高くなり、制定には至らなかった。 2018年までに全国人民代表大会は再び個人情報保護法を立法計画(法制定作業の計画)に組み入れることを検討し、 2020年には個人情報保護法の草案が公布された。
 本報告では、個人情報保護法制定の背景を簡単に紹介し、 個人情報保護法草案の内容をまとめ、草案の問題点を指摘し、 関連学説を比較した上で個人情報保護法が中国の法体系においてどのような位置を付けられるかについて考察する。

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鄭昊滢(大学院博士後期課程)「個人情報保護法における権利の限界と法定責任の拡大―事業者が個人情報取扱者の場合」(2022年10月28日)

 全体としてのプライバシー法には権利と義務の2つの実質的な要素がある。 権利は、個人が個人情報を理解し、コントロールするために利用する。 義務は、個人情報を収集、使用または転送する取扱者に対する要求である。 その中で、権利は多くのプライバシー法の核心であり、義務は法律で定められた権利を支える作用を持つと言われている。
 権利が生じる原動力は、大きな情報格差が存在する状況において、 個人が個人情報取扱者に対して全く無力であるという問題に対処しようとする願望である。 個人情報が収集され、転送され、分析されるにつれて、 個人が自身の生活の中で行った意思決定も影響を受け、 個人は巨大な組織である情報取扱者の前で脆弱かつ無力になった。 そのためプライバシー法は、個人に権利を与えることで、 個人が個人情報を再び制御することを可能にしようとしている。 しかし、個人は個人情報に関してリスクを理解し、 評価する専門的知識を十分に持っているとは限らない。 一般の人々にとって、 プラットフォームが個人データを収集する見返りに与えられるメリットは直接的で具体的であり、 その背後にあるリスクは抽象的で推測的である。 また、プライバシーを個人レベルで保護することも難しい。 以上の状況を踏まえ、個人情報を規制する主な手段として権利を利用するのは適切ではないと思われる。 したがって、情報取扱者と管理者が負う法的責任を拡大し、 より社会的で広範な措置を講じて個人情報を保護すべきである。
 本報告は3つの部分で構成され、 第1章では中国における事業者が個人情報取扱者である場合の個人情報保護制度を紹介する。 第2章では個人情報保護における権利の限界とその原因について論じる。 第3章では理論上の構想を描き、個人レベルではなく、社会レベルでの民主的制度の構築、 すなわち集団による監視や関与の機会確保に力を入れるべきことを述べる。

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鄭昊滢(大学院博士後期課程)「行政機関による個人情報取扱についての法的規制―中国個人情報保護法を中心として」(2023年10月13日)

 中国はデジタル技術と人工知能(AI)の発展において世界をリードする国の1つとなっており、 「アルゴリズムによる行政」の導入も急速に進行している。 中国政府はアルゴリズムを政策決定、監視、社会統制など様々な領域で活用しており、 個人情報保護に関する問題が浮上している。 中国の個人情報保護法は、民間事業者と行政機関の2種類の主体を規律の対象としている。
 本報告は、行政デジタル化時代の行政活動に関わる問題について、 個人情報保護の視点から検討するものである。 本報告では、まず行政機関による個人情報取扱事例を紹介した上で、 行政機関が法令上の事務の遂行のために個人情報を取り扱う法的根拠と法的責任について述べ、 アルゴリズムによる行政についてのリスクを論じる。 最後に、その対策を紹介する。

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丁勇駿(大学院博士後期課程)「中国における司法の独立性―漢江地域の裁判所から見る」(2023年6月23日)

 現代中国政治の最も重要な特徴の一つは、 「中国共産党の領導(指導)」である。 ただしその一方、 2014年10月に開かれた第十八期中国共産党中央委員会第4回全体会議では、 中国共産党中央指導部が重要議題として「全面推進依法治国」 を掲げている。 では、法治国家にとって不可欠な「司法の独立」と (一党体制の)「党の領導」の両立を可能にする理論は (中国の法学界にとって)どのように構築すればよいか。 この問題を解明するため、中国において、 「司法の独立」は存在するかどうかを先に検証しなければならない。 もちろん、学術概念としての「司法の独立」は 恐らく権威主義国家である中国に存在しないことが学界の共通認識であるが、 史料とデータを使って司法がどのくらいの独立性を持っているかを論じる研究は極めて少ないのも現実である。 本論文は従来に重視されていなかった史料(「法院志」)を用い、 筆者の取材と合わせながら、 中国の地方裁判所の独立性を説明することを試みる。

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丁勇駿(大学院博士後期課程)「中国における地方政府と地方司法の関係―信訪制度の改革と行政訴訟法の改正からみる」(2022年7月8日)

 アメリカ政治学界において、 中国の政治体制を「分断化された権威主義」という概念を用いて、 中国の政治過程を有効的に説明している。 しかし、「分断化された権威主義」という概念が2.0までにも発展してきたが、 「司法」を政治過程における「アクター」として認めていない。 修士論文では、地方司法と地方政府の権力バランスに関する二つの制度(行政制度、法律)の歴史的な変化を分析し、 そしてフィールドワークを通じて分かった地方政治実態を提示し、 地方司法が地方政治過程における「アクター」になっているということを明らかにした。
 本報告では、修士論文の不足と残された課題を検討し、 さらにこのテーマを深める博士論文の計画を発表する。

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アンディ・ドラウト(大学院博士後期課程)「ヨーロッパの個人データ保護法制の進化」(2011年1月21日)

 ヨーロッパの個人データ保護法制は、世界中最も進歩した個人データ保護法制の一つとして知られている。 しかし、その法制が近年様々な批判を受けたため、欧州委員会は、現在包括的な修正案を検討しているところである。  今世紀の問題を適切に解決するために、法制の歴史的起源から今日までの進化を把握することが重要である。 2001年までの欧州連合の個人データに関する立法活動は、 主に経済と社会の発展に関する問題を解決するために行われてきた。 しかし、2001年以降、その立法活動の焦点は、著しく変わり、防犯・テロ対策のための個人データの共有になった。 残念ながら、欧州連合の「三つの柱」のシステムの影響で、 従来進化してきた法制は、比較的複雑かつ断片的な状態になってしまい、 個人のプライバシー権を効果的に保障していないとみられている。  その結果、現行のヨーロッパの個人データ保護法制は、様々な問題に対処するのに適当ではない。 しかし、最近、リズボン条約の影響で、より包括的な取り組みが可能になった。  今回の報告では、ヨーロッパの個人データ保護法制の起源から現在までの進化を検討し、 現在どのような修正が必要なのか、法制は今後どのように進化すべきかについて考察することにしたい。

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鳥澤円(大学院博士後期課程)「シグナリングとしての規範遵守」(2000年11月24日)

 社会秩序は諸規範によって維持されているが、社会規範は意図的に設計・執行されているものでもなければ、 どこからともなく降って湧いてくるものでもない。 協力そして秩序形成への志向性がある反復的行為に規範性を与えていくのであれば、それはどのようにしてか。 E. POSNER, LAW AND SOCIAL NORMS (2000)では、方法論的個人主義の見地から、 <シグナリング理論>を用いて社会規範の生成と変化が分析されている。 POSNERによれば、人は他者に、自分は協力的である、すなわち将来利得の割引率が低いとシグナルするために、 コストを要する行動を敢えてとる。 シグナリングの道具となる行動のコスト構造が適切であれば、それは模倣され、やがて行動の規則性が現れてくる。 これが社会規範である。社会規範は人々の協力を可能たらしめるが、その内容によっては集合行為問題 (各個人の利益には適っているある行為が結果として社会的不利益をもたらすという問題)を生み、 負の外部性を生むことさえある。 法はこのような状況を是正するために用いられるべきであるが、 社会規範のメカニズム(とその予測不可能性)を理解せずに適用されたなら、 むしろ状況を悪化させたり副作用を生んだりするリスクをもはらんでいる。 以上のような分析は、厚生主義の枠組をこえて、理論的そして実践的に意義を持つと思われる。

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鳥澤円(大学院博士後期課程)「社会規範と秩序形成」(2001年12月14日)

 本論文は、人々の相互作用のなかからいかにして規範が生じるかを探究する試みである。 社会規範すなわち自生的な規範は、共同体において生じると考えられる。 まず、5つのインセンティヴ構造上の問題類型(調整、所有、交換、集合行為、シグナリング)と そこから<コンヴェンション>が生じる可能性を分析する。 次にこれらのコンヴェンションがいかにして規範性を獲得するか、 そしてコンヴェンションが現われにくい状況で問題を解決する社会規範がいかにして現われうるかを、 4種のサンクション(構造的自己執行性、物理的サンクションと評判、他者の是認と期待、内面化)の検討を通じて考察する。 次に、ここまでのような個人的視点ではなく社会的視点からの社会規範の機能的説明を概観し、 ここまでの議論とあわせつつ人間の規範遵守行動そのものの仕組と意義を考える。 最後に、複数の共同体が重複しつつ共存する<大社会>を考えたときに、 これらの規範や協力形態がいかにして影響を与えあうかを推測し、 法と社会規範と<規範企業家>の関係について論じる。

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鳥澤円(大学院博士後期課程)「社会規範の探究―法の企ての基点」(2002年7月5日)

 本研究は、社会規範が人々の相互作用のなかからどのようにして生まれ、定着するのか、 そして、どのようにして個人が社会規範に拘束されるようになるのかを、探究する試みである。 法規範により社会規範を統御するという「企て」を実現し、 社会規範が法秩序を支える一方で人々の生活を深く豊かなものにするよう仕向けるには、 そして、それらの企ての実行可能性と限界を知るには、 社会規範の生成・変遷メカニズムを理解しておくことが必要である。 本研究はこのような問題意識から出発し、 合理的選択アプローチを用いた近年の研究を利用して コンヴェンション生成プロセスをインセンティブ構造に応じ類型化して分析したのち、 これらのコンヴェンションがどのようにして規範性を獲得してゆくか、 コンヴェンションが現れにくい状況で問題解決的な社会規範がどのようにして現れうるか、 コンヴェンションと社会規範はどのような社会的機能をもつか、 コンヴェンションと社会規範は複数の共同体を擁する「大社会」において どのように影響を与えあうかを考察している。

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内藤淳(大学院博士後期課程)「進化論的道徳・正義論/序説」(2001年10月5日)

 従来の社会科学で前提とされてきたような自律的・合理的な人間観を離れ、意志や行動の決定にあたって、 ヒトの無意識的・本性的な側面に注目する立場から社会や法の問題を考えたらどうなるか。 その取り掛かりとして、進化理論を踏まえた視点から道徳について論じた理論を概観する。
 進化理論では、遺伝子繁殖に向けて利己的に行動する存在として生物を捉えるが、R.トリヴァースは、 かかる利己的な生物同士の「互恵行動」から利他性・協調性が進化することを示した。 他方、R.アクセルロッドは、ゲーム理論を通じて利己的な個体に協調性が浸透していくプロセスを分析した。 これらの理論により、道徳に特徴的な利他性・相互協調性を、進化論的な生物の「利己性」から説明できる。
 人間本性と道徳との関係について、J.Q.ウィルソンは、人間には生得的なモラルセンスがあるとした上で、 道徳の遵守や善悪の区別はその背景にある感情に基づく、という。 一方、J.ケーガンは、発達心理的な側面から道徳を考察し、 先天的な認知能力の発達を通じて人が道徳基準を獲得するプロセスを分析している。 さらにR.フランクによれば、感情には、 意識的には把握していない潜在的な自己利益を確保する機能が進化を通じて発達しており、 ここから、公正へのこだわりや協力への動機づけが生じ、道徳行動が導かれる。
 このように、進化論に基づく考察を通じて、道徳や正義の基盤が、本性的・生得的な感情にあることが示される。 こうした観点は、今後、法や規範の文化的側面の検討、正義の感覚・心理の分析、 法の機能や具体的な法現象の生態論的考察など様々な方面に応用できると考えられる。

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内藤淳(大学院博士後期課程)「生物学による「法とは何か?」―法の自然法則―」(2002年5月24日)

 本発表では、昨今盛んになっている進化生物学の領域での人間研究に基づき、かかる視点から法がどのように理解されるかを、 その代表的・先駆的な論者であるR.D.アレグザンダーの理論を通じて考察する。
 「進化生物学的視点」の特徴は、生物を、繁殖のための利益追求主体と捉える点にある。 人間も、生物である限り、自らの適応度の最大化に向けて、 繁殖とそのための資源獲得を他者よりもたくさん実現するよう、 それに向けて一生の活動を行う存在と理解される。
 このような前提的人間観に立って、アレグザンダーは、人間集団の形成・構造の分析に基づき、 道徳の形成、法の成立とその内容的傾向を説明する。 まず、人間の集団形成は、他の動物と同様に捕食者回避と資源確保のために始まったが、 人間が自然的脅威を克服するのに伴い、他の人間集団への対抗がその最大の要因となり、 ゆえに集団規模の拡大が進んだ。 こうしてできた人間集団の構造を、アレグザンダーは、間接互恵システムと特徴づける。 これは、不特定の他の集団メンバーとの間での互恵的交渉を通じて、 各人が繁殖のための利益を獲得するという仕組みを言う。 その中で適応度を上げるには、なるべく多くの互恵関係を持つことが有利である。 従って、集団の各メンバーは、自分が互恵関係の相手として望ましいことを示すために、 周囲の他者に自らの「利他的性質」をアピールせねばならなくなる。 メンバー相互間のこの圧力が集団全体で規範化してできるのが道徳である。
 法とはこうして形成された道徳が明示化されることで生じるもので、 互恵の枠を外れた「極端に利己的な」行為に対して適応度上のマイナス効果(罰)を発生させ、 それによって集団内の間接互恵関係を安定化させる機能を持つ。 道徳や法によって秩序が維持されれば、集団の競争力が高まるので、 こうした規範を発達させた集団ほど他集団に対抗して生き延びる確率が大きくなる。 他方、法が実効性を持つには、当該秩序の下で集団メンバーの間に一定程度の利益が行き渡らねばならず (そうでないと利益を得られない者が反乱したり集団を離脱したりする)、そのために法は、 集団メンバー同士の「繁殖(資源獲得)機会の平準化」を内容的傾向とする。
 アレグザンダーのこのような理論は、検証や批判の余地も多いが、 進化の視点から法(や道徳などの社会規範)を理解するひとつの道筋を示すものである。 同様の視点による道徳や法の研究は、その後、他の論者からも試みられており、こうしたアプローチは、 今後さらなる考察や吟味を踏まえて法研究として発展する可能性がある。

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内藤淳(大学院博士後期課程)「人権の進化生物学的基礎づけ―「人間本性」をめぐって」(2003年10月3日)

 本報告では、昨今、進化生物学をはじめ、自然科学の各領域で、 人間が生物種として有する特性を解明する動きが進んでいることを踏まえ、 そうした知見に基づき「人権の基礎」を考察する。 「人権」は、国際的に浸透した法概念だが、反面、文化的・歴史的な相対主義の視点から根本的な批判を受けている。 そうした批判を念頭に、人権の基礎となる要因を、進化生物学理論に基づく「人間に関する事実の探究」を通じて、 人間の持つ普遍的な性質・特性に求めるのがここでの試みである。
 まず、議論の前提となる問題意識として、相対主義からの人権批判が、 人権の基礎をめぐる根本的な問題点を突いていることに加え、 規範的議論一般が内包する限界を示唆するものであることを強調する。 次いで、人権とはいかなる概念でどのような内容を持ち、 また、従来どのような「基礎づけ」の議論がなされてきたかを整理し、 その検討を通じて、従来の規範的議論では「基礎づけ」きれていない要素として、 「人間観」と「道徳的直観」の問題があることを指摘する。 それを受けて、近年の自然科学での知見を踏まえた「人間本性」の検討と、 「人権の基礎」に必然的に想定される「道徳的直観」がどこから来るものか、その起源と内容の特定を試みる。 具体的には、進化理論から生物一般の「本性」として示される「繁殖上の利益追求」が、 人間の普遍的行動原理(本性)でもあり、 それに依拠した各人の「利益最大化」性向から、人間に「道徳感覚」が発達したことを示す。 この「道徳感覚」に含まれる相互性や公正性に関する「べし」感覚が、 従来の人権論で言われる「道徳的直観」に相当し、 それが人権原理の必要条件を構成している。 こうした形で、人権原理の基礎に、 人間の生物的「本性」と「適応」として発達させた生得的な心的特質があることを示すと共に、 この種の「価値・規範の基礎づけ」の議論に、 進化生物学をはじめとする自然科学的な「事実」的議論が有用であることを示すのがここでの目的である。

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内藤淳(大学院博士後期課程)「「人権の基礎」論の課題」(2004年5月21日)

 本報告では、人権はなぜ認められるべきなのか、その基礎は何か、という問題意識に基づき、 法哲学や憲法学における従来の議論の中から「人権の基礎」を論じた諸説を比較検討し、 その問題点を探ると共に、人権を「基礎づけ」る上での課題を抽出する。
 法哲学の領域で「人権の基礎づけ」が図られる場合、 なんらかの普遍的・客観的原理に人権の基礎を求める考え方と、 そうした客観的な原理ではなく、価値を個々の人間の主観に基づくものとしつつ、 そうした個人間の対話や合意に人権を「間主観的に」基礎づける考え方とがある。 ここでは、前者の例としてアラン・ゲワースの理論を、 後者の例としてロベルト・アレクシーの理論を取り上げる。 ゲワースは、人間を「理性的・目的志向的行為主体」と捉えた上で、 その人間が「目的志向的」に行為するためには「自由と安寧」が必要になることから、 「自由と安寧」は、個々の「目的志向的行為主体」にとっては 「必然的な善」であり「権利」だとみなされると論じる。 それがすべての「目的志向的行為主体」に一般化されたものが「人権」である。 これに対してアレクシーは、個々に多様な価値観を持つ人間同士の「理想的対話」を通じた 「合意」に人権を基礎づける。
 他方、「人権の基礎」については、近年、日本の憲法学者の間で活発な議論がある。 その中で、佐藤幸治は、人間を「自律的存在」と見、その「自律性」を価値とする立場から、 各人が自律性を発揮するためのいわば条件整備として人権を基礎づける「自律能力基底的人権論」を唱える。 これに対して、阪本昌成は、人間を「自律的存在」と見ること、 そうした規範的意味を伴う人間理解に基づいて人権を考えることに反対する。 その上で、人間についての経験的理解として、これを「自己愛追求」的存在と捉える見方を提示し、 各人が「自己愛追求」過程を全うする、 そこに他者が干渉しないという効用に人権の基礎を見出そうとする。
 これらの理論は、近現代の法体系を支える基本的法価値である 人権の根拠を明確化しようとする点で評価に値するが、いずれの理論にも問題点が指摘できる。 その第一は、これらの理論で前提とされる人間観である。 ゲワースは人間を「理性的・目的志向的行為主体」と捉え、 アレクシーは「多様な価値観を持った合理的個人」像を想定し、 また、佐藤や阪本は「自律的」存在、「自己愛追求」的存在と人間を捉えて自らの理論を組み立てている。 しかし、人間をこのように捉えることの根拠はいずれの論者においても十分示されておらず、 かかる人間の捉え方が人間理解として適切か、正確かという問題が、 これらの理論の根本的課題として指摘できる。 他方、二点目として、人権がなぜ認められる「べき」ものなのか、 その規範性の根拠がこれらの理論では十分示されない。 この点を、ゲワースは「自由と安寧」の各人にとっての必要性に、 アレクシーは「理想的対話」という設定に、 佐藤は「自律性」が価値であることに、 阪本は「自己愛追求」過程をまっとうすること(自由)の効用に基礎づけているが、 これらはいずれも論理飛躍を含んでいたり、さらなる検討の余地が残ったりするもので、 いずれの理論でも人権の規範性が何から生じるかは未「基礎づけ」のまま残されている。
 総括すると、従来の「人権の基礎づけ」論では、 ①そこで前提とされる人間観、②人権の価値性・規範性の基礎、の2点が検討の余地ある課題として指摘でき、 これらの点の十分な追究が、人権の十全たる「基礎づけ」のためには必要である。 (報告者は、生物学的観点を取り入れて人間存在を根源的に考察・分析することが、 これら2点の課題解決に有用であるとの見解を有しており、 かかる観点からの「人権の基礎づけ」を別途論文にて試みている。)

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内藤淳(ジュニア・フェロー)「進化生物学的人間観と人権-国家関係」(2005年10月7日)

 R・ドーキンスの『利己的遺伝子』以降、 自然科学や心理学の領域で進化生物学的観点に立った人間研究、社会研究が盛んになり、 アメリカでは、そうした観点から法を論じる「法と生物学」なる研究も出てきている。 本報告では、進化生物学的な観点からの人間研究が法学(特に法哲学)の議論にどう関わるかを、 人権論を題材に―特にそこでの人権と国家との関係に焦点を当てて―述べる。 進化生物学的な観点による人間研究と言っても、そこでの視点や考え方は多様である。 その中で、本報告では、そこから提示される人間観に着目する。 すなわち、進化生物学の観点からは、人間は(他の生物と同じように)「自らの包括適応度の向上」すなわち、 自らの生存・繁殖のための利益を志向して生きる存在だという「利己的」人間観が提示される。 こうした人間観に立ったとき、 「人権の基礎」について従来とは異なる理解が得られることを示すのが本報告の第一の柱である。 従来の憲法学などでは、人間を理性や自律性などに特徴づける見方を前提に、 人権を「前国家的」なものとする理解が一般的であった。 これに対して、上述「利己的」人間観に基づく人間集団の分析から、人間の集団では 「メンバー全員に最低限の資源獲得機会が配分されること」が その存立のための重要な条件になるという指摘が進化生物学者によってなされている。 この「配分」原理が、近代国家という大集団において作用し、 それが規範原理として顕在化したところに「人権原理の究極の基礎」が見出せる というのが本報告で述べる「人権の基礎」理解である。 こうした見方に立つと、人権とは「前国家的」ではなく、国家と同時成立・不可分なものと解される。
 上の議論は、「人権の基礎は何であるか」という事実レベルの議論であるが、 こうした「基礎づけ」は人権をめぐる規範的・実定法的議論にも影響する。 このことを人権制約に関して述べるのが本報告の第二の柱である。 従来の「前国家的」人権理解からは、 「人権は国家に先行するものだから、国家は人権を制約・制限できない」という人権制約の基本原則が導かれる。 しかし、実際には、「重大な国益」に基づく人権への制約が見られるし、 それは学説の多くも是認するところである(例えば、外交機密に対する「表現の自由」の制約)。 これに対して、上述のように国家集団内での資源獲得機会の配分として「人権の基礎」を理解するなら、 人権が成立する前提に国家集団の存在が措定されるから、 「国家の存立を脅かすような形での人権の行使は制約可能」という 「国家存立基準」が人権制約の一般原則として導かれる。 この基準により、「重大な国益」に基づく人権制約が根拠づけられる。
 以上のように、進化生物学的な人間研究は「人権の基礎」に関する議論、 特に人権-国家関係の理解に大きな示唆を含むと共に、そこでの「人権の基礎」論は、 人権をめぐる規範的議論―「国益による人権制約」問題―にも関係する。

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内藤淳(ジュニア・フェロー)「ホッブズ自然法論の再生―正義を科学的に見出す」(2006年6月9日)

 自然法や普遍的正義の提示は古代より法哲学の根本課題であるが、 この種の主張に対しては、特に近年、(文化)相対主義の立場から厳しい批判が寄せられている。 それを踏まえて、現代正義論では、「善」と「正」を区別し、 異なる価値観を持つ個人間の「合意」に「正」の基盤を求める間主観的正義論が提唱されているが、 こうした主張も一定の価値観を前提に含んでおり、 価値観や価値原理の相対性を言う相対主義に対抗した正義原理の提示になっているとは言いがたい。
 相対主義に対抗して自然法や普遍的正義を見出すには、 (価値命題に依拠することなく)事実命題のみに基づいて価値・規範原理を導く方法が示されなければならない。 そして、その方法は、実はすでに、ホッブズの自然法論で示されている。 ホッブズは、事実命題として「人間本性」や「自然状態」を示し、それに基づいて、 人間の「本性」的目的を達成する方法として「自然法」とその中身を導出するという議論を行っている (内井惣七の指摘)。 ホッブズの想定する「人間本性」「自然状態」の内容には議論の余地があるが、 それらがより客観的に確定できるなら、 ここでの方法を用いて人間に普遍的な「規範」を導出・正当化する途が拓ける。
 この点、近年では進化生物学をはじめとして自然科学諸領域での人間研究が進み、 人間が生物として持つ普遍的な性質や特徴が科学的に示されるようになった。 そうした知見によると、人間は普遍的に(ホッブズの言う「自己保存」ではなく) 「繁殖」を目的として集団生活をし(よって自然状態は「万人闘争」ではない)、 その集団間で資源獲得をめぐって競争する存在であることが示される。 各人は、他集団に対抗して自分の「繁殖とそのための資源獲得」を確保するために集団生活をするので、 集団の中では各メンバーに少なくとも「最低限の繁殖資源獲得機会」が配分されなければならない。 (そうでないとメンバーに集団への抵抗や不服従、離脱が喚起され、集団存立が脅かされる。) つまり、「繁殖資源獲得機会の配分」は、人間の「本性」に基づく人間社会に普遍的な規範原理―「正義」―である。 それが社会規範・法制度として具体化したのが一夫一婦制や人権で、 これらは、集団のメンバーへの「配分」を現実化し、集団を安定的に維持する機能を担っている。

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内藤淳(国際共同研究センター非常勤共同研究員)「『自然主義の人権論』批評会」(2007年7月6日)

 広く知られている通り、近代以降の法理論は、 自然法思想における自然権概念や社会契約論の影響を強く受けている。 本書はこのうち自然権概念に基づく従来の人権理論を見直し、 自然科学を含めた新しい観点からの人権論を提唱するものだが、 こうした考え方は「社会契約」やそれに基づく国家や法の理解にも必然的に影響する。 その点の研究を今後、本「契約」研究プロジェクトの中で進める方針だが、その手始めとして、 本書での議論を倫理学や法哲学及び自然科学(心理学)の研究者から批評・コメントしてもらい、 その課題や問題点を明らかにする。

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永石尚也(大学院博士後期課程)「将来世代の存在論とそれへの義務内容について―四次元主義の観点から」(2014年1月10日)

 20世紀を代表するJ.ロールズの正義論は、社会契約の伝統に根ざしている。 彼の社会契約によれば、相互利益を期待する、 おおよそ力・能力・合理性において対等な諸個人間の自由な契約の結果として、 最適な資源配分としての正義を達成しうるとされる。 しかし、このような社会契約が (それ自体、理論的なフィクションであることは横に措くとしても、) 実践的な意味において、 法的・道徳的な要求を掲げることができない障碍者・外国人・動物・将来世代を適切に取り扱えないことは、 現在では批判の対象とされている。(特にM.ヌスバウムなど。)
 本報告は、この法的・道徳的な要求を掲げることができない者達のうち、 「非存在者」である将来世代に絞って、若干の検討を試みる。 将来世代は、 一応は現在のケアの対象として拡張しうる障碍者・外国人・動物という存在者とは異なり、 いまだ具体的には存在せず、 かつ、これからも存在するとは限らない「非存在者」であるため、 彼らへの義務内容についても別の考慮を要するためである。 検討の方法としては、主に、現代の分析哲学における時間論(四次元主義・永久主義)の諸説に加えて、 現代の倫理学者Th.Nagelのtimeless概念を検討することで、 将来世代に対する義務内容として、ありうるいくつかのパターンを比較検討することとしたい。

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永石尚也(大学院博士後期課程)「功利主義と将来世代の権利」(2015年7月17日)

 本報告では、将来世代の権利というトピックが、 権利概念一般を分析する上でどのような意味で有益な指標になるのかについて、 Tim Mulganの諸著作("Ethics for a Broken World"など)を題材に概説する。 おりしも報告者が、権利論に関する学部生向け倫理学の教科書(2016年刊行予定)における1章 「将来世代の権利」についての項目を執筆することとなったため、 当該学習上の位置付けを意識した導入的な目的に適っているかを検討する機会ともしたい。
 さて、通常、権利を確定・正当化するにあたっては、 立法における決定の契機と司法における決定の契機が論じられる。 ここから、将来世代の権利の問題は一般的に、 上記決定に参加できない利害関係者の利益をいかに取り込むべきか (あるいは現代世代に対する負担を課すものとして取り込むべきでないか) という問題として論じられてきた。 Mulganは、このような決定と結びついた正当化に頼らない権利導出の方法として、 功利主義的立場から世代間正義の問題を論じている。 この立場は、道徳的な善さを理由ベースで基礎づけようとする倫理学における D.Parfitなど近時の倫理学上の主潮流に通じるものでもあり、 取り組むべき意義が大きいものと思われる。 そこで、本報告において整理することとしたい。

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永石尚也(大学院博士後期課程)「法的因果における行為者性について」(2016年12月9日)

 本発表は、法的因果関係の説明における行為者性(agency)について、 近時の本邦刑法学における過失不作為犯に関する諸議論に照らして検討する。 検討にあたっては、刑法学において直接参照されることの(やや)少ない 英米圏における因果・行為の哲学における議論(cf. M. Bratmanなど)との理論的接続を図る。
 本発表で取り上げる比較的近時の本邦判例は、下記の通りである。
 ・裁決平成28年5月25日刑集70巻5号117頁(渋谷温泉爆発事件)
 (関連判例として裁決平成21年12月7日刑集63巻11号2641頁(人口砂浜陥没事件))
 ・裁決平成24年2月8日刑集66巻4号200頁(三菱自工製トラック車輪脱落事件)
 ・裁決平成22年10月26日刑集64巻7号1019頁(日航機ニアミス事件)
 一般的にこれらの判例はそれぞれ、因果関係の基本的部分の予見可能性、 不作為と過失、過失犯における因果関係について判示したものと解されている。 本発表ではこれら判例について、 保障者としての行為者に対して行為規範として何を求めることが許されるか (仲道祐樹の言葉を借りれば、「オーダーメイド」の規範の限界はどこまでか) という観点から、若干の整理を施したい。
 なお、本発表の範囲を超えた展望として、 リスク社会化の進展および技術の道徳化(cf. P. Verbeekなど)によって 行為者性がどのように影響を受けうるかという問題も生じうると思われる。 この点については本発表では直接は触れないものの、 発表に先立つ疑問として予め提示しておきたい。

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永石尚也(大学院博士後期課程)「対応者理論を用いた非同一性問題への応答とその批判」(2017年12月1日)

 法は、現在の諸個人の行為を統制し、促進し、 紛争解決や資源配分を行うための社会制度を構築するとともに、 広く世代間正義として論じられる時間を跨いだ問題をも取り扱う。 しかしながら、 パーフィットによって広く知られるところとなった非同一性問題 (及びその派生問題)が示すように、 時間を跨いだ問題が「誰」にとっての問題なのかという問いは、 解決策の選択を膠着させる問いとして現れる。 存在しうる可能性は存在者ではない以上、 具体的な不利益が及ぶ対象を特定する理論が選択されねばならない。
 本発表は、この非同一性問題に対する応答の一つとして、 2012年に発表されたクリストファー・ミーチャムによる対応者理論を用いた応答 (及びそれへのデイヴィッド・ブーニンによる批判)を検討する。 これは(ミーチャムが飽和条件と呼ぶ) 福利を享有する主体を選び出すプロセスに特徴があり、 これを用いることで将来の存在における害を最小にする視座を提供できるとする。 この応答の利点には、 第一に、我々の人格影響的な直観を放棄せずこれに適合する点、 第二に、起源にまつわるパズルや同一性にまつわるパズルを回避する点がある。 この一方で、 存在の同一性についての直観に反した前提は受け入れがたいとする反論を招いている。
 以上を踏まえ、未来という時間における法的な権利の主体とそれへの義務を検討する。 なお、この議論の射程が、 胚の道徳的地位や遺伝子編集技術に及ぶことについても付言する。

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永石尚也(ジュニアフェロー)「リスク社会を背景とした「前向きの集団責任」の諸例と評価」(2018年4月27日)

 立法、裁判所での判決、行政的決定を通じ、 法はリスク配分のシステムとして機能するとともに、 リスクの配分・規律の仕方自体を構成するシステムとしても機能する。 しかし、後者については、 事実として被影響者たる一般人のリスク評価・ 当事者固有のリスク認知を決定段階で避けることができない点に加え、 そもそもリスク評価の前提たる有意水準の設定においても 社会的コンセンサス・価値判断が入らざるを得ない点、 集団内・集団間におけるリスクトレードオフのみならず 時点をまたいだリスクトレードオフが頻出する点など、 「リスク社会」(※主に報告ではルーマンを念頭におく)に付随する問題が表面化する。
 本報告では、 本年3月に一橋大学に提出した学位論文で提示した論点に重ねつつ、 上記問題の解決として提案されてきたいくつかの回答 (専門家統制、予防的アプローチ、熟議民主主義、監視の全面化と徹底など) を批判的に検討する。 その上で「前向きの集団責任(forward-looking collective responsibility)」 と呼ばれる比較的近時の議論を基礎として、 いくつかの例とともに、 不確実性・リスク認識を共有する枠組みを試論的に提示する。

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永田千晶(岩手大学大学院修士課程)「中近世ドイツ法制史と法書の概観―特にザクセンシュピーゲル、クラークシュピーゲルに関して(2013年12月20日)

 主に12~13世紀のヨーロッパでみられる法源の類型の一つに、 「法書(Rechtsbuch)」と呼ばれるものがある。 通説的な定義によれば、法書とは、 法知識を有する者が自らの地方の不文の慣習法について私的な名義で編纂した法の採録であるという。 ドイツにおける代表例としては『ザクセンシュピーゲル(Sachsenspiegel)』が挙げられる。 しかしながら、ザクセンシュピーゲルに関しては近年、 法書の定義からは外れた特徴を有しているのではないかとの指摘がなされるようになっている。
 時代こそやや外れるものの、法書として挙げられることのある文献に『クラークシュピーゲル(Klagspiegel)』がある。 これは、ローマ法についての手引書であり、 人文主義法学者ゼバスティアン・ブラントによって1516年に刊行し直されたものだといわれている。 本報告では、これら2つの文献の概要、そして「法書」の生み出された時代背景についてを大まかではあるが提示し、 法書の定義を再考するための手掛かりの一つとしたい。

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永田千晶(大学院院博士後期課程)「クラークシュピーゲル(Klagspiegel)にみる刑法「総論」―中近世ドイツ刑事法史の観点から(2015年6月15日)

 『クラークシュピーゲル (Klagspiegel)』は、 1516年にゼバスティアン・ブラントによって刊行し直されたローマ法の手引書で、 本来の版は1425年に無名の都市書記によって著されたされる。 この文献の第一部では民事法が、第二部では刑事法が扱われている。
 ドイツにおけるクラークシュピーゲル研究の第一人者Andreas Deutschが近年示した見解によれば、 クラークシュピーゲルの第二部には、 刑法「総論 (Allgemeiner Teil)」や故意/過失、未遂についての抽象的な記述がみられるという。 しかしながら、この見解は、 ドイツ刑法に総論や故意等の抽象的な記述が現れるのはより時代が下ってからである、 との伝統的理解に真っ向から対立している。
 本報告では、刑法総論のうちとりわけ故意/過失、未遂にトピックを絞り、 クラークシュピーゲルの記述に「総論」性がみられるか否か、限定的ではあるものの検討する。 「総論」性に関しては、 記述の各概念の記述に多少なりとも抽象性が見受けられること(抽象性)、 定義的な記述が他の箇所での事例や解説にも妥当するものであること(一般性)、 との2点に着目して評価を行いたい。

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永田千晶(大学院院博士後期課程)「中世慣習法書における刑事法の比較(2016年6月10日)

 「法書(Rechtsbuch)」とは本来、 主として12-13世紀のヨーロッパでみられる法源の一類型であり、 通説的な定義によれば、 法知識を有する者が自らの地方の不文の慣習法について私的な名義で編纂した法の採録であるとされる。 しかしながら、 「法書」と称される著作の一つとして、 時代のみならず内容も異にしているにもかかわらず、 近世ドイツにおけるローマ法の手引書『クラークシュピーゲル(Klagspiegel)』が挙げられることがある。 それゆえ、本報告の目的は、 クラークシュピーゲルの位置付けを探る手がかりを得るべく、 代表的な中世の法書へと立ち返ることにある。
 本報告では、12-13世紀のドイツ、フランスおよびイングランドを代表する法書、 すなわち、ザクセンシュピーゲル、ボーヴェジ慣習法書、およびグランヴィルの3つを扱う。 これら3つの法書における刑事法の法文 —具体的には、謀殺、故殺、窃盗、強盗に関する法文— を比較することを通じて、 それぞれの法書にみられる記述の特色を大まかに浮かび上がらせたい。

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中村元彦(大学院修士課程)「中台両岸関係の分析―「一国二制度」と国家連合の可能性(2001年10月19日)

 現在、中台両岸関係において、中国側は「一国二制度」を主張するが、 台湾側は国家主権の確保は譲れないとしている。 「一国二制度」構想が提起されてから今日までの間に台湾は大幅な経済発展を成し遂げ、 資本主義的民主化も成し遂げた。 また中国は改革開放政策のもとで経済発展を成し遂げ、 両者とも「一国二制度」構想が提起された時点と状況が大幅に変化している。 しかし、現在の中台両岸を取り巻く世界的潮流は、台湾にとって、非常に不安定な状態にある。 そのため、本報告では、統一という観点から出発して、「一国二制度」構想と他の統一パターンについて検討する。 台湾の主張する「対等な国家主権」と中国の主張する「一国」を両立させる選択肢として、国家連合が挙げられる。 国家連合に対しては、中国側は一貫して拒否してきたが、最近の万里発言によると、可能性も残されている。
 国家連合は中国社会主義の原則である、単一制、人民民主独裁、民主集中制に真っ向から反対するものではあるが、 その理屈から言えば「一国二制度」構想、改革開放政策自体も成立しないものとなる。 また、2000年の立法法成立、2001年の中国共産党入党資格の変更などに見られるように、 中国自身の社会主義理念が変化しつつある。 そのため、社会主義の側面から中国の台湾統一に対する正当な説明はもはやできなくなっており、 国家連合という選択肢の可能性も残されている。

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西嶋友基 (大学院修士課程)「道徳相対主義の特質について―David Vellemanの定式化を中心に」(2023年12月1日)

 メタ倫理学において、道徳が実在しているのか/実在しているとしてどのように道徳は実在しているのかという、 道徳的実在の問題はよく問われてきた。 本報告では、道徳は普遍的には存在しないが、 相対主義的な形で存在するという、 道徳相対主義の立場について検討する。 その際、近年注目すべき論者の一人であるDavid Vellemanの道徳相対主義に着目し、 道徳相対主義の魅力と懸念点について見ていきたい。

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西村幸次郎 (一橋大学教授)「中国の民族法制と民族風情―昨夏の視察・交流を素材に」(2001年7月6日)

 昨年7月下旬~9月下旬の約2カ月間、一橋大学後援会の援助を受け、 内蒙古大学法学院を拠点に、中西部の各地と北京を訪れた。 風光明媚の大自然を堪能するとともに悠久の歴史と近現代史の一端に浸り、民族色の濃厚な料理・酒、風情を味わった。 特に、印象的なこととして、黄土高原の厳しさ、黄河の渇水、長江造林、西部大開発、 砂漠化などの環境、自然保護の問題、ラマ教徒の五体投地、 民族の大雑居・交錯集居の居住状況に触れたこと、互助土族自治県(青海)において 蒙古族の末裔といわれる土族の「進門三杯酒」による歓迎を受けた後、 伝統的婚礼(儀式、料理、歌舞)を体験した。 さらに、座談会、「中国・ノルウェー第1回中国民族区域自治制度シンポジウム」、 講演などを通じて諸民族の研究者・実務家と交流の機会を得た。 話題は民族法制研究の重要性、国家法と民族法の関係、チベット族の賠命價・鳥葬の内容、 草原法の問題点、民族区域自治法の改正、 西部大開発と経済財政自治権の関係、中華民族の多元一体論、少数民族の言語文字の保護と創設、 法治化・市場経済化における裁判官・弁護士の地位・役割の向上などに及んだ。

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西森亮太 (大学院修士課程)「リバタリアニズムの教育理論―私事としての教育に関する一考察」(2004年11月19日)

 一般に教育は、私人の自由な活動が妥当する領域ではなく、 国民の意思を背景とする公権力が一定の役割を果たすことが期待されていると考えられている。 すなわち、教育は公共財としての性格を有するとされ、各個人の私的決定に任せれば、 社会全体として適切な水準の教育が普及しないおそれがある。 それ故、社会全体の利益を考慮して公権力が適切な水準の教育を子どもに行うべきことを すべての国民に強制する必要が生ずるとされる。 また、教育権の所在をめぐる「国家教育権」説か「国民教育権」説かという従来の議論は、 斯かる公教育という枠組みを前提としてあるべき公教育の確保の方法の如何をめぐって争われたものであり、 その意味で公教育を確保するという点で一定の考えが共有されていたといえる。
 然り乍ら、近代国家においては、知識・思想などの取得や流通にかかわる活動は、 私人の自由に委ねられるのが原則である。 また、経済学上の定義に従えば、「排除不可能性」と「消費の集合性」を備えない教育サービスは、 公共財には該当しないのである。
 本報告はリバタリアニズム(自由至上主義)の立場から、 公教育制度に対し批判的考察を試みるものであり、一考を煩わせるべく捨石を投じておきたく思う。

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芳賀真一(大学院修士課程)「租税法における効率と公平―ストックオプション課税訴訟を例に」(2003年11月21日)

 租税法の分野においては、その解釈にあたって法的安定性が特に重視され過度に文理解釈にこだわる傾向がある。 しかし、租税法適用の対象となる経済取引は刻々と変化しており、文理解釈による解決は困難であることが多い。 そこで、ポズナーが指摘する「法を、ある特定の目的を達成するための手段と考え、 解釈に際して便益とコストに注目する」方法を用いることによって問題の解決を図る。
 例えば、「ストックオプション課税訴訟(東京地裁平成15年8月26日判決)」における議論は、 それぞれの所得の「定義」から答えを求めようとしているため非常に難解なものとなっている。 これを、「給与所得(あるいは一時所得)を他の所得と区別して取り扱う目的、 およびそのように取り扱う便益とコスト」に注目することによって、より素直な解決が図れるのではないか、と考える。
 しかし、この手法にも問題点がある。 第一に、法規の目的がハッキリしない場合、または、そもそも法規が目的達成に適していない場合がある。 第二に、「公平」と「中立」といった複数の目的が対立する場合がある。 このようなケースにおける解決法を探る必要がある。

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萩原隆太(大学院修士課程)「香港基本法解釈権の事例研究―民主化をめぐる動きを中心に」(2017年1月20日)

 香港返還以来、 「一国二制度」の方針のもと中国の急激な経済成長とも相俟って大陸との経済融合を繰り返してきたが、 とりわけ政治体制の相違は本質的であるが故に 度々香港基本法(以下:基本法)における理論と実践に関する問題が噴出してきた。
 基本法は、一方で「高度な自治権」を保障し普通選挙化についても将来的目標として明記するなど一種の妥協がみられる。 他方で、基本法解釈権を全国人民代表大会常務委員会(以下:全人代常委)と香港法院に分割して付与しているため、 一国二制度下での両者の権限区分が必然的に干渉しており争いへと発展してきた。
 本報告では、香港基本法が想定する解釈権の基本構造について解説し、 最新事例(判例)である「議会宣誓不成立による議員資格喪失問題」にも言及しながら 修士論文を想定した研究動向について報告を行う。

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萩原隆太(大学院修士課程)「香港基本法における解釈権問題の変容―立法会宣誓問題による政治問題の「法化」」(2017年10月6日)

 基本法解釈権は香港基本法に規定されているものの、 中国憲法も含めて基本法解釈時に採用される原則については明らかと言えない。 その為、返還後五回にわたる解釈権行使では、 適用された事件の背景もさることながら、 解釈権の運用方法さえも異なっており、 解釈権行使に一貫性は無いといえる。
 よって、中央政府は個別具体的な事件における、 とりわけ民主化問題として社会的論争性の高い問題は迅速かつ強行的に解釈権行使しており、 基本法解釈の持ちうる拘束力をもって政治問題を「法化」し問題解決を図っている疑いがある。 さらに、法解釈自体も常に客観性を維持しているとは言い難く、 法的安定性が損なわれると同時に、 香港における司法の独立をも侵されかねない危険性をも孕んでいる。
 本報告では、香港基本法 (以下:基本法)第158条に規定される解釈権について、 解釈権行使の最新事例である「立法会宣誓問題」を軸に、 解釈権行使による政治問題の「法化」について検討を加える。

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萩原隆太(大学院博士後期課程)「香港における「法治」の変容―立法会宣誓事件を事例に」(2018年6月8日)

 本報告では修士論文の要旨と成果に加え、 今後の展望および研究動向についても報告を行う。
 大規模な反政府運動として知られる雨傘運動の発生以降、 香港では「港独(香港独立)」をも視野に入れた新たな政治勢力が誕生すると共に、 こうした勢力による議会進出が進んだ。 しかし、就任宣誓の有効性をめぐり中央政府から当該議員の失職確認を求める訴訟が提起されると、 これに追随する形で中央政府による基本法解釈が行われた。
 基本法解釈とは、 香港域内にて「小憲法」とも称される基本法の法解釈そのものであるが、 基本法の規定からは解釈の細則は明らかとは言えず、 中央政府による社会的論争性の高い問題に対する迅速かつ強行的な解釈権行使が問題視されてきた。
 本件においても、法解釈の内容もさることながら、 第一審判決前に基本法解釈がなされるなど、 香港にとって重要な価値とされてきた「法治」が 中国的な「依法治国」に変容しつつあることを論証した。

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萩原隆太(大学院博士後期課程)「香港における法治の様相―香港国家安全維持法施行後の司法と社会」(2023年9月15日)

 2019年の香港における大規模抗議活動で見られた警察による過剰な実力行使、 更には香港において憲法の役割を持つ香港特別行政区基本法に規定された違憲審査制の仕組みを飛び越えて、 全国人民代表大会常務委員会の全面的且つ無制限の法解釈権を認めた香港国家安全維持法の導入など、 近年、香港法と中国法の衝突を招いた国家の安全と自由をめぐる問題の原因は、 「法治の違い」にあるもの、と考えられる。 さらに、こうした「法治の違い」は、香港社会に法治をめぐる政治対立と分断をもたらし、 司法への信頼低下、さらには攻撃といった問題にまで派生しつつある。
 本報告では、法治に係る国際NGOの調査、 香港当地シンクタンクの世論調査を手がかりに、 香港における法治の様相を概観するとともに、 国安法下及びコロナ禍での法制定・執行、判決を例に、 香港における法と社会の変容を明らかにする。

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白抒梅(大学院博士後期課程)「中国国有資産管理運営体制における法的問題点」(2000年6月23日)

 本発表では、経営性の国有資産を研究の対象に限定して、 中国の国有企業の改革(「放権譲利」、「請負責任制」、「株式化」)を軸にしながら、 国有資産における管理運営体制の変遷を振り返り、 今日行われている国有資産に対する改革である「三級国有資産管理体制を明らかにし、 さらに、その改革の問題点を指摘した。 このように国有資産管理運営体制に焦点を当てた核心は、 ひいては中国の政治行政改革に迫ることにある。

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白抒梅(大学院博士後期課程)「中国の社会保障制度の変容―国有企業改革との関連において―」(2002年1月11日)

 社会主義を掲げている中国には、国有企業改革によって、 公有制概念の拡大による伝統的な社会主義は変容されるに至った。 本質的にいえば、公有制概念の拡大とは、私有制で生まれた株式制度を中国へ導入しつつ、 社会主義という看板を掲げられるための理論的な道具にすぎない。 つまり、社会主義に対して、現在の中国は、市場経済を推進するために、 形式上かつ理論上解釈をしたにすぎないと指摘できる。 しかし、現状に目を向けると、今日の中国では、 伝統的な社会主義の特徴をかなりの程度失っているばかりか、 配分の平等という局面が根本から打破されている。 経済が完全市場化され、個人および個人に類する各種資本が急速に成長し、 貧富の差、農村と都市の格差が多くの地域では次第に拡大しつつある。 日本をはじめとする先進諸国と比べると、 社会福祉を通じて平等な機会と収入をもたらすという点において、大きく引き離されている。 人民が、権利、地位、機会、特に配分の面において資本主義より多くの平等を享受できないようなら、 それは社会主義とはみなし得ない。 経済と社会の平等、公正を実現するのは、社会主義の本質である。 したがって、これからの中国は、社会主義の本質を追求すべきであるため、 社会保障制度の整備、改善に力をいれるべきであることはその第一歩であるといえる。 換言すれば、社会保障制度を整備しない限り、中国は社会主義を掲げる意味は全くなくなるといえるだろう。 また、社会保障制度を整備すれば、国有企業の改革も促進できるといえる。 つまり、巨額な企業負担を減らすことが企業経営効率の向上に位置付けられるのである。
 本発表では、国有企業改革をはじめとする経済体制改革の中で、特に1992年以後すさまじい市場経済化に伴って、 中国の社会保障制度はいかに変わってきたのか、その経緯、概要を整理して、問題点を明らかにしたい。 社会保障制度には、社会保険制度以外に、貧窮者、障害者、被災者の社会救済、社会福祉なども含まれている。 ここでは、社会保障の大きな柱となっている社会保険を国有企業改革との関連において中心にみていきたい。

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白抒梅(大学院博士後期課程)「中国の国有資産管理体制への法的思考」(2002年11月15日)

 中国は社会主義を国家の政治・経済制度の基本原則としている。 そして、中国憲法には「中国の社会主義経済制度の基礎は生産資料の公有制である」と明記されている。 1949年の中華人民共和国建国以降の「毛沢東時代」において、公有制を実現させるための社会主義の実践は、 都市部における国有企業化、および農村部における人民公社化であった。 当時の国有企業は悪平等と非効率という弊害を抱えていた。 1978年中国共産党第11期3中全会において、鄧小平の主導下、「改革開放」の方針が提起され、 これによって国有企業の改革も始まった。 国有企業の改革は「放権譲利」、「請負責任制」の改革から、「株式制度」の導入まで行われてきた。 株式制度の実施は低迷しかつ非効率であった国有企業を救うのが目的であったし、 また、それは国有企業改革のために用いられうる残された最後の手段であったといわれている。
 しかしながら、株式制度の実施の結果をみれば、それは国有企業の経済効率の改善に役に立った一方で、 いくつかの弊害ももたらされた。 その最大の問題は中国の国有資産の流失である。 とくに、国有企業の財産は全人民に所属しているものの、「経済自由化」の裏で、 国有資産の流失が公然あるいは秘密裡に発生し、 経営者と管理者のモラルハザードの問題が問われている。 国有企業改革を推進しながら、国有資産の流失を防止しなければならない中国では、 現在、国有資産管理監督体制を構築する改革が進められている。
 本報告はこの国有資産管理監督体制の改革に対して法的側面から検討し、 国有資産管理監督体制には問題点を指摘するだけではなく、 その背後に、より本質的な問題が潜んでいるのではないか、 換言すれば、「経済自由化」の過程にある中国においては、 自身が掲げている固有の公有制という理念そのものに問題があるのではないかと考察するものである。 そのような検討を通じて、中国の国有企業改革の将来を展望し、 その理論的根拠を提供し、さらに実践的な面から提案を行う。

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白抒梅(大学院博士後期課程)「中国の国有企業における国有資産管理制度の法的研究―政府と企業の間の「責・権・利」の視点からの考察―」(2003年11月7日)

 1978年12月に鄧小平は中国の改革開放を提起し、経済体制改革が始まった。 これによって、中国社会には巨大な変化がもたらされた。 国有企業における国有資産管理制度の変遷はその変化の一つである。 中国の社会主義的経済制度の基礎は、生産手段の公有制である。 毛沢東時代の中国は公有制を全面的に実現したため、 殆どの生産手段が全人民所有のものになり、私有財産の存在は認められなかった。 国有企業の資産は当然国家所有権の客体であり、当然全人民のものである。 中国では、国有企業の資産監督管理が社会問題として提起されたのは1980年代の後半である。 以前の国有企業は政府によって完全に所有・支配されていたため、国有資産の管理危機はまったく現れていなかった。 しかしながら、1978年の改革開放以後、こうした状況は変化し、 さらに、1992年10月中国共産党の第14回大会で社会主義市場経済体制の確立という方針が打ち出された。 それに伴い、中国では市場経済が推進され、国有企業改革も市場経済のメカニズムに適応できるような、 政府の統制から独立した法人になるという目標が目指された。 この目標に向かって、国有企業改革は、「放権譲利」から、「請負責任制」を経て、「株式制」にまで進められてきた。 この改革に伴い、国有資産監督管理制度は、企業に対して、 政府の完全所有・支配から、政府が所有権を有するが、経営権を企業に与えるようになり、 さらに、政府が有する所有権は株式制度の導入によって株主権に変わった。
 この変化によって、国有企業が政府の統制から独立した法人になりつつある一方、 国有企業の資産が公的所有から私的所有へ流失しつつある問題が表面化してきた。 国有資産の流失によって一部の人々は大金持ちになった。それと対照的に、 多くの国有企業の従業員がリストラされ、失業者になった。 国有企業の資産は全人民のものに属する。 国有資産は少数の人々へと大量に流失し、中国社会にきわめて不公平をもたらした。 市場経済の中で、企業が政府の統制から独立しつつある一方、 企業のインサイダー・コントロールの発生、政府の監督メカニズムの不備などにより、 国有企業の国有資産の流失が起こり、国家と全人民の利益を侵害するようになった。 他方で、政府が企業の国有資産を監督管理すると、企業の自主経営に干渉することになり、 政府と企業の分離ができず、国有企業改革の目的の一つである、 政府の統制からの企業の独立を達成することができない、という悪循環に陥ってしまう。 この問題は国有資産監督管理体制における最大の難題であるといえる。
 市場経済に向かいつつあり、中国の法制度は伝統的社会主義法から 私有制下の市場競争原理に基づいた近代法に転換している。 この過程における法の衝突と矛盾を典型的に反映しているのは、 国有資産監督管理制度の変遷、すなわち国家所有権から国家株主権への転換にあり、 国有資産監督管理制度の形成、確立のプロセスにある。
 この研究を通して、以下の問題に焦点を当てたい。 ①市場経済に移行しつつある中国の法制度は、いかに変容、改善されてきたのか、 ②近代資本主義法を吸収する過程で生じた法の衝突や矛盾といった問題を、どのように解決しようとしてきたのか。 ③その法制度の確立のプロセスにおける最大の問題である国家所有権、 社会主義の核心を根本的に問いかけ、その限界性を指摘したうえで、 中国にとっては最も重要なものは何なのかについて、探求する。
 上述した問題を明らかにするために、国有資産監督管理制度の研究を用いる。 第一に、国有企業の国有資産監督管理体制の変遷、現行監督管理制度の枠組、 およびその問題点を法的視点から検討することによって、 国有企業における国有資産監督管理制度の全体像を明らかにするとともに、 この過程では、国家所有権はいかに国家株主権に変わっていたのか、 変えられた国家株主権は、国家所有権から切り離せるのか、相互の葛藤、衝突、矛盾を浮き彫りにする。 第二に、国有資産監督管理体制の確立のプロセスにおいて、 政府と企業の間における国有資産に関する法的関係の調整、改革について、 政府と企業の間の「責・権・利」の変化を中心に考察し、国家所有と市場経済の混合によりもたらされた国有資産流失、 「政企分離」というジレンマはいかに解決されてきたのか、を検討する。

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早川美希(大学院修士課程)「法継受論について―国民の刑事司法への参加制度をめぐる議論から」(2003年10月7日)

 昨今のグローバル化の影響から法の継受のあり方が変容するにつれて、 従来の法継受論にかわる新たなアプローチを模索する傾向が強くなってきている。 この背景には従来の法継受論に対する行き詰まり感と同時に、 法整備支援活動などの観点から法継受に関する理論の洗練に対する期待が大きくなっていることが考えられよう。 このような状況を受けて、継受法の「機能」に着目した議論の可能性について考察することを目的として本報告を行った。
 従来の法継受論と「機能」を中心に据えた継受論との相違を明らかにするために、 国民の刑事司法への参加制度(陪審法および裁判員制度)という具体的な事例について、 それぞれの成立の過程で行われた議論の中での法制度の「機能」という側面の扱われ方と、 実際に成立した(しそうな)制度などを比較すると、 少なくとも「機能」という点に着目する限りでの「実質的継受性」は、 陪審法よりも裁判員制度の方が強いように見受けられる。 法制度の「機能」という多面的な要素の中のどの部分を問題とするのか、 「実質的継受性」のより明確な判断基準をどこに求めるのかなど今後の課題とすべき点も多く存在するが、 「継受後」の問題とされてきた法制度の「機能」という観点から考えることによって、 従来曖昧なままにされてきた「継受」概念のより明確な把握が可能になり、 現在における法継受研究の実体法学への貢献といった実際的な期待に答えることがより可能になるのではないか。

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樋口一磨(大学院修士課程)「法廷弁論技術としてのレトリックの誕生」(2001年1月12日)

 レトリックは古代ギリシアにおいて、民主制の発展に従い、専ら勝訴を得るための技巧的な手段として誕生した。 そして、快楽のみを目指し厳密な知識に基づかないものは技術とはいえない、というプラトンの批判や、 レトリックを倫理・教養の原理として位置付けるイソクラテスの理念を踏まえて、アリストテレスがこれを組織化した。 ローマでもレトリック教育は盛んになり、複雑で非現実的な法的論題を用いて訓練が行われていた。 こうした歴史を辿ることで、法的議論が生来的にレトリカルであったことを知ることができる。

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廣江倫子(大学院博士後期課程)「返還後の香港法をめぐる状況―馬維馬昆事件および居留件事件を中心に」(2000年6月23日)

 返還後香港においては、「一国両制」政策が実行され、 その政策は「中華人民共和国香港特別行政区基本法」という形で、法文化された。 返還後法制度について、基本法は、香港の独立の司法権と終審権(2条)、 従来の法律の維持(8条)、中国法の不適用(18条)、 従来の裁判制度の維持(81条)を規定するように、それが指向するのは、香港の現状維持であると考えらえる。 しかし、法の側面における「一国両制」政策、および基本法の正確な態様は、 返還後基本法の運用を注視することでしか明らかにされない。 そこで、本報告では、香港法院の裁判管>轄の範囲が問われた、馬事件、 および基本法解釈件の帰属がとわれたいわゆる一連の居留権事件の考察を通じ、 基本法の運用および、返還後香港法が抱える諸問題についての指摘を試みる。

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廣江倫子(大学院博士後期課程)「「法の支配」と香港―違憲審査制度を手がかりとして」(2001年6月8日)

 本報告では、香港における違憲審査を対象として、特に香港返還を契機とした活発化の側面に焦点を当てつつ、 違憲審査の発展に伴う人権保障の強化、香港における国際人権の受容について考察を行った。
 返還以前の香港における憲法はいわゆる開封勅許状(Letters Patent) および王室訓令(Royal Instructions)であり、 前者は植民地総督の設置および植民地総督の一般的な権限(例えば植民地の平和、秩序および良好な管理のための立法、 土地の付与、公務員の停職あるいは解雇)、行政評議会および立法評議会の設立について規定したものである。 後者は、前者を補足するものであり、立法評議会と行政評議会についての詳細な規定、 法律制定の際の規則等について規定していた。 香港返還以降は、香港特別行政区基本法が実質的な憲法となった。 香港基本法は、中国と香港の関係を規定するのみならず、政治制度、経済制度、司法制度、 居民の基本的権利と義務といったさまざまな規定を置く包括的な憲法である。 ただし、香港返還直前には国連のいわゆる自由権規約を国内法化した 香港人権法案条例(Hong Kong Bill of Rights Ordinance、 以下香港人権法と称する)が、その「特別保障(entrenchment)」によって 憲法としての地位を持つことにもなった。 これに従って、香港における違憲審査の発展は三つの段階に分類しうる。
 第一が、1991年の香港人権法制定までの時期である。 第二が、1991年の香港人権法制定から香港返還までの時期である。 第三が、1997年の香港返還以降から現在にいたる時期である。 本研究では、上述の3つの時期に分けて、考察を行った。

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廣江倫子(大学院博士後期課程)「「一国両制」のなかの香港法」(2002年11月1日)

 本研究は、返還後香港における「一国両制」政策に伴って香港に新たに創出されることとなった中国との関係について、 「一国両制」政策を法典化した香港基本法が規定する両者の関係を定めた制度から、 基本法解釈権の帰属および香港法院の裁判管轄権の範囲に焦点を当て、 香港返還後に中国と香港の間で対立的な論争を誘発した基本法訴訟の検討を通じて、 その現状および課題を探求することを目的とするものである。
 具体的には、返還後に早くも中国と香港の論争を呼んだ分野である、以下の論点について取り扱った。 (1)香港基本法解釈権の帰属問題。(2)香港法院の裁判管轄の範囲の問題。 裁判管轄の範囲に関しては分析の視覚を分け、一つは中国の全人代および全人代常委会の立法行為ならびに決定に対して、 香港法院が基本法を根拠として違憲審査を行いうるかという違憲審査権の限界の問題、 二つは、刑事裁判管轄の配分が中国と香港の間で正式に取り決められていないなかにおける、 香港基本法を根拠とする刑事裁判管轄権の配分の問題について検討を加えた。

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廣江倫子(ジュニアフェロー)「香港における国際人権法の実施―香港人権法の成立と運用」(2003年7月4日)

 近年、人権保障は一国内にとどまらず、国際的な平面に浸透しつつある。 たとえば、世界人権宣言を始め、国連の両人権規約である 「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」(以下、社会権規約と称する)、 「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(以下、自由権規約と称する)は国際社会に広く受け入れられている。
 それでは、国連の両人権規約は、香港ではどのように受け入れられているのだろうか。 1997年に中国に返還された香港の場合、旧宗主国イギリスによって両規約が適用されていたものの、 両規約の国内法化はなされてこなかった。 しかし、1991年になって、自由権規約が国内法化され、しかも憲法と同等の効力を持つことになった。 それが、香港権利章典条例(The Hong Kong Bill of Rights Ordinance、以下、香港人権法と称する。 なお、中国語では「香港人権法案条例」と表記される。)である。
 香港人権法の成立は、香港に次のような影響を与えた。 第一に、香港人権法採択をめぐる中国とイギリスの対立であり、 香港人権法の成立は返還過渡期の中英対立に確実に一石を投じた。 第二に、香港法にもたらした実質的な影響である。次の二点が挙げられる。 まず、香港人権法違反を理由とした香港の既存法の大幅な改廃であり、次に香港人権法の解釈にあたって、 国際人権法判例が積極的に取り入れられたことである。  本報告では、香港人権法がもたらした上述の二つの影響について検討を加えた。

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廣江倫子(国際共同研究センター非常勤共同研究員)「香港基本法解釈権の展開と課題―「新移民」と居留権事件を題材に」(2005年1月21日)

 本報告においては、香港基本法解釈権の構造と展開を、 基本法訴訟の検討を関連させながら考察することによって明らかにし、 返還後香港の憲法構造、ひいては「一国両制」政策のあり方に検討を加えることを試みた。 1997年7月1日に香港が中国に返還されて以来、香港においては「一国両制」政策が実施されている。 「一国両制」政策を規定するのが香港特別行政区基本法である。 香港基本法の解釈権は理論面、実践面において次のような意義を有する。 まず、理論的には、「高度の自治」の一つの内容として「司法の独立」が与えられ、 中国とは別個の法体系・司法制度を維持する香港において、 この従来の制度を維持するうえで香港基本法の解釈権が重要性を有する。 次に、実践面からいうと、香港基本法の解釈権は、 香港返還に端を発した一連の居留権訴訟や2004年の香港行政長官、 立法会議員普通選挙に関する全人代常委会解釈と、 短期間に二度の論争を引き起こしており香港返還後の大きな法的議論の対象であることが分かる。 そこで、本報告においては、基本法解釈権の構造、 移民関連訴訟(いわゆる居留権事件)を通じた返還後の基本法解釈権の展開、 そしてその課題につき考察を加えた。

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福田良(大学院修士課程)「規範的法実証主義をめぐる評価と法理論への示唆の検討」(2017年1月20日)

 1990年代より法概念論において展開されている「規範的法実証主義」は、 法実証主義における「法と道徳の分離」を規範的主張としてみなす考えである。 この主張は、法の「正統性」を担保する上での民主的立法の役割の重要性を再認識させた点で評価されている。 しかし、同時に、規範的法実証主義やその立法府擁護論は様々な方面からの批判にさらされている。
 本稿では規範的法実証主義をめぐる評価の当否を検討し、 それを通して規範的法実証主義が従来の法概念論に対していかなる示唆をもつ理論なのかを検討する。 また、規範的法実証主義に親和的な立法府擁護論についても、その理論の擁護可能性を検討する。

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福田良(大学院修士課程)「CampbellとWaldronの立法府尊重論の異同と、規範的法実証主義による立法府尊重論の限界」(2017年11月10日)

 1990年代より法概念論において展開されている「規範的法実証主義」は、 法実証主義における「法と道徳の分離」を規範的主張としてみなす考えである。 この主張は、法の「正統性」を担保する上での民主的立法の役割の重要性を再認識させた点で評価されている。
 しかし、その理論家の中でも微妙にその立場を異にしていて、立法府尊重論の擁護理由がそれぞれに異なる。 本報告では、規範的法実証主義の代表的な論者であるJeremy WaldronとTom Campbellの2名の主張を取り上げ、 両者の比較検討をする。 その中で、規範的法実証主義から立法府尊重を説く立場の限界を考察する。

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福原明雄(学術振興会特別研究員)「リバタリアニズム・ノージック・ロック的但し書き」(2018年6月29日)

 従来、リバタリアニズムは個人的自由の徹底的な尊重と共に小さな政府を擁護する議論であると考えられてきた。 それはリバタリアンの代表格だとされるノージックに見られるような、 再分配を否定する最小国家の擁護に典型的に表れている。 一方で、昨今、英米圏におけるリバタリアニズムの理論的研究の趨勢は、 ノージックの論法を受け継いでいることを標榜する左派リバタリアニズムの側にある。 これには「リバタリアニズムの名を騙った平等主義」だという批判が為されるが、 (この批判の成否自体を別にしても)それらが単なる木に竹を接ぐ平等主義の不当な領域侵犯なのか、 或いはノージックの論法に分配への含みが存在するかが理論的に重要な点だろう。
 本報告ではノージックにおける分配的正義の鍵となる 「ロック的但し書き」の位置と解釈を確認することで、 この含みについて検討し、 ノージックがこの点について一定の方向性を持っていることを明らかにしたい。

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藤木貴史(大学院博士後期課程)「アメリカにおける労働組合組織化過程の動向―民主主義の観点から」(2014年6月6日)

 現在の日本では、労働組合が凋落するとともに、 過半数代表制度は拡大傾向にあるとされている。 こうした状況において、 職場における労働者の集団的な意思決定メカニズムをどのような理念に基づき正当化していくべきか、 また、集団的意思決定メカニズムと私的自治との関係をどう考えるべきか、 などの点が改めて問題となっているように思われる。
 この問題を考えるに際して参考となるであろう国の一つが、 排他的交渉代表制度という独特の制度を持つアメリカである。 現在、アメリカにおける排他的交渉代表制は機能不全状態にあるとされており、 かかる機能不全を脱却すべく、 被用者自由選択法案などの立法的手当が模索されている。 そこで本報告は、 (1)まず簡単にアメリカの排他的交渉代表制度の現状を確認したうえで、 (2)この被用者自由選択法案を題材として、 労働法における集団的意思決定の正当性の根拠如何という問題を -特に民主主義の理念に着目しながら- 分析することとしたい。

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藤木貴史(大学院博士後期課程)「日米における労働組合の活動とその法的保護に関する一試論」(2015年12月4日)

 今日の労働組合運動をめぐる課題の一つが、社会運動との連携をどのように行うかである。 企業内に基盤を持たない、いわゆるコミュニティ・ユニオンが増加するに従って、組合活動が市民運動的手法を用いることも増えてきた。 しかし、それらの活動は決して日本の組合活動の主流になっているわけではない。
 アメリカ合衆国に おいては、労働組合運動と社会運動との連携が進展することで、不十分ながらも一定の成果を挙げつつある。 しかし、それらの活動の法的保護の状況に着目した研究は必ずしも十分にあるわけではない。 そこで本報告では、日米の組合活動の法的保護に関する判例の状況を比較することを通じて、 理論的・実践的にどのような問題点があるのかを明確化することを目的とする。

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藤木貴史(大学院博士後期課程)「アメリカにおける「市民の権利」と「労働者の権利」の歴史的展開と現代的課題」(2017年10月13日)

 本報告では、連邦最高裁判例を主たる素材としつつ、 アメリカにおける組合活動に対する連邦憲法上の保護について、 同時期の市民団体による集団行動に対する憲法上の保護との歴史的比較を行う。 労働組合の組合活動は、1935年のワグナー法制定以降、連邦最高裁の諸判決を通じて、 「言論の自由」を規定する連邦憲法第1修正の保護も受けることとなった。 しかし、47年にタフト・ハートレー法が成立し、 一定の組合活動が不当労働行為として規制されるようになると、 組合活動は言論ではないとして憲法上の保護も否定されるようになった。 その後、59年のランドラム・グリフィン法による法改正を経て今日にいたるまで、 この状況は基本的には継続している。 一方、市民団体による集団行動は、とりわけ60年代以降、 従来であれば保護を否定されていたような態様のものであっても、 連邦憲法第1修正の広範な保護を受けるようになった。 さらに80年代には、労働組合が行う場合には不当労働行為とされるような集団行動であっても、 市民団体が行う場合には憲法第1修正の保護を受けるようになり、 今日に至るまで、この状況は大きくは変化していない。 つまり現在、第1修正の解釈に関して、連邦最高裁は、 労働組合の集団行動に対しては、市民団体の集団行動ほどの保護を与えてはいないのである。 その理由としては、①労働組合の集団行動は言論であると見なされなかったのに対して、 市民団体のそれは言論であるとみなされたこと、 および②労働問題は経済的問題であって、 人々が議論を通じて決定すべき重要な問題—「公的関心事(matter of public concern)」—ではない、 とみなされたのに対して、市民団体の問題は「公的関心事」とみなされたこと、を指摘しうる。

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藤本幸二(大学院博士後期課程)「中世ドイツにおける証拠法改革」(2000年5月26日)

 西洋刑事法史上欠かすことのできない重要な意義を認められているカロリーナ刑事法典については 国内でもいくつかの主要な分析がなされているが、 こと証拠法史という観点から見ればカロリーナについてはいくつかの部分で革新性が評価されながらも その法定証拠主義を主軸とした刑事手続規定のゆえに証拠法に関しては「未成熟の」ものであるとみなされることが多い。 これは庭山英雄の『自由心証主義』に見られるように現在の自由心証主義優位の観点から 分析がなされていることに起因している。 歴史的に分析するならば、カロリーナがつくられた中世末期とは、 神判・宣誓・決闘裁判などに代表される中世の共同体コンセンサス実現を目的とする 刑事手続がその基盤となっていた社会条件の崩壊とともに有効性を失い、 これに代わって刑事法の公化が重要なキーワードとなりつつあった時代であった。 新しく裁判の担い手となった領邦君主たちが見出した新しい原理は 予め抽象性・一般性の高い秩序すなわち法を規定しておき それを個別具体的事件にあてはめて秩序の維持をはかるというものであった。 司法に携わる人々の法的・知的熟練が期待できないこの時代にあって こうした原理の実質的な信頼性を高めるためにカロリーナの立法者たちが採用した 証拠法システムこそ、法規範の具体的事件への当てはめ方そのものを法規によって定めてしまうこと、 すなわち法定証拠主義であったのである。

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藤本幸二(大学院博士後期課程)「中近世ドイツ刑事手続における法形式主義と裁量主義の葛藤」(2001年11月2日)

 本報告の目的は、現代の刑事法の基礎が確立した18世紀の刑事立法に至る刑事手続史を、 法の形式主義と裁量主義の葛藤という分析軸から説明することにある。 その中で今回は、研究対象を、その特徴がもっとも強く現れている分野である証明手続と量刑に絞って考察した。 通史を見ると基本的には形式主義支配の時代から裁量主義が順調にその勢力を拡大しているように見えるが、 実はそこには断絶が存在する。 それがカロリーナ刑事法典前夜となる15世紀後半から16世紀初頭である。 その断絶を克服し、本来限定され衰退する流れに向かうかと思われた裁量主義を、 当時の情勢とうまく適合させてカロリーナの中に導入したことによって 後の刑法学の発展・近代化に道を開いたのがカロリーナ立法者の功績である。 さらにそれを引き継いだ刑法学者たちの実務情況への理解が、 量刑における裁量主義(例外刑)概念をうまく扱うことによる刑事実務の合理化をもたらした。 近代刑法においては罪刑法定主義というかたちで量刑を法形式主義下においているが、 刑事法の発展は直線的にそこへ向かったわけではなかった。

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藤本幸二(大学院博士後期課程)「ドイツ刑事法史において裁量刑の果たした役割―カルプツォフの過失理論を題材として―」(2002年10月18日)

 前年度の報告において提示した、「裁量刑poena arbitaria」というものに、新しい側面、すなわち、 近世のドイツ司法を支配していた糾問主義の重要な要素である法定証拠主義から、 その対置概念たる近代的な自由心証主義への移行を幇助したという 肯定的な評価を下すことが可能なのではないかという仮説に対して、 本報告においてはベネディクト・カルプツォフの過失殺人理論という場において 裁量刑がどのような役割を果たしたか、 それを明らかにすることで検証を行なった。 カルプツォフはその理論の中で裁量刑概念を積極的に活用しているが、 当時の裁判官裁量に無条件の信頼を寄せていたわけではなく、 予め法学によって裁判官の裁量に一定の指針を与えることを念頭に置いていた。 その結果、与えられた証拠からなされた犯罪の軽重を判断し、 それに応じた量刑を決定するという極めて近代的な考え方がもたらされ、 後世の自由心証主義に基づく司法制度のあり方へと続く道が切り開かれた。 このように考えてみるならば、検証の対象とした、 裁量刑の役割に関する仮説はある一定程度にまで妥当性が認められると考えてよいだろう。

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藤本幸二(大学院博士後期課程)「ドイツ刑事法の啓蒙主義的改革とPoena Extraordinaria―カルプツォフの刑事法理論を題材として」(2003年6月6日)

 2003年5月に提出した博士学位申請論文の内容をもとに行った本報告は、 啓蒙主義的な刑事法近代化前夜の時代を対象とし、 この時代に存在したPoena Extraordinariaと呼ばれる刑事法上の概念が 刑事法の啓蒙主義的改革において果たした役割についての仮説を提示することを第一の目的とする。 さらに、この時代を代表する法学者であるベネディクト・カルプツォフ(1595-1666)の刑事法理論を取り上げ、 考察を加えることによってこの仮説を検証せんと試みた。
 こうした目的を念頭に置き、まず第一に「カロリーナ刑事法典」「啓蒙主義的刑事法改革」 「Poena Extraordinaria」という三つの重要な概念に関しそれぞれに定義付けを行い、 次に「啓蒙主義的刑事法改革」のメルクマールとなる要素を四点取り上げ、 そのそれぞれについて、改革された刑事法・その中で「Poena Extraordinaria」が果たしたと考えられる役割・ 代表著作である『新ザクセン刑事実務』における ベネディクト・カルプツォフの法理論という三つの局面から考察を加えた。 そこから、従来あまり触れられることのなかった、刑事法の啓蒙主義的近代化過程における 「Poena Extraordinaria」概念の重要性が明らかになる。 「Poena Extraordinaria」に関するこうした分析は、刑事法の近代化を説明する、 時代を貫く観測基準をもたらしてくれる可能性を秘めている。

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藤本幸二(大学院博士後期課程)「刑事法史における法と身体」(2004年6月11日)

 現在わが国において自由刑受刑者の刑務所内における処遇に対する関心が高まっている。 この背景には、自由刑の執行にあたって、身体的拘束や苦痛の介在を、受刑者の悪性を理由に正当化するという共通認識があるように思われる。 翻って十八世紀後半に成立した自由刑は、 これが中世以来の身体刑を中心とした刑罰体系に対するアンチテーゼたる役割を担わされていた事情も加わって、 現代の自由刑とは異なった認識や理解のもとにあった。 近代自由刑の起源とされる懲治場の成立の背景にあったのは通説によれば、 重商主義的政策下での囚人労働力への着目と、 プロテスタントにおける労働による犯罪者の改善という特別予防的見解である。 ミシェル・フーコーはこれにたいし、自由刑の本質を「受刑者の身体の訓育」に求めた。 ロバート・ダーントンによって描き出された、秩序ある生活とはほど遠い都市労働者の姿と比べてみるとき、 元受刑者たちは「身体の訓育」によって紀律を刻み込まれ、 「規格化された身体」の持ち主として社会に復帰したため雇用主にとって理想的な労働力となり得た。 身体刑の代替として登場した自由刑は、実は身体に対しこのような作用を及ぼしていたと考えられる。 近代自由刑は二つのパラドックスを内在化させている。 ひとつは、身体刑の代替物として登場してきたはずの近代自由刑が 依然として受刑者の身体に対する影響力の行使を目的としているという矛盾であり、 もうひとつは様々な理想を抱いて導入されたはずの近代自由刑がこれらの理想を実現できず、 この意味ではまだ「近代化」を達成できていないという逆説である。

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藤本幸二(ジュニアフェロー)「ベネディクト・カルプツォフにおける和解と刑罰―公的刑法の成立との関連で」(2005年7月8日)

 本報告は、ベネディクト・カルプツォフにおいて、 彼の「公権的平和形成」という理想と和解による紛争解決という法的伝統という現実とが、 どのように理論化されているのかという点を明らかにすることを目的としたものである。 近年の刑事法研究においては、17世紀初頭は、 ドイツにおける刑事法公化過程が終着点に差し掛かった時代だと理解されている。 カルプツォフは糾問訴訟の確立に深く関わった人物としてよく知られているが、実体刑法の分野において、 公的制裁と加害者・犯罪被害者間の和解との関係をどう捉えていたかという点はあまり注目されることはなかった。
 公権的平和形成の成立という視座からカルプツォフの理論を見るならば、 刑事手続的な側面においては、「コンセンサスから権威へ」の移行は明らかなものとなったように感じられる。 私的な救済や満足は刑事法の目的の外におかれ、平和は公権力によって形成されるべきものであるとされた。 しかし一面で、私的な和解は実体刑法の、 特に量刑に関する理論において未だ影響力を保ち続けていたことにも注目すべきであろう。
 カルプツォフや普通法時代の刑法学者における「和解と刑罰」に関する理論については、 さらに深い研究が今後必要になるだろう。 まず「和解」の内容が問題となる。 さらに、犯人による人命金Wergeldの国庫への支払いはどのように理解されていたか、 というのも重要なテーマとなり得る。 本報告がそれら今後の研究の端緒となることを期待したい。

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藤本幸二(国際共同研究センター非常勤共同研究員)「贖罪契約Sühnevertragは和解契約か―刑法の公化の観点から」(2007年7月6日)

 本「契約」プロジェクトにおいて予定されている研究の方向性がもつ最大の特徴は、その学際性の高さにある。 この特徴を活かし、多面的な考察を総合することにより、 「契約」という概念の実像に迫ることが最終的な目的であると考えられる。 その中で刑事法学、それも刑事法史を専門とする論者の果たすべき役割は、 「契約」に対し概念的なつながりを有する刑事法上の諸法制度を「外から中へ」向かって定義づけ・分類を行い、 それをもって「契約」概念のもつ意味的なひろがりの外縁部を明らかにすることにあるだろう。
 本報告においてはひとつの事例として、 中世から近世初期にかけて刑事事件の紛争解決手段のひとつとして幅広く用いられていた 贖罪「契約」Sühnevertragと呼ばれる法制度を取り上げる。 故殺贖罪契約に関する最新の研究においては、中世末期以降、裁判官の仲介のもとで締結がなされる事例が増え、 また贖罪の条件確定に裁判官が介入し緩和をもたらすケースもあったとされる。 さらに、地域の有力者たちが加害者に圧力をかけ、契約の締結を促すこともあったとされる。
 これらからもわかる通り、贖罪契約を、 近代的な意味における「契約」概念に含みこんで扱うことには俄かには首肯しかねる要因が多い。 贖罪契約は、公的刑法が成立する母体となった、私的要素と公的要素が不可分のまま一体となった領域に属している。 いわばこれは契約概念の外縁部に位置づけられるべきものであり、 字句表現に捉われ、純粋に「私的な」紛争解決手段としてこれを理解することは、 契約概念の不当拡張をもたらす可能性があり、慎重に考慮がなされるべきではないだろうか。

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藤本幸二(国際共同研究センター非常勤共同研究員)「ドイツ啓蒙主義的刑事立法における民事死制度の位置づけ」(2008年5月30日)

 本報告の目的は、18世紀から19世紀にかけてのヨーロッパ、 主としてドイツ領域の領邦国家における刑事立法への導入が検討され、一部では実際に立法化されたものの、 さほど間をおかずに廃止されていった民事死という制度を考察することにある。
 従来の研究では、この制度は、ローマ法・ゲルマン法いずれにも起源をもつ伝統的な制度であると捉えられてきた。 しかし当時の各領邦国家における刑事立法を巡る言説を辿るならば、 それが一貫して、外来の、新しいシステムであると認識されており、 そこでの議論のほとんどはこの「新しいシステム」を導入すべきであるか否か、 に向けられていたということがわかる。
 新しい刑事立法は啓蒙主義的な刑事法改革の実現という任務を負っていたが、 その中には、刑罰の重さを、刑事責任の大きさに応じて段階化するという課題も含まれていた。 しかし、生命刑の存置をあくまでも前提とするならば、 これと自由刑を中心とするその他の刑罰との大きな断絶をいかにして合理的に説明するか、 がひとつの克服し難い問題となる。
 私見では、民事死という法的擬制は、これを解決するという合目的性を 原動力として導入が検討されたもののように思える。 すなわち、この制度には、死刑(人間の死)と、 それ以外の刑罰(生)をつなぐ環としての位置づけを与えられていたのだろう。 そして、これを用いることによって得られていた合理性を、 擬制を用いることによってもたらされる不合理性が上回ったと感じられたとき、 民事死はその役目を終え、刑事法から姿を消すこととなったと説明できるのではないだろうか。

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方韻(大学院修士課程)「中国における環境民事訴訟に関する被害者の初歩的証明責任」(2021年12月10日)

 環境汚染は特殊性があるため、 民事訴訟における因果関係の証明に関して中国では一連の立法によって原告の証明責任を軽減する。 規定によれば、 汚染者である被告は因果関係の不存在を証明する必要がある(因果関係の転換ルール)。 そのほか、 被害者である原告は被告の汚染行為、損害、 汚染行為と損害結果の間の関連性に関する証拠を提出するという初歩的証明責任を負う。
 しかし、「初歩的証明責任」は具体的にどのような基準があるかが明確ではない。 裁判例から見ると、 その基準が統一ではないということができる。 高い蓋然性の因果関係を証明しない限り、 因果関係の不存在を理由として原告の請求を棄却した事例があれば、 多因性のある場合裁判官は直接に因果関係の推定を否定した事例もある。
 本報告では証明責任の転換ルールを再検討する以上、 「初歩的証明責任」の合理性とその基準を明らかにする。

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方韻(大学院修士課程)「中国における環境不法行為の民事訴訟に関する証明責任の研究―因果関係の証明を中心として」(2022年11月11日)

 民事訴訟において、 原則として事実を主張する当事者は証拠を提供する必要がある。 しかし、環境民事訴訟の場合、 原告の立証困難の負担を一定程度に軽減するため、 中国の立法上には一般的不法行為と異なる帰責原則と証明責任が定められている。 とくに無過失責任原則を適用し、 環境不法行為の因果関係に関しても証明責任の転換ルールを規定している。 その後、 すべての因果関係の証明責任を被告に移すのは不合理であるという指摘が見られていたので、 中国は関連する司法解釈を出して、 原告の「初歩的証明責任」を定めている。
 初歩的証明において因果関係の推定を採用しているが、 その具体的な推定方法には依然として議論がある。 また、原告の立証に反駁するため、 因果関係の不存在の証明基準を明らかにする必要がある。 したがって、本報告は今までの研究を踏まえて、 中国における環境不法行為に関する立法の経緯を整理したうえで、 因果関係の証明だけではなく、 環境不法行為の民事訴訟における当事者の全体的な証明責任を把握し、 先行研究をもとに因果関係の証明方法と証明基準を考察する。

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堀川信一(大学院修士課程)「莫大損害の再生」(2000年10月6日)

 近年、契約法の領域において「契約自由から契約正義へ」というスローガンの下、 近代法では捨て去られてしまった実質的秩序原理への注目がなされている。 今回の報告ではそうした流れの一つとしてドイツ法における「莫大損害の再生」の議論について扱った。 莫大損害とは、当事者の合意を超えた客観的等価性を契約の効力に結びつける制度である。 それはローマ法に起源を発し中世のローマ法学や教会法学を経て近世の自然法論に入り 自然法的法典編纂においてもその伝統は受け継がれた。
 しかしこの制度は自由主義的性格を有するドイツ民法典において否定されることとなる。 それにもかかわらず「莫大損害の再生」が語られる意義はどこにあるか。 このような議論の背景として最近の消費者保護がある。 そしてこのことを背景としつつ従来の暴利行為論における 主観的要件の立証責任を暴利者に転換する手段として給付の不均衡が 合意の瑕疵を推定するという手段がとられた。 このことがまさに「莫大損害の再生」と呼ばれることとなったのであるが、 それは契約自由をまったく無視するものではないしまた自然法に由来する「衡平」にもとづくものでもない。 そこでは契約自由と均衡原理が交錯している。
 今回の報告では以上のような莫大損害の系譜について扱ったが 今後はFranz von Zeillerの莫大損害や暴利行為に対する立場について検討する予定である。

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堀川信一(大学院修士課程)「ドイツ法における「暴利」概念の形成」(2002年1月25日)

 今回の報告では前回の報告に引き続き、 莫大損害法理(laesio enormis)のドイツにおける発展について検討した。 前回の報告と今回の報告が異なる点としては、 前回が特に莫大損害法理の基礎となる正当価格論(iustum pretium)に焦点を合わせ、 ギリシアローマ・中世キリスト教・近世自然法の各時代における変遷について述べたのに対して、 今回は、ドイツ・オーストリアにおける法典編纂を中心にそこでの立法論ならびに解釈論について検討した。
 今回の検討で明らかになったことは、まず、自然法的法典の代表例とされているオーストリア一般民法典において、 莫大損害法理の位置づけが自然法より演繹される法理から、 どちらかといえば保護政策から認められる規定へと変化したこと、 また、近代ドイツ法学の基礎となったパンデクテン法学においても莫大損害法理の是非について論じられたところ、 そこでは、実務的視点からの検討が中心となり、もはや原理的検討がなされることはなかったということである。
 以上のことからは、十九世紀の経済的自由主義の流れの中で、 これまで私法の一大原理であった「契約正義」の原則が「契約自由」の原則に取って代わられ、 契約内容の正当性は契約当事者の位置が不均衡な場合にのみその意義を有するようになったということである。
 しかし、契約内容の客観的正当性を考慮する傾向は、近年の契約法においてはむしろ重要性を増しつつあるところ、 今後もこの問題に関する歴史的・比較法的研究を進めていきたい。

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堀川信一(大学院博士後期課程)「19世紀ドイツにおける契約自由と契約正義」(2002年6月7日)

 かつて、ヨーロッパ法においては「莫大損害(laesio enormis)」という制度が存在した。 これによると、契約において給付と反対給付の間に重大な不均衡が存在する場合には、 そのことを理由として契約の解消(rescissio)か、契約内容の調整が行われた。 従来、この制度は、19世紀ドイツにおいて、取引の安全を害するとの理由から、 完全否定されBGBから姿を消したと説明されてきた。 実際に現在BGBには、莫大損害の制度は存在しない。
 しかし、これは、19世紀ドイツの特殊事情が背景に存在するが故の帰結であった。 具体的には、1860年代のドイツの資本主義の急成長がその背景に存在する。 BGBの起草がこの前後になされたことが莫大損害の撤廃を決定付けた。 また、このことに関連して、BGBに重大な影響を与えたとされるパンデクテン法学においては、 莫大損害は必ずしも否定されておらず、 そこでは、ローマ法の中に存在する衡平の理念から、莫大損害を維持しようとする立場と、 莫大損害をもともとのC.4.44.2の適用範囲に限定しようとする立場の対立が存在したが、 いずれにせよ完全否定する見解はわずかであったといえる。
 このように、19世紀ドイツにおける契約自由の原則の確立は、 特殊な時代背景に依拠したものであったことを再認識するべきではないか。 また、莫大損害のような契約正義に依拠する制度もこうした事情を念頭に置いた上で再検討すべきではないか。

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堀川信一(大学院博士後期課程)「契約法における「給付の均衡」法理の位置づけ―本質的瑕疵と給付障害の間で」(2003年5月23日)

 従来、法律行為の領域を支配するものは「意思」であるととかれ、 契約内容の不当性の問題はこうした私的自治の支配領域外の問題と理解されてきた。 しかし、今日錯誤や詐欺といった、私的自治に内在する法理においても給付の等価性の要素が考慮されるに至り、 また、従来、私的自治の外の問題とされてきた公序良俗の問題においても、 意思形成過程の問題へとその適用領域の拡張がなされている。 こうした流れの中においては、今日、 「給付の均衡」という要素と法律行為法を支配する「意思」との関係をどのように理解するかが問題となろう。 こうした問題意識の中で、今回の報告では、莫大損害(lesio enormis)の史的展開について検討した。
 この莫大損害は、従来、正当価格に基づき契約を締結する義務を定めたものという理解が根強く存在したように思われる。 しかし、中世ローマ法や自然法的法典においては、莫大損害の性質を錯誤の推定とし、 表意者に錯誤が無いとの反証が成功すれば取消権は排除され、 また放棄条項によって自然に取消権を放棄することも可能であるとされてきた。 こうした、莫大損害の性質・要件・効果との結びつきを見ると、 客観的義務を前提とした莫大損害の理解とは別の理解が浮かび上がってくる。
 このような莫大損害の理解は、今日、 契約自由が支配している中でなぜオーストリア法がこの制度を残存させているのかということを理解する鍵となる。 もし、莫大損害が自然法から導かれる客観的義務を定めたものであるとすれば、 おそらくオーストリア法においても残存することは難しかったであろう。 しかし、莫大損害が錯誤の推定であり、 それが当事者の事後的利益調整手段として理解され(その意味では給付障害に近い)、 しかもその法的救済手段が当事者によって処分可能であるならば、 必ずしも契約自由の原則と鋭く対立するものではないだろう。 莫大損害を持たない日本において、 「給付の均衡」の実現を以上のような錯誤推定という手段を通じて行うことができるかということが今後の課題である。 (※なお当日の報告では触れなかったが、 この問題を解く鍵の一つとして、原因論(causa cause)の問題が重要であることを付記する。)

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本庄萌(大学院博士後期課程)「欧米の化粧品開発における動物実験禁止法と日本への適用可能性」(2015年6月5日)

 近年、動物福祉に関する法制定の動きが世界各国で急速に進んでいる。 その中でも、化粧品のために動物実験を行うことを禁止する法律は、 2013年に欧州連合(EU)で施行されて以降世界的な広がりをみせている。 類似した法制度はイスラエル、インド、中国での部分的導入など欧米圏を越えており、 同法の世界に共通した問題意識と適用可能性を示唆している。
 一方、日本では化粧品開発に限らず法的拘束力を持つ動物実験規制が存在しない。 しかし、わが国でも贅沢品とも言える化粧品に動物実験を行うことに異議を唱える声が高まり、 動物実験に基づいた化学製品の安全性確認への疑問視も相まって、 化粧品動物実験禁止への要請が高まる傾向にあると考えられる。
 そこで、本報告はEUと米国の化粧品動物実験法を検討し、 同種の法規制の日本への適用の必要性及び可能性を考察する。

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本庄萌(大学院博士後期課程)「畜産動物福祉法―日米における動向とEUにおける展開と課題」(2016年7月8日)

 動物福祉(アニマルウェルフェア)とは、端的にいうと「動物が幸せな状態であること」である。 日本でも、犬猫などに関する動物愛護の法制定が急速に進んでいるが、 EUにおいては、畜産動物に関しても広範かつ詳細な動物福祉の法制度がある。 たとえば、28カ国のEU構成国では採卵鶏のケージの広さや高さが細かく定められ、 鶏の本能に基づく行動を促すよう、とまり木や巣のケージへの設置などが求められている。
 本報告では、日本において畜産動物福祉法について語る意義を検討し、 これまで日本が農業政策の参考にしてきたとされる米国における畜産動物福祉に関する動向を確認する。 そして、世界的に畜産動物福祉法をリードしているとされるEU畜産動物福祉法の発展背景・具体例・実効性・課題を分析する。

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本庄萌(大学院博士後期課程)「EUとアメリカにおける動物法比較―動物実験規制の理念と実際」(2018年10月19日)

 EUとアメリカの動物法は、 日本の総合的な立法である 「動物の愛護及び管理に関する法律」の法改正時に参照されることが多く、 両法域における動物法に関するわが国の先行研究は厚みを増している。 しかしながら、従来の研究は、 理論的検討もしくは個別的な制定法の解説や解釈が中心であり、 動物法の運用の実際を詳細に分析する研究は、 あまり見受けられない。 そこで、本報告は、 EUとアメリカにおける動物法の理念が 実際どのように運用されているのかを明らかにすることを目的とする。 とりわけ、 両法域が先進的な取り組みをしているとされる動物実験規制を取り上げ、 その文言と運用を詳細に検討する。 査察制度の仕組みをはじめとする行政機関の法の執行状況、 判例分析を通した法の解釈を分析することで、 両法域の制度が機能しているのかを検証する。 また、法規制が機能していないとき、 動物保護に関心を寄せる人々が 公的な発言をどのような方法でしているか考察する。

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松下雄樹(大学院修士課程)「サンスティーンのリバタリアン・パターナリズム理論について」(2017年12月22日)

 リバタリアン・パターナリズムは、 行動経済学者Richard H. Thalerと 法学・政治学者Cass R. Sunstein により ”Libertarian Paternalism Is Not an Oxymoron” (2003) (「リバタリアン・パターナリズムは撞着語法ではない」)において提案された。 これは、個人の選択の自由を維持するリバタリアン的側面と、 個人の福利の為に政府が人々の行動に影響を与えるべきであるとするパターナリスト的側面とを併せ持つ。 彼らは、政府が行うべき施策として人の行動を促す(ナッジする)多くの具体的な方法を提示している。
 本報告では、サンスティーンのリバタリアン・パターナリズム理論の特徴を概観する。

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松下雄樹(大学院修士課程)「サンスティーンのリバタリアン・パターナリズム理論の検討—初期の理論と近年のものとの比較」(2018年11月2日)

 サンスティーン(Cass Sunstein)とセイラー(Richard Thaler)による 「リバタリアン・パターナリズム」の概念は、 行動経済学の知見を用いた公共政策の可能性を示し注目を浴びた。 彼らは、「ナッジ」(ある行為をそれとなく促すこと)によって、 政府は個人の自由を保持しながら、 個人ないし社会の福利増進を企図することが可能であり、 望ましいと主張した。 その提案は数々の制度に示唆を与えるものであり、 事実行動学的研究は多くの国々の政策に影響を与えている。
 2000年代のリバタリアン・パターナリズムに関する彼らの主張は、 以下の点で特徴的であったと言える。 第一にそれは、 一見すると矛盾するように思われる個人の消極的自由の保護(リバタリアニズム的側面)と 政府の積極的な介入(パターナリズム的側面)が両立可能であると主張する点にあり、 第二にそれは人間の「限定合理性」に焦点を当てて介入を正当化する点にあった。 これらの点に関してはこれまでに多くの批判がなされてきた。
 サンスティーンは近年、複数の著作の中で、 ナッジを用いた介入に関し、改めて自らの立場をより明確、詳細に論じている。 これらの中には、批判への応答だけでなく、 またそれ以前にはなかった新たな野心的な試みも示されている。
 本報告では、セイラーと共に行われた2000年代のサンスティーンの主張と、 2010年代に入ってからのサンスティーンの主張とを比較、検討し、 リバタリアン・パターナリズム理論とその批判について考察する。

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松園潤一朗(大学院博士後期課程)「中世武家政権の法と裁判」(2005年7月22日)

 日本中世における法と裁判のあり方について検討する。 対象は武家政権(幕府)の土地財産関係をめぐる訴訟制度である。 制度史については鎌倉幕府のそれを中心に精緻な研究が積み重ねられてきた。 本報告ではそれらに依拠しながら、審理方式や証拠法、手続の公開性などの点に注目し、 訴訟手続の進行のなかに見られる理念や特質、その歴史的な変遷を明らかにすることを主な課題とする。 従来の研究によると、鎌倉後期以降、鎌倉中期の裁判理念が変質、転換すると言われ、 法制史の議論でも、近代の民事訴訟法の概念を導入して、当事者弁論主義から職権主義への移行が論じられた。 近年ではこうした見解に対する批判も見られるが、概念の規定が論者により区々な場合があり、 また、南北朝・室町期以降が必ずしも視野に入れられておらず、いまだ検討の余地を残す。 これらの検討に加え、公家法・本所法、在地領主法に見られる裁判方式と幕府法との比較も行い、 中世法全体の構造と特質についての理解を深めたい。

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松園潤一朗(大学院博士後期課程)「年紀法の再検討―日本中世土地法における時効制度について」(2007年1月12日)

 日本中世土地法において、知行(土地支配)の継続による権利認定の法理(年紀法)が形成され、 鎌倉幕府が御成敗式目8条においてその期間を20年と法定したことはよく知られている。 同条の解釈は、知行を占有と見るか権利行使と見るかが争われた、いわゆる「知行論争」の争点の一つであり、 同条及びその基礎にある年紀法の検討は、中世土地法史を理解する上で不可欠の作業と思われる。
 本報告では、国制史的な観点から、年紀法についての再検討を試みた。 ①年紀法(式目8条を中心に)の形成・運用・展開について、 ②日本土地制度史上における年紀法形成の特質について、 以上二点を主要な検討課題とし、知行の観念に不変の本質を見出すのではなく、 時期による相違に注目することの必要性について論じた。

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松園潤一朗(大学院博士後期課程)「中世の知行観―中世土地法における占有概念について」(2007年10月26日)

 日本中世土地法における占有概念について、「当知行」の語を素材に検討する。 中世の知行は自己の相伝・開発・勲功・占領地などに対する強い権利意識を含む観念である。 その占有状態を強調する「当知行」なる語も派生し、法的効力を持った。
 ただ、知行は「権利」と対立する占有としての性格は必ずしも強くない。 「当知行」(支配の実現)を基礎に、上位権力の認定(安堵等)を受給し、支配が補完される。 この両側面の認識が重要である。
 中世土地法上で「事実の規範力」が見られた背景として、 戦争状況・自力救済の展開、在地領主・武装自弁の戦闘者の存在などが挙げられる。 近世になると、幕藩制国家の強力な支配体制のもと、 「当知行」(占有・実力支配)の語とその法制上の意義は消滅する。

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松園潤一朗(大学院博士後期課程)「「知行」研究の視点と方法」(2008年11月28日)

 日本中世における「知行」(土地の支配・用益)を検討する際の視点と方法について述べる。 一、国家の認定によって土地所有の権利が表示される古代や近世と比較した場合、 中世土地法の特徴として、事実的支配が法の内部に取り込まれることが挙げられる。 二、中世の知行の研究史を振り返ると、 知行を「占有」として私法史の枠組みの中で論じた古典的な学説(中田薫氏・石井良助氏)に対し、 近年では、幕府権力による自力救済の禁止という刑事法史的な動向から知行の変化が論じられている (石井紫郎氏・新田一郎氏)。 三、事実的支配(「当知行」)と幕府法の関係に注目すると、 幕府の「当知行」保護は中世前期には年紀法(時効)との関係で、後期には安堵との関係で捉えられ、 鎌倉~室町時代の知行制の時期的な変化に注意して検討する必要がある。 以上の点について述べたい。

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松園潤一朗(ジュニアフェロー)「日本法史における「中世法」の位置について」(2010年10月15日)

 日本法の文化・伝統について、中世法を素材に検討する。 日本史における「中世」(11世紀後半あるいは12世紀後半~16世紀末)は、 西欧中世(5世紀~15世紀頃)との社会構造の類似から作られた時代概念である。 「法」や「裁判」の在り方についても西欧と類似の構造が指摘されてきたが、近年ではその見直しも進んでいる。 本報告では、これまで議論されてきた、①「法」と「道理」(「理」)の観念、 ②訴訟法の構造、についてそれぞれ研究史を述べ、 報告者の視点と今後の課題と考えられる論点を提示したい。

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松園潤一朗(ジュニアフェロー)「中世知行論―知行=占有論の射程をめぐって」(2011年11月18日)

 日本法制史という学問分野の基礎を築いた中田薫・石井良助両氏は、 ゲルマン法のGewereやローマ法のpossessioとの対比から、 中世の「知行」(土地の支配・用益)に、「権利」と対立する意味での「占有」としての性質を見出した。 中世の諸政権(鎌倉幕府・建武政権・室町幕府)の知行関係の法制は 等しく「占有」の効力が反映したものとしている。
 この議論は知行を「私法」の領域のみで基礎づける点に問題があり、現在では取り上げられることも少ないが、 本報告では、中世土地法における「本権」と「占有」の関係の変遷を追い、 各政権の知行法制の相違という観点から知行論を再検討する。 これまで検討してきた内容をまとめながら、建武政権と室町幕府の法制を中心に述べる。
 結論として、①知行=占有論には一定の有効性があること、 ②しかし、各政権の知行法制には大きな差異があること、 ③政権による土地支配の政治的な認定行為である「安堵」との関係(「安堵」の効力)に注目することで 知行論に新たな切り口が見出せること、等を論じる。

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松園潤一朗(一橋大学非常勤講師)「日本古代・中世における災害と法―「徳政」の理念をめぐって」(2012年11月16日)

 日本列島はその地理的条件のもと、地震・津波・台風・洪水・旱魃などの自然災害に見舞われ、 これらに起因する疫病・飢饉・戦乱も多発した。 近年、災害をはじめ自然環境が日本の政治・社会・文化に与えた影響の大きさが注目されている。
 頻発する災害に対して古代・中世の政治権力がとった対応の一つが「徳政」である。 これは、為政者の不徳が災異をもたらすとの思想のもとに、 災害対策として為政者が行った、「徳」を示す諸政策のことである。 この「徳政」という政治理念に注目した場合、古代・中世の法や訴訟制度がどのように捉えられるようになるか、 という点を検討したい。 これまで検討してきた、中世の土地支配の概念である「知行」に関する法制を中心に取り上げる。
 災害の発生や防災・復興の論理の歴史的な在り方を検討することで、災害に関する日本の法文化について考えたい。

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松園潤一朗(一橋大学非常勤講師)「中世後期の法と社会」(2013年11月22日)

 日本の中世後期(南北朝~戦国時代)における法と社会の在り方をめぐって近年活発な議論が行われている。 本報告では、室町幕府の裁判と法を素材に検討を加える。 「法と手続」「法と政治」「法と慣習」という3つの視点から当時の「法」の構造を明らかにし、 法制史上における中世後期の位置や、日本の法文化の持つ特質について考えたい。

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松園潤一朗(一橋大学専任講師)「『知行』研究のまとめと今後の課題」(2014年4月25日)

 着任に際し、これまでの研究のまとめと今後の課題について報告を行う。 日本中世における「知行」(土地の支配・用益)が検討対象である。 研究史的な前提として、中田薫・石井良助両氏による古典的な「知行」研究に対し、国制史的分析の必要性を述べる。 古代・近世の土地法において土地支配の本権(権原)は国家管理の帳簿によって表示されたのに対し、 中世の本権観念は多様で、占有は法的効力を有した。 が、領主の自立性の高まる中世後期においても、上位権力の認定は重要な意味を持った。 注目すべきは、「安堵」(主人が従者との主従関係やその所領知行を承認する行為)の制度であり、 室町幕府の知行制においては、諸領主の「当知行」(占有)に対する将軍(室町殿)の「安堵」という形で土地支配の認定がなされた。 前近代の土地法について法と政治との関係を捉える必要性とその視点・方法を論じる。

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三浦基生(大学院修士課程)「John Austin再説―法-命令説と法実証主義の限界」(2015年12月18日)

 法-命令説は現代法哲学にとってさほど重要とはみなされていない。 標準的な法哲学の教科書においては、切り捨てるために書き込まれるという名誉職的地位が与えられているのみである。 HartやRazら法実証主義者によれば、法-命令説は法的責務の説明には不十分であり、法ルールの源泉に関する理論としては不適当であるという。 しかしそのような法-命令説の再構成はどこまで妥当か。 命令説を批判する法実証主義者も結局のところ法-命令説と同じく法の受容と法の定義の混同した同じ穴の狢ではないか。 あるいはその残滓を留めているのではないか。 本報告ではJohn Austin(1790-1859)の法-命令説を検討分析することで、法-命令説批判者としての現代法実証主義の陥穽を指摘する。

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三浦基生(大学院修士課程)「「自然法の最低限の内容」の過剰と不足について」(2016年11月25日)

 法はどんな内容でももつのか。 この問いに対して、どのように答えるにしても、H. L. A. Hartの解答は検討に値する。 Hartの所論によれば、次のような内容は人間社会一般に共有されているという:
(i)人の脆弱さ
(ii)おおまかな平等(最弱者も強者の寝首を掻ける程度の違い)
(iii)限られた利他精神(天使ではないが悪魔でもない)
(iv)資源の有限性(衣食住の要求)
(v)認識の不十分さと意志の弱さ(短期的利益優先の可能性)。
これらの明白な事実は、法秩序に一定の内容を要請するという。 そして、その背後には、法が(自殺クラブの取り決めではなく) 生存という一応の条件に制約されているという自明の前提がある。
 本発表はHartの「自然法の最低限の内容」はを二つの点から批判する。 一つは、彼の説は別に法体系の説明でなくても良い、という点である。 もう一つは、およそ人類一般が共通に持つような特質はその強みゆえに実践的含意が希薄だという点である。 第一の批判は、Leslie Greenの制度支援説を手がかりに、 第二の批判は緊急事態の思考実験をもとに指摘される。 残念ながら、本発表の内容だけからHartの理論の価値は否定しきれないしする必要もない。 だが、Hartが「合法性の諸原理principles of legality」とあえて過小評価するところの、 いくつかの法内在的原理が彼の理論と同等(on a par)でありうる、 という議論に道筋をつけるのには役立つことだろう。 ご臨席の諸兄諸姉には星新一的ケースによる予備作業におつきあいただければ幸いである。

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三浦基生(大学院博士後期課程)「H. L. A. ハートの法実証主義は記述的か―ジョン・オースティンの法主権者命令説との関係からの検討」(2017年5月12日)

 現代の多くの法哲学者にとって H. L. A. ハートの法主権者命令説批判は常識を越えた根本教義のようなものである。 その批判自体は近時の一部の例外を除き批判的検討を受けてこなかった。
 ハートのオースティン批判を暗黙のうちに前提にする現代法実証主義者は、 『法の概念』初版の出版から半世紀以上経っても未だに法主権者命令説をハートを引きながら言葉少なに退け、 「承認のルール」のようなハート(あるいはサモンド)が提示した概念を使って自説を展開している。 発表者は、法実証主義者のそのような暗黙の前提の説得力を疑ってかかる。
 本発表では、ハートが(『法の概念』において)論敵としたオースティンの法理論の骨格をわかりやすく再構成し、 ハートの考えとの異同を内在的に検討する。 その結論は詰まるところ、 ハートの法概念論は実質的にオースティンの法主権者命令説の生産的修正にとどまる、 というものである。 「社会的転回」に舵を切ったハート以降の法実証主義への批判の足がかりとして どのような問題点が提起できるかを論じる。

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三浦基生(大学院博士後期課程)「F. SchauerのThe Force of Lawにおける制裁の位置付けについて」(2018年10月5日)

 制裁は法にとって空気のようなものである。 それが広範に観察されることは言を俟たないが、 それだけが法概念の全てを尽くすとは限らないとされている。 H. L. A. ハートによればそれは、 人間の一般的特徴から要請されるものであるが、 法概念の全てを尽くすものではない。 このようなハートの批判により J. オースティンの法主権者命令説(そしてまたリアリズム法学)は現在あまり重視されていない。 しかしながら、フレデリック・シャウアー(Frederick Schauer)は The Force of Law(Oxford University Press、2015)において 法主権者命令説の一部である制裁(あるいはより広く強制性)を 法概念分析に取り入れることを試みた。 本発表ではこの本の全体的なアプローチについて、 ハートの法概念論における制裁の位置づけと比較し、 批判の成否を検討する。 その際にはオースティンの「命令・義務・制裁」のトリアーデを 受容するかどうかが基準となるであろう。

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三浦基生(大学院博士後期課程)「法秩序の特徴としての強制」(2019年12月6日)

 法哲学において制裁の威嚇による強制の存在感は薄れつつある。 一つの理由は、現代までの議論の経路である。 実定法は主権者の命令であるとするオースティンの法-主権者命令説はH.L.A.ハートの批判によって覆されたというのが現在の定説的理解である。 もう一つは、強制を介さない間接強制の可能性による威嚇による強制の陳腐化である。
 本報告では、そのような流れに抗して、 強制が法秩序にとって欠かすことのできない特徴であるという主張を擁護するために ①必要な前提を既存の研究の批判的検討から引き出し、 ②法にとってtailor-madeな強制概念の構築が課題となることを暫定的課題として提示し、 有望な説を探求する。

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三浦基生(大学院博士後期課程)「法の強制性をめぐる自然的正当化の理論―K. E. Himmaの"Coercion and the Nature of Law"について」(2020年9月18日)

 本報告は2020年に出版されたHimma"のCoercion and the Nature of Law"(OUP)を簡単に紹介して、 批判的検討を加えるものである。
 現代の法哲学において、強制や制裁は、一方では当然の前提とされつつも、他方では法の概念にとり必須ではないという複雑な評価をされてきた。 それを象徴するのがJ. Razの「天使の社会」論証である。 制裁が不要な天使の社会にも法は存在しうることを理由に制裁なき法の可能性を擁護する「天使の社会」論証に対して、 それは我々の法実践とは根本的に 異なるとHimmaは反論する。
 本報告は、Himmaの議論について、 Hartが『法の概念』で展開した自然的正当化の改訂としては重要な示唆を含みつつも、 狭い強制概念を前提に法を理解をしていると主張する。 なお、同書とこれまでの研究の成果 (特に、法の強制性に関するもう一つの近年の重要な著作であるSchauerのThe Force of Law) との関係を明らかにしつつ、 同書が博士論文の議論とどのような関係を持つのかにも時間を割きたい。

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水内麻起子(大学院修士課程)「公的助成の側面より見た政教分離原則について」(2003年1月10日)

 アメリカ憲法修正1条は国教樹立禁止条項を定めており、政教分離原則を採用している。 そして政教分離が問題となる顕著な例の一つがが、宗教学校に対する公的助成である。 そこで、宗教学校に対する公的助成について報告を行った。
 子供の学校への通学バス費用の親への返還が問題となったエヴァーソン事件以来、多くの判例が見られる。 そしてその傾向としては、、判例は合憲のものと違憲のものに、二分されているということがあげられる。 そして最高裁は小中学校への援助よりも、大学への援助を認める傾向にある。 また、連邦のプログラムのほうが州や地方自治体のプログラムよりも認められやすいという傾向もある。
 これらの傾向を踏まえて、この先どのような方向から、研究を進めていくかは今後の課題である。 アメリカ憲法とは異なり、日本の憲法では、89条前段で、 政教分離原則について財政面から規定した条文はあるものの、具体的な判例に乏しい。 そこで、このような違いが、なぜ生じるのかについても今後は比較研究したいと思う。

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水内麻起子(大学院修士課程)「宗教学校への公的助成と政教分離原則との関係について」(2004年1月9日)

 アメリカにおいて、初等教育機関に対して公的な財政援助を行った場合に、 政教分離原則違反となるかについて、アメリカの判例について研究を行った。 アメリカにおける政教分離原則違反か否かについての判例は、三つの時期に分けられる。 ①教育上のプログラムが宗教学校にもたらす、間接的な利益を認める考え方を採用した時期。 ②政府援助が宗教援助に転用されるおそれを重視した時期。 ③現代にいたるまでの、個々の事件に応じて、援助が宗教学校に及ぼす影響を検討する時期。 ①の時期には合憲判決が多く下され、②の時期には違憲判決が多く下された。 ③の時期になると、さらに②の時期の判例を覆す判例が多く出された。 この顕著な例としてミーク事件、ウルマン事件を覆し、教科書貸与を合憲としたヘルムズ事件が上げられる。
 このようにアメリカでは多くの初等教育機関への政府による財政援助の判例があるが、日本にはない。 この背景を探るのが今後の課題の一つだが、多くは歴史的経緯によるものと考えられる。 すなわち、日本では主に政教分離が問題となるのは国家神道に関する場合が多いのに対して、 アメリカでは、カトリック系宗教学校が多いために、教育機関への政府の援助が問題となることが多いからである。

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水林彪(一橋大学教授)「私の研究の「これまで」と「これから」」(2005年5月6日)

 「基礎法分野の新任教員は、すみやかに、法文化構造論総合問題演習において、着任挨拶をかねた報告をすべし」 とする慣例にしたがい、表記のテーマでお話した。 話のほとんどは、私の「これまで」の研究の紹介であり (そのために、これまでの私の著作・論文リストを作成し、研究会参加者に配付した)、 報告の末尾で、「これから」の研究の抱負について、若干のことを述べた。
 研究の「これまで」については、次のことを述べた。  (1) 私の研究の出発点は、日本近代法史であったこと(1970-73)
 (2) 上記研究の過程で、日本近代法の特異なあり方の歴史的起源が問題となり、 その前史研究のために、日本近世の国制と法の研究に取り組んだこと(1974-89)
 (3) 近世の国制と法の研究の過程で、天皇制のことが問題となり、 その起源を尋ねて、古代天皇制研究に取り組んだこと(1988-)
 (4) 以上の日本法制史研究の過程において、一貫して、 わが国の国制と法の歴史の特質を比較史的視点によって解明することを志し、 日本・西欧・中国の比較研究を行なったこと。
 研究の「これから」については、初心にたちかえって、日本近代法史(法学史)を、 西欧法の継受ないし西欧近代法史との比較の観点から研究する所存であること、を述べた。

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水林彪(一橋大学教授)「『天皇制史論』の要点」(2006年12月8日)

 2006年10月に公刊の機会を得た『天皇制史論―本質・起源・展開―』(岩波書店)の要点を報告した。すなわち、
(1)天皇制を宗教的権威の観点から論じても、天皇制の本質は解明されえないこと、
(2)天皇制は、「支配の正当性」の観点から、 「権力を正当化する権威」の観点から論ずることによって、その本質が明らかになること、
(3)そのような特異な現象(なぜ「特異」と言うかといえば、 前近代においては、通常、権力を正当化する権威は、天皇のような現世の存在ではなく、 神・天などの超越者であったから)が何故に形成されたかという問題は、律令天皇制の形成論として論ずべきこと、
(4)律令天皇制以降の前近代の国制史は、天皇という現世の権威のもとでの、 様々の権力(摂関、院、武家など)の興亡史として描くことができること、
(5)以上のような日本国制史は、天上の権威のもとで権力の歴史が展開した西欧の国制史と際だった対照をなすこと、 そして、そのことを根拠に、西欧において形成された法観念とは異質な法観念が展開したこと、
(6)天皇制に象徴されるわが国の法文化は、今日においても根強く残存し、 そのことが、現代日本の諸困難の根拠の一つとなっていること、
などを論じた。

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水林彪(一橋大学教授)「憲法と民法の本源的関係―loi constitutionnelle(1791)とCode civil(1804)の場合」(2009年5月8日)

 (1)本報告は、憲法と民法との関係の本来の関係はいかなるものであったのかを探究するために、 フランスの1791年憲法と1804年の民法典の場合について考察することを課題とする。
 (2)日本法制史研究者としての私が、このような課題に取り組むにいたったことには、 いくつかの理由があるが、その一つは、1889年大日本帝国憲法と1898年明治民法の関係の特性把握 (これは、わが国近代法体系の特性把握のための中核部分をなす)のための不可欠の前提として、 憲法と民法の関係の本源的形態について理解しておきたい、ということであった。 このような問題意識のもとに、昨年、下記参考文献欄に記載した二つの論文を発表する機会を得た。
 (3)この二論文に対して、何人かの方々から、論評をいただいた (民法学の山本敬三氏、憲法学の山元一氏、高橋和之氏など)。 このうち、高橋氏のそれは、私見に対する全面的と言ってもよいほどの批判であった。
 (4)本報告は、高橋氏のご批判を受けて、あらためて、上記問題について考えてみようとするものである。 報告では、まず、上記二論文で展開した私見を要約し(Ⅰ)、 ついで、高橋氏の見解を紹介し(Ⅱ)、 最後に、高橋氏の議論に対する応答(反批判)を試みる(Ⅲ)。

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ジョン・ミドルトン(一橋大学専任講師)「イギリスにおけるプライバシーの法的・倫理的保護論の展開」(2001年5月25日)

 イギリスの高度情報化社会においては、誤報・虚報はすでに大きな社会問題となっており、 それに対する国民の関心が高まっているが、 包括的プライバシー権やアメリカにおいて認められている公衆の誤認によるプライバシー侵害が 従来のイングランド国内法上認められていないため、 法的救済を求める被害者は、名誉毀損事件として提訴するほかない場合が多い。 そして、プライバシー侵害に当たる可能性のある誤報・虚報の内容は、必ずしも名誉毀損にも当たるとは限らない。 それに当たらない場合には、その被害者は、 プレス苦情処理委員会のような特別の機関へ苦情を申し立てること以外に、救済を求める方法はない。 これは、望ましい状況とはいえない。
 議会は、長年にわたり、包括的プライバシー権の立法に対して抵抗しながら、 様々な委員会の勧告や議員提出法案を検討したが、 結局、プライバシー法というものを制定しないで、ヨーロッパ人権条約の規定を国内法に編入することにより、 プライバシー権を含む国民の人権全般の保護を強化することにした。
 本発表では、誤報・虚報という従来からの研究視点を踏まえながら、 イングランド国内法による従来のプライバシー保護をはじめ、 イギリス全土においてプライバシー権と表現の自由を保障してきている国際法の内容も振り返り、 それに関する1998年人権法の規定を分析し、 それが今後どのような効果をもたらすかについて検討してみる。

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ジョン・ミドルトン(一橋大学助教授)「アメリカにおける虚報とプライバシー侵害性」(2006年5月12日)

 日本やアメリカの高度情報化社会における表現の自由は、憲法によって有効に保障されているにもかかわらず、 倫理的報道による名誉・プライバシーの権利の保護よりも、 売上や視聴率の増加の方を優先させる無責任なメディアによって濫用されやすい。 メディアの過度な競争や営利主義は、深刻な人権侵害の原因となっており、 今後、情報化社会が高度化するに伴い、誤報・虚報はますます増加するおそれがある。
 アメリカにおいては、虚報は、まさに現実の悪意(actual malice)に当たるとして、 合衆国憲法修正第1条による表現の自由の保障の適用外とみなされている。 虚報被害者は、名誉毀損(libel)、プライバシー侵害(invasion of privacy)、 悪意虚偽(injurious falsehood)などを理由に 裁判所に訴訟を提起することができるが、虚報がプライバシー侵害に該当し、 救済が認められるのは、比較的限定された場合である。
 本発表では、特に日本の報道被害者の参考になると考える、 その「公衆の誤認によるプライバシー侵害」(false light invasion of privacy)という 不法行為法について考察する。

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ジョン・ミドルトン(一橋大学教授)「インターネットと名誉毀損」(2009年4月24日)

 近年、インターネットやオンライン・サービスの利用が爆発的に増大してきていることに伴い、 サイバースペースにおける名誉毀損の問題が大きな関心を集めている。 また、プロバイダーがどのような責任を負うべきかについても議論されている。
 サイバースペースでは、名誉毀損になり得るようなコンテンツが 従来のメディアにおけるよりもはるかに多く流通しており、名誉毀損訴訟が提起される可能性が高い。 しかし、インターネットにおける名誉毀損に対していったい誰が責任を負うのか。 オンライン・プロバイダーは、そのサービスを通じて伝達されるすべての表現に対して責任を負うべきか。 原告が複数の法域において訴訟を提起することは認められるべきか。 原告が最も有利な判決を得るために法廷地漁りをすることは認められるべきか。 これは比較的新しい分野であるため、ここで指摘したような問題に対する明確な答えは、まだ出ていない。
 このような新しい状況のなかでも、裁判所は、高度情報化社会の新しいメディアや技術が生み出す新たな法律問題に対し、 従来の法律を適用しようとする傾向が強い。
 今回の報告では、主として、オーストラリア、イギリス、アメリカの事件、 それに関する判決を取り上げ、これらの問題について検討することにしたい。

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ジョン・ミドルトン(一橋大学教授)「イギリスの電波メディアに対する苦情申立て―オフコム(通信放送庁)の活動」(2011年5月20日)

 イギリスのオフコム(通信放送庁・Office of Communications, Ofcom)は、2003年12月に、 従来の独立テレビジョン委員会(Independent Television Commission, ITC)、 放送基準委員会(Broadcasting Standards Commission, BSC)、 オフテル(電気通信庁・Office of Telecommunications, Oftel)、 ラジオ庁(Radio Authority, RA)、 及びラジオ通信庁(Radiocommunications Agency)に代わって設立された。 それは、情報のデジタル化がますます進んでいるメディア融合時代に適したスーパー規制機関として、 現在、イギリスのテレビ放送、ラジオ放送、電気通信、及び無線通信サービスに関する権限を持っている。
 本報告では、報道被害者の救済法の観点から、 電波メディアに関するメディア・アカウンタビリティ制度の代表的なモデルとして世界的に注目を集めてきている オフコムの機能、救済方法、実績などについて考察することにする。 そして、その活動の有名な実例として、 そのコンテンツ制裁委員会(Content Sanctions Committee)が、 2007年6月26日から2009年10月2日までの間に、 テレビ・ラジオ番組の視聴者・聴取者コンテストにおける不正行為に対して下した 19件の裁定の概要を簡単に紹介したい。

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森勇斗(大学院修士課程)「錯誤法の再構成と我が国の債権法改正に於ける「不実表示」論―特に大陸法型錯誤(Error)、英米型錯誤(Mistake"s")、そして能動的或いは受動的な混合法を題材に」(2018年11月30日)

 昨年5月、 我が国では民法の一部を改正する法律(平成29年法律第44号、以下「改正民法」)が成立し、 その多くは平成32年には施行される見通しである。 同法の改正作業に於いては、最終的に採用に至らなかったものも含め、 旧来の判例法理の明文化、諸問題の解決、諸外国法の態様を含めた再構成が試みられた。 法律行為論及び契約の成立に関連して「不実表示」もその議論の対象となった。 錯誤法のサブルールとしての規定が検討されていたが、 最終的には採用に至らず、改正95条は動機の錯誤を明文化するに留まった。 しかし、その理由の中には一般法たる民法に於ける消費者法的視点への批判という混乱も見られる。
 本報告は、 その不実表示論を巡って錯誤法のサブルールとしての一般法的性質からの再出発を試みるものであるが、 それにあたり、 第一に、その理論構成、その基礎たる動機の錯誤の理論的位置付けが問題となる。 即ち、従来的な意思の欠缺理論と不実表示及び不実表示の基礎たる動機型錯誤自体は整合せず、 一方で改正法上の取消しという効果を捉え、 瑕疵ある意思表示論に組み込むのであれば、 今度は本来型の錯誤が整合しない。 第二に、我が国の「錯誤」に於けるアプローチが根本的に不実表示と整合するのかが問題となる。 不実表示とは英米法的アプローチであるが、 そもそも「錯誤」自体が大陸と英米では異なる可能性も存する以上、 必ずしも不実表示の導入に意味があるとは限らない。
 そこで、以下の三段階に分けて論じたい。 ①先ず、意思理論に基づく大陸型錯誤(error, Irrtum, erreur)と、 錯誤と不実表示による二重のアプローチによる英米型錯誤(mistake"s")、 そしてそれらの混合としてのモデルローやミクストリーガルシステム地域でのアプローチを参考に、 「錯誤」アプローチの異同を明かし、その基準を考察する。 ②次に、我が国の判例に於ける錯誤アプローチの構造を検討し、 実態としての我が国の錯誤アプローチの現状を検討する。 ③そして、その上で我が国の錯誤法の理論的再構成と、 我が国の民法に於ける不実表示を含むアプローチの妥当性を再検討を試みる。 本報告では、このうち主に②の部分を扱う。

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森勇斗(大学院修士課程)「契約の効力に於ける「リスク配分」型展開の発見と理論的構築―不実表示、あるいは惹起型錯誤と呼ばれる法を巡って」(2019年10月4日)

 本報告では「錯誤法の理論的再構成」を扱う。 基となる提出予定の修士論文では、 昨年度報告及び既出拙稿(『一橋研究』43巻2-4号(2019), 1-14頁、及び44巻1号(2019), 1-15頁所収)を踏まえつつ、 脱稿後の知見を踏まえることは勿論、 既出拙稿での各章の論証をより深めるべく、 以下の三部構成にて論じる予定である。
 第一編では錯誤に於ける意思理論的説明(本稿では「狭義の意思理論」と呼ぶ)の改正法や 現代に於ける整合性(理論的転回の必要性)について論じ、 第二編では各錯誤アプローチに於ける「リスク」の所在を論じ、 日本法に於けるアプローチの位置付けを具体化しその理論的再構成を行うと共に、 第三編にて現状としての改正法上での実現についての解釈論的検討を行う。
 本報告に於いては、このうち第二編、即ち「リスク」の所在を論じたい。 ここでは、比較法的手法により、前述の既出拙稿にて述べるerrorアプローチ、 mistake(s)アプローチ、 そして主に混合法域に於けるerror-mistakes的アプローチに於ける「リスク」の所在を検討の上、 日本法のアプローチの位置づけを検討したい。

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森勇斗(大学院博士後期課程)「日本錯誤法の「アプローチ」的位置付け及び理論的再構成」(2020年12月11日)

 錯誤法は、 本質的には錯誤が存したときに相手方からすれば 「法律行為(本稿では、特に契約)が無効/取消しとなり、当該法律行為の結果が到来しない」 或いは錯誤者側からすれば 「無効/取消しとはならず、当該法律行為に拘束される」 という「リスク」をどのように配分するべきかを取り扱う規定である。 従来は、 このリスクの配分及び転換の構造を、 意思主義と表示主義の緊張からなる、 無効な法律行為に於ける「意思の欠缺」や、 取消されうる法律行為に於ける「瑕疵ある意思表示」として説明してきたが、 従来より本来型錯誤と動機型錯誤での理論的構築の差異は指摘されていた。 そうであるところ、 改正債権法では、 法文上本来型錯誤と動機型錯誤を一括りに規定し、 効果を「取消し」とするため、 従来の錯誤理論からの説明では不整合を来すこととなった。 そこで本研究では、 錯誤リスクの配分/転換構造の「実態」に着目し、 その理論的構築を試みる。

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森村進(一橋大学教授)「幸福度判断の時間的単位、あるいは努力しないで幸福になる方法」(2001年5月11日)

 短いが恵まれた一生を送った夭折者は、なぜ不幸だと見なすことができるのか? 個人の幸福を短期間について語ることは可能か? われわれは通常自分の欲求を人生全体の計画の一部として評価するのか? 別々の人々はこれらの問いに対して、自分自身の、しばしば暗黙の幸福観に従って、別々の仕方で答えるだろう。 私はこの報告において、個人の幸福の程度を判断する方法を次の三つの仕方で区別した。
・幸福度判断の基準について、1.絶対的基準アプローチ、2.平均人基準アプローチ、3.本人基準アプローチ。
・幸福の時間的単位について、1.現在状態説、2.近過去説、3.過去の生涯説、4.全生涯説。
・生涯を通じた幸福度判断の形式について、1.総計説、2.平均説、3.有機的全体説。
 私はこれらの諸説の意味するところを検討し、それらがいずれもそれなりの説得力を持っていることを認めた上で、 結論としては絶対的基準説と近過去説を提唱した。 (私は生涯を通じた幸福度判断は重要でないと考えるので、第三の区別については特定の説を提唱しない。) その際に大きな影響を与えたのは、幸田露伴の「快楽論」である。

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森村進(一橋大学教授)「リバタリアンの人間像」(2005年6月10日)

Ⅰ 現実の人間像と理想的人間像の区別
 その区別は重要。共同体主義者はしばしば両者を混同する。 人間は共同体への所属によって構成された徹頭徹尾社会的な存在だと言う一方で、 現代社会の人間は個人主義的すぎると批判する。 だが人間がそれほど社会的な存在ならば、何も「社会的であれ」などと命ずる必要はない。
Ⅱ 現実の人間像
 簡単に言えば、多種多様な人間がいる。特定の人間像を前提しているわけではない。 リバタリアンは、社会には立派な人間ばかりだ(だから政府がいらない)と想定している性善説論者ではない。 その一方、人間がすべて日常的な意味で利己的だと想定する必要はない (一部の経済学者がそのように想定するとしても、たとえばD・フリードマンはそう考えていない)。 各人の目的は違い、万人にとって共通の目的(「共通善」)はほとんどないと考えているだけ。
 各人が自分の利益について完全な情報や合理性を持っているとは想定しないが、 それでも他人や政府機関よりは、たいていいつでもよく知っていると想定する。
 また人間の共同性や共同体の意義を否定するわけでもない。 「人間は社会的な存在だ」という指摘は、リバタリアニズムへの批判としては有効でない。
Ⅲ 理想的人間像について
 これについても、多種多様な理想があってよい。 むしろ特定の理想を公定することは、リバタリアンな自由尊重ともリベラルな「善の中立性」とも矛盾する。 「期待される人間像」はいらない。それは各人の問題である。 実際にはリバタリアンの中には開拓民風の「無骨な個人主義」の生き方を理想とする人が多いことは事実だが (例:ランド、伊藤清彦)、誰もがそうである必要はない。 会社人間だったり、コミューンで暮らしたりしてもいい。
 さらに、自律的だったり理性的だったり長期的計画を立てたりする必要もないし、勤勉である必要もない。

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森村進(一橋大学教授)「家族制度を法定することの意味」(2010年10月1日)

 民法典のうち家族法は契約法などと違い強行規定と解されているが、 はたして家族関係を強行規定として定める理由はどこにあるのか、 またそもそも法律で規定する必要性があるのか? これらの問題を考えながら、家族法制度の根本的な検討を行いたい。

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森村進(一橋大学教授)「ケルゼンの根本規範は有意義か?」(2011年6月3日)

 本報告の目的は、ケルゼン(Hans Kelsen, 1881-1973)の純粋法学(Reine Rechtslehre; Pure Theory of Law)の中で顕著な、 一見不可欠の役割を果たす根本規範(Grundnorm; Basic Norm)という概念が 果たして法の理解にとって有益か否かを検討するものである。
 私は最初に根本規範に関するケルゼンの議論の大要を述べてから、 <根本規範の想定は法体系の存在のために必要ない>、また<根本規範は法の内容の解明に役立たない>、と主張する。 その主張を展開する過程で、純粋法学における法の実効性の概念、 慣習法に関する記述、規範体系の統一性の想定などが検討される。
 最後に補足として、日本の最近40年間のケルゼン研究の趨勢と、 先週北京で開かれたケルゼン生誕130周年記念シンポジウムについても述べたい。

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森脇周平(大学院修士課程)「法移植・継受論による法整備支援の分析」(2003年1月10日)

 日本は1990年代半ばから、国際協力事業団がODAを使用し、主にベトナム、カンボジア、 ラオスなどの体制移行国を対象として法整備支援を行っており、 近年、法整備支援を対象とした研究も増えてきている。 しかし、それらの先行研究の大部分は実務家の手によるものであり、同じ前提に立ち議論を進めている。 また、法整備支援を理論的に支えるものとして、「法と開発運動」、「新しい法と開発運動」が提唱されもしたが、 それらに対しても西洋型法制度への進化的プロセスを基調としているといった批判が寄せられている。
 そのため、本報告では、法整備支援を比較法学の中に取り込み、法継受論、法移植論の学説を使って、 別の角度から法整備支援の有効性、被支援国の主体性、法の連続性の確保について検討した。 法整備支援も援助国から被援助国への法の移転現象としてとらえられるからである。
 かつては、法継受・移植論をめぐる言説には「法の独立、自律」を重視する立場と、 「社会的文脈、文化的依存性」を重視する立場の対立がみられた。 しかし、その後、G.Teubnerのように、「文化の自律性と多元性」に配慮し、 両者の対立点を統合する立場もあらわれた。 彼は「構造的連結」という概念を使い、「法の言説と他の言説との構造的連結」との強弱によって、 法の移植の可否が決定されると述べている。そこから、法整備支援を成功させるためには、 移植のしやすい分野としにくい分野を区別し、両者の対応を変えること、メンタリティー、 法文化の違いを乗り越えるために、相互にコミュニケーションをとり、被援助国の主体性を維持し、 自国の社会に移植された法を適応させていくために 必要な時間的余裕を与えることが必要であるといったことが導かれる。

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森脇周平(大学院修士課程)「法継受論の射程の拡張―グローバル化、日本法の移転の観点から」(2003年11月14日)

 従来の法継受論は、主に二国間の継受、法継受に伴う文化変容等の文化的側面からの分析が行われてきた。 しかしながら、グローバル化の進行により、 異なる法文化圏に属する複数の国々をまたいだ法移転が今後、盛んになると思われる。 また、従来、西洋諸国が法を移転し、非西洋諸国は法を継受するという前提の下、議論が行われてきたが、 日本等の非西洋諸国からの法の移転も現在に至るまで一貫して行われていた。 このことから、従来の文化を重視する継受論の枠組みでは、 法の移転現象を正しく把握することができなくなる事例が今後、益々増えていくと思われる。 そこで、より多くの法の移転現象を的確に分析するためには法継受論に、法の機能の観点を導入し、 文化的側面に加え、機能的側面からの法継受論を行っていくことが必要だと思われる。 つまり、法がどの程度、現実社会において効率的に機能しているのか、各継受主体はどの程度、 機能的な法を持っているのかという観点から法継受論を組み立てていくことが必要であると思う。 法の継受に際しては、文化的側面と機能的側面が相互に結びついて、法の継受を規定しているが、 今後、グローバル化が進むにつれ、文化的側面に比して、機能的側面が法継受を語る上でより重要になっていくだろう。 このように、今後の法継受論においては、法文化の違いのみを重視するのではなく、 上記のように文化とは異なった視点からも法の継受を分析していくことも必要ではないかと思う。

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森脇周平(大学院修士課程)「法継受論再考―日本法の移転の観点から」(2004年10月8日)

 日本の法、法学は戦前から、海外へ移転されてきたにもかかわらず、 比較法学者はその事実にあまり注目してこなかった。 そのため、法の移転現象を扱う法継受論においても、 その理論の構造上、日本法の移転現象を上手く説明できていない。 このような事態の原因は、法継受論において、過度な二極分化の思考法の下、 実際以上に、西洋法と日本法を対極的なものとして捉えることにより、 日本法の性質について正しくとらえてこなかったこと、 法継受論の対象を二国間の継受に限定してきたことによる。 今後、グローバル化の進行により、法接触、法移転が増大するとともに、法整備支援等の形で、 日本等の非西洋諸国からの法移転が増大することが予想される。 日本法の移転現象を法継受論の中に取り込むためには、 西洋法と非西洋法について、過度に二極分化させ捉える見方を改め、 柔軟にその性質を捉えるとともに、継受現象を、継受の連鎖の形態において捉えることが必要である。 これは、法継受論において、日本法の移転を正しく分析するために必要となるだけではなく、 グローバル化にともない性質を変えつつある、これからの法の継受現象に対して、 法継受論を使い、的確に分析していくためにも必要な見方であると思う。

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屋敷二郎(一橋大学専任講師)「エミリー・ケンピン=シュピーリ研究序説」(2000年11月17日)

 日本の現行民法典のモデルとなったドイツ民法典(BGB)については、 その第一草案の自由主義的側面に対して、ギールケやメンガーらの社会法的立場から、 あまりに自由主義的であるとの批判がなされたことがよく知られている。 こうした批判は、リベラルな市民法秩序をあくまでも原則とした一定の制約のもとで、 BGB第二草案に影響を与えることになった。 これに対して、女性運動の立場からBGB草案の家父長制的性格に強い批判がなされたことについては、 これまであまり注目されることがなかった。 むろん女性運動家たちの批判は、主として家族法とくに女性の法的地位をその対象としており、 社会法学者たちのように法典全体の構造を視野に入れたものは少なかった。 また、その批判の成果は非常に限られたものであった。 その限りにおいて、家族法に対する財産法の優位という近代法学の一般的傾向を別にしても、 女性運動家たちへの注目がギールケらに比して少ないのは当然ともいえる。 まして、そうした批判が法学者ではなく素人の運動家・圧力団体によるものであれば、なおさらであろう。
 しかし、エミリー・ケンピン(Emilie Elisabetha Kempin, geb. Spyri: 1853―1901)は、 他の女性運動家たちとは異なり、れっきとした法律家であった。 チューリヒ大学で法学博士となり、女性としてヨーロッパでおそらく最初に法律家(Juristin)となったケンピンは、 チューリヒ大学とニューヨーク市立大学で法学を講じ、 英米法の専門家として法律専門誌に論文を発表し、法律家大会(Juristentag)に参加し、 法律顧問として生計をたてていた。 同時にケンピンは、一般誌向けの論説や啓蒙書を著して女性の法的地位向上のために尽力し、 女性に弁護士資格を認めたチューリヒ弁護士法改正(一八九八年)および 妻の法的地位に関するBGB第二草案の修正に決定的な影響を与えたのである。 その修正内容は、①妻の仕事道具を留保財産とすること、 ②後見裁判所の裁可による夫の解約告知権の制限、③夫の不在時の妻による親権行使、 ④妻が後見人となることの原則的承認など、限られた範囲のものではあった。 しかし、これらは妻たる地位にある者の職業活動にとって、 すなわち、ケンピン自身の職業的基盤としてみれば、重要な意味をもつ修正であった。
 そうしたケンピンであるが、 時代のエスタブリッシュメントにも受け容れられる(その意味では妥協的な)改革案に軸足を据えたがゆえに、 当初は連帯していた同時代の女性運動から孤立してしまったばかりか、 その激しい批判を受けるにいたったことは、まさに皮肉というほかない。 これをいわゆる男性原理への取り込みがもたらした悲劇とみることも可能ではある。 しかし、現実的な提案によって法改正を実現し、BGBにおける女性の法的地位を改善したのは、 あくまでも「ニュートラルな」法的議論の枠組みにとどまり、 その枠組みに固執したケンピンの功績であった。

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屋敷二郎(一橋大学専任講師)「法史学の存在価値?」(2003年1月24日)

 ドイツの法史学者ハインリヒ・ミッタイスは1947年の論文『法史学の存在価値』において、 法史学が実定法学と歴史学の双方に対して貢献しうると主張した。 しかし、実定法学との関係では、①現行法入門としての役割に必要なアウトラインはすでに描き終えられており、 ②歴史的経験の在庫は法的問題解決の参考となりうるが、 その貢献可能性は実定法への関心の強さにほぼ比例するであろう。 まして、③将来的発展の方向を示すことなど、どだい無理である。 また、歴史学との関係では、①法的素養のある方が法的文書を適切に取り扱いうるのは事実だが、 ②法的概念構成を強調することはむしろアナクロニスムの危険を増大させるし、 ③歴史的価値判断の強調に至っては過去を生きた人への僭越に他ならないであろう。 このように考えると、ミッタイスの主張は、やや誇大広告のきらいがあるとさえいえる。 学問に必要なのは、もっと率直な言説である。
 そもそも法史学の使命とは何なのか。 方法論の話なのか、素材の話なのか、所属学部の話なのか―これらは名宛人によって異なるであろう。 ここでは法学教育における法史学の機能について検討しよう。 それは①相対化機能と②導入教育的・一時避難所的機能に大別される。 ミクロ的には具体的法解釈において、マクロ的には現行法制の枠組そのものの問い直しにおいて、 法史学は、法学を学ぶ学生に対して相対化の視点を提供することができる。 こうした視点は、実定法学からの期待にも応えるものといえよう。 しかし、こうした機能にとって重要なのは、持続的な効果をもつことである。 実用的とは言い難い法史学の知識が定期試験の翌日に記憶から抜け落ちてしまうようでは、 わざわざ半年かけて学ぶ意味などない。 また、必ずしも全ての学生が十分なインセンティヴをもって法学部に入学しているわけではないことに鑑みれば、 非実定法学科目である法史学は、導入教育という点でも、 ドロップアウトしかけの学生を還流するためのバッファとしても、十分な貢献が可能であろう。
 そのような意味において、制度史を講義することの意義には疑問符が付せられる。 制度史の研究はもちろん重要だが、講義に関しては現行法制の正当化・固定化につながりやすいし、 一意的発展を学生に印象付けかねない危険もある。 それに、細かな制度の変遷など、単位をもらった学生がいつまでも覚えているはずもない。 むしろ、学生の記憶に残りやすい具体的で印象的な法史的事象を取り上げるとともに、 学生の興味を惹くようにエンターテイメント性に富んだ講義を心がけるべきではないだろうか。 どのみち法史学的知識がそのままの形で法生活に役立つことはないのだから、 かりに取り上げた事例が法史学的にみて重要度が低いものであったとしても、より印象的でありうるならば、 講義の素材としてはより優れたものなのである。

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屋敷二郎(一橋大学准教授)「ヨーロッパのユス・コムーネ経験と東アジア」(2007年6月15日)

 現代東アジアの法は、グローバル化のなかで一定の「傾向における共通性」をもつ。 しかし、律令はもはや過去の記憶で、ヨーロッパ近代法継受もせいぜい「法素材の共通性」を生んだにとどまり、 「法学の共通性」があるとは言えない。
 しかし、コーイングからヴィーアッカーを経てスタインに至るヨーロッパ法史学の成果が示すように、 この「法学の共通性」こそがユス・コムーネ(ヨーロッパ共通法)の実体である。 現代ヨーロッパにおける法統合の基盤は、何よりも相互に信頼可能な「共通する法的思考のパターン」にある。 これがなければ、国境にとらわれない議論や相互参照が「通常科学」(クーン)とはなりえない。
 ひるがえって東アジア法文化の共通性は、しばしば律令や儒教に求められる。 しかし、素材面でも学問面でも、現代の日本・中国・韓国では、 律令法伝統の断絶に鑑みて継受ヨーロッパ法に共通基盤を求める方が良いだろう。 ヨーロッパ法継受の経験を語り合い、 共通経験としての「近代東アジアのヨーロッパ法継受史」が日中韓の法学教育に不可欠の導入部門となれば、 東アジアに「法学の共通性」が生まれる基礎となりうる。
 他方で、東アジア法に特有の共通性を求めるならば、儒教的伝統を現代的視点からポジティブに捉えなおし、 共通の現代的な儒教的法文化を探求することで、 ヨーロッパ法文化が発展させた「法素材」でも「法学」でもない指標に基づく 独自の共通法文化を再認識することができるかも知れない。

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屋敷二郎(一橋大学准教授)「アルトゥール・ヌスバウムの法事実研究」(2009年6月19日)

 アルトゥール・ヌスバウムは、1877年に生まれ、1914年にベルリン大学私講師、 1918年に員外教授(商法・銀行法・証券取引法担当)に就任したが、 正教授に昇進することなく、ナチスによって亡命を余儀なくされ、1934年にコロンビア大学客員教授、 1939年に教授(公法担当)就任、翌年にはアメリカ合衆国に帰化し、1966年にニューヨークで没した。 その業績は膨大かつ極めて多岐にわたり、日本語に翻訳されたものだけでも、 『独逸抵当制度論』(1913年)、『国際法の歴史』(1947年)、『ドルの歴史』(1957年)を数えるが、 いまや殆ど忘れられた法学者といえる。
 ヌスバウムの著作には、いずれにも共通して法事実に対する強い関心が示されている。 実際、ヌスバウムは、1900年のBGB施行を経て純規範的思考が講壇を支配していたとされる 「法律実証主義の時代」にあって、 『法生活知識叢書』(1917~1933)や『社会法論集』(1926~1933)を相次いで発刊し、 自らが主宰する法事実研究ゼミナールの出身者に研究発表の舞台を提供した。 さらに1925年以降は、権威あるAcPの共同編集者に就任し、数多くの関連論文を講壇の中枢へと送り込んだ。
 このようなヌスバウムの「法事実研究」は、豊富な実務経験と、リストの「全刑法学」構想に由来すると思われる。 他方で、法律実証主義に反旗を翻したエールリヒなど自由法運動に対するヌスバウムの評価は厳しい。 本報告では、このような時代の文脈から照らし出されるヌスバウムの「法事実研究」の意義を問いつつ、 同時にヌスバウムの生きた時代を逆照射したい。

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屋敷二郎(一橋大学教授)「中世盛期ヨーロッパ法史像の革新―ペーター・ランダウ教授の教会法研究」(2010年11月26日)

 カノン法(カトリック教会法)研究は、あまり日本では馴染みがないが、 西洋では伝統的にローマ法・ゲルマン法とならぶ法史学の三大研究領域の一つである。 しかし、その地位は近年とみに低下し、 サヴィニー雑誌の三分冊構成の存続が危ぶまれるような状況に陥っているとされる。
 そのような研究状況のなかで、気を吐くのがペーター・ランダウ教授である。 ランダウ教授は1987年から2002年までミュンヘン大学で 「ドイツ法史・近世私法史・教会法・民法・法哲学講座」担当教授を務め、 現在は同大学法学部構内に設置された「シュテファン・クットナー中世カノン法研究所」所長の職にある。 近年のランダウ教授の研究は、いずれも大胆なテーゼを緻密な文献学的考証に基づいて論証するもので、 いずれも伝統的な中世盛期(11世紀中葉~13世紀中葉)ヨーロッパ法史像に重大な修正を迫るものである。
 本報告においては、このようなランダウ教授の研究成果のうち、 特に興味深いと思われる5つのテーゼを取り上げて検討する。
 1.レークス・サクソーヌムの伝承。 カール大帝が発布したレークス・サクソーヌムは、10世紀後半には伝承が途絶えたとされる。 これは成文法の適用という観念そのものが消滅したという伝統的理解の立場と一致する。 しかし、1017年の相続に関するティェトマー・フォン・メルゼブルクの年代記からは、 レークス・サクソーヌム(およびレークス・トゥリンゴールム)が適用されたことが伺われる。
 2.ボローニャ大学の国際性。 伝統的理解では、ローマ法学の復活とともに誕生したボローニャ大学は カノン法学においても指導的地位を占めたとされる。 しかし、ボローニャ大学のカノン法教授は、12世紀後半はほぼイタリア人だけで占められたが、 13世紀前半には逆にほぼ外国人だけで占められた。 これは教令学派から教皇令学派への移行とも一致しており、 イングランドやスペインの教皇令研究がイタリアを上回る水準にあったことを伺わせる。
 3.ゲルンハウゼン証書。 ハインリヒ獅子公の訴訟を記した1180年のゲルンハウゼン文書においては、 ラント法訴訟とレーン法訴訟における召喚手続に相違が見られる。 従来の学説では、その理由について種々の説明を試みてきたが、納得のいくものはない。 しかし、仮にカノン法の規定が当時の国王裁判所において知られており、 単にそれが適用されたと考えると何の不自然もなくなる。
 4.ザクセンシュピーゲルの成立。 アイケ・フォン・レプゴウ本人の序文によれば、 ザクセンシュピーゲルはザクセン人の伝統的慣習法を文書化した法書であり、 当初はラテン語で記したが、ファルケンシュタイン伯ホイエルの依頼でドイツ語に翻訳したとされる。 伝統的研究では、この説明が額面どおりに受け入れられる一方で、 ザクセンシュピーゲルの諸規定に対するカノン法の影響もまたしばしば指摘されてきた。 しかし、アルトツェレのシトー会修道院の目録はザクセンシュピーゲルへの影響が指摘される全ての文書を含んでいる。 これはザクセンシュピーゲルが同修道院の図書室でカノン法文献に依拠しつつ執筆されたことを伺わせる。
 5.ザクセンシュピーゲルの国王選挙規定。 金印勅書において完成する神聖ローマ帝国の国王選挙は、ヴォルフが提示した支配的見解によれば、 ハインリヒ1世を共通の父とするオットー朝の女系家族による選出とされる。 しかし、幾つかの例外を残らず説明するために、技巧的な細則を想定せざるをえないのが難である。 むしろザクセンシュピーゲルの国王選挙規定がアイケの創作であり、 それが後の国王選挙において影響力を持ち、金印勅書に至ったと考える方が単純かつ自然である。

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屋敷二郎(一橋大学教授)「進化の袋小路、あるいは夫婦財産法への比較法史的展望」(2012年1月20日)

 現代日本の夫婦財産法制が抱える諸問題は、 戦後の民法改正において、 家庭における伝統的性役割分担がいまだ支配的であったにもかかわらず、 夫・妻ともに経済的に自立した婚姻に最も適合的な別産制が法定財産制として採用されたことに端を発する。
本報告は、 ユーロ・スタンダードの形成に向けて動き出した現代ドイツ夫婦財産法の問題状況を紹介した上で、 ドイツの法定財産制である剰余共同制の思想的淵源とされるエミリー・ケンピンの夫婦財産法論を検討する。
 判例・学説が弱者たる妻の保護という見地から対応を重ねてきた結果 「進化の袋小路」に陥った感のある日本の夫婦財産法が再び発展の途を歩むには、 原点に立ち返ってグローバル化の波に伴う家族像の変化を見据え、 むしろ積極的にスタンダード形成に参画していくべきではないか。

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山内進(一橋大学教授)「神の平和と聖俗分離革命」(2000年4月28日)

 神の平和とは、10世紀末に南フランスで始まり各地に伝わっていった、平和形成のための運動である。 フェーデが跋扈し、教会や農村が荒らされる状況のなかにあって、 司教が平和会議を主催し、司教区内の聖職者や男女の俗人を集め、 教会・聖職者とその財産や貧者・弱者を攻撃しないことなどを決議したので、これを神の平和という。 神の平和は、ドイツにも伝わり、やがて皇帝などの俗権が中心となって聖俗の有力者に平和を誓約させ、 地域や国の平和を形成、実行する運動へと変わっていった。 これがラント平和である。このラント平和は、 国の平和=公安を破壊するものを身体刑によって処罰するという規定を含んだので、 とくにドイツ法制史では、神の平和運動は、近世における国家形成と公的刑法成立の、 いわば前史と位置づけられることが多い。
 だが、神の平和運動をラント平和や公権的刑罰の発展と直線的に結びつけ、その観点からのみ理解するとすれば、 それは神の平和の歴史的意義を一面的にしか捉えないものといえよう。 それは、教会や弱者、非武装民の安全を求める運動であると同時に、 「教会改革」(H.W.ゲッツ)の一翼を担っていた。 教会と聖職者を守るということは、聖職者が武器をもたないこと、 聖職者がそれにふさわしい行動をとることと表裏の関係にある。 初期中世にあっては、聖職者が武器をもち、姦淫し、世俗権力の一翼として活動することも決して稀ではなかった。 また、国王の司教叙任は確固とした権利とみなされていた。 これに対して、ローマ教皇は、 ニコライ主義(聖職者の妻帯を認める立場)と聖職売買(シモニア)を攻撃し、教会の純化をはかった。 ニコライ主義とシモニアの否定は、神の平和決議にも登場する。 神の平和は、聖職者を守ろうとしたが、その聖職者は霊的義務に忠実でなければならなかった。
 神の平和は暴力を制約し限定化したが、 それは「祈る人」「戦う人」「耕す人」という区分を明確化することでもあった。 10世紀以前のヨーロッパでは、必ずしも騎士が暴力を独占してはいなかった。 そもそも騎士身分というものがあったかどうかさえはっきりしない。 世俗の権力も決して純粋に「世俗的」ではなかった。 山田欣吾教授が指摘されたように、 カール大帝の「フランク帝国」もその「後継諸国家」も、当時の人々にとっては、なににもまして「教会」だった。 カール大帝は、異教徒を倒しキリスト教を維持するがゆえに「王にして司祭」とすら呼ばれた。 聖と俗は混じりあい、半ば一体化していた。
 神の平和は、この聖俗の絡み合いを断ちきり、聖俗の分離をもたらす一契機であった。 決定的なのは、教皇グレゴリウス7世(在1073-85)と 皇帝ハインリヒ4世(在1056-1106)との間で繰り広げられた聖職叙任権闘争であろう。 この戦いは、霊的権力の自立をめぐる争いだが、古い、いわば「前ヨーロッパ」をまさに近代に通じる「ヨーロッパ」へと、 思想と社会の全体にわたって変革する巨大な流れを生み出したように思われる。 その意義に鑑みて、ハーバード大学のバーマン教授は、これを教皇革命とよんでいる。
 だが、私は、聖俗分離革命と呼ぶほうがより適切ではないかと考えている。 「教皇革命」という概念では、教会のイニシャチブが過大に評価され、 ラント平和などの公権的平和形成に邁進した世俗権力の役割が見落とされてしまいかねない。 世俗化もまた、決定的に重要な流れを構成している。 いずれにせよ、聖・俗両権力が、政治的かつ法的、精神的な意味で互いに自立的に活動し、 双方のあいまいな関係を断ちきろうとするなかから、 新しい「ヨーロッパ」が生まれた。それは、おおむね12世紀を画期とする。 聖職叙任権闘争や十字軍運動、12世紀ルネサンス、ローマ法の復活と教会法の発展、 公権的裁判やラント平和の展開、新しい立法の思想などが、 そこで大きな役割を果たした。これらはいずれも、聖俗分離という革命的な激震と深く関わっていた。
 法史もまた、この激震の意味を改めて問わねばならないであろう。

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山内進(一橋大学教授)「帝国の移転(translatio imperii)─ヨーロッパとアメリカ」(2003年6月20日)

 1692年のはじめのことである。ボストン市北部の街セイレムで二人の少女が突然、異常な痙攣に襲われた。 やがて痙攣は他の少女たちにも広がり、少女たちは魔術にかけられたと訴えた。 ついに魔女裁判が開始され、およそ20名近くの男女が死刑に処せられた。
 この「セイレムの魔女裁判」で魔女の存在を認め、 被告人たちの有罪宣告に大きな影響を与えたとされる人物に、コットン・マザー(1663~1728年)という牧師がいる。 コットン・マザーは植民地に跋扈する悪魔と戦うことを植民者の使命と考えていた。 彼にとって、アメリカは「新しいイスラエル」、「神の国」であった。
 「神の国」の思想は広く人びとの心をとらえていた。 それは、アメリカを新世界、最後の永遠の国とみなした。この思想は、やがて「帝国」という概念と結合した。 というのも、中世ヨーロッパにおいて聖職者や知識人、為政者の間に流布していた 「帝国の移転(または帝権移転)」理論が18世紀半ばにアメリカ植民地に受け継がれたからである。 これは、アメリカを最後の永遠の帝国とみなす考え方だった。
 「帝国の移転」論は、「旧約」の「ダニエル書」における「ネブカドネツァルの夢」の解釈として、 教父ヒエロニムス(340~420年)などによって伝えられた思想である。 それは、その夢に登場する一つの像の4つの部分、また4つの怪獣に対する解釈である。 4つの獣は帝国の比喩で、最後の第四の獣がローマ帝国と解釈された。 帝国はローマに移転し、ローマ帝国はこの世があるかぎり永遠に存続すると主張された。 これは、中世になるとローマ帝国の帝権が神聖ローマ帝国に移転されたというイデオロギーのもとに 神聖ローマ帝国の永遠性を示すために利用され、ローマ法の継受にも大きな役割を果たした。
 この思想をアメリカにもたらしたのはアイルランドの聖職者ジョージ・バークリ(1685~1753年)である。 哲学者でも経済学者でもあったバークリは、また詩人だった。 かれは、1726年に書いた詩で「帝国の進路は西へと進む」とうたった。 最初の「四幕」はすでにおり「第五幕」が始まった、というこの詩の一節は、 四帝国理論を踏まえた、ヨーロッパからアメリカへの帝国の移転の美的、知的表現だった。
 「帝国の進路は西へと進む」という確信が、19世紀アメリカの市民の間で共有された。 バークリの名がエール大学のカレッジやカリフォルニア大学に残っていることをみても、 その影響力を察することができるであろう。 エール大学バークリ・カレッジは、最近の改修でこの言葉を地階の床に刻み込んだという。 「西へ」という言葉の重みは今日に及んでいる。
 西への動きは19世紀アメリカにおける「文明の明白な使命」(オサリヴァン)となった。 1861年、アメリカ議会下院に依頼され、 画家エマニュエル・ロイツェは西部への開拓を主題とする有名な絵を描いた。 アメリカ人の「明白な使命」観をみごとに絵画的に表現したこの作品の題は 「帝国の進路は西へと進む」であった。
 アメリカ「帝国」は、観念史的に考察すると、中世ヨーロッパを媒介として「旧約聖書」に通じている。 私は、このことの意味と歴史をさらに深く追跡したいと考えている。

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山内進(一橋大学教授)「ヨーロッパ意識の成立とヨーロッパ公法」(2005年5月20日)

 ヨーロッパという概念は古代ギリシアの時代からあるが、現在のように他の文明圏と区別される、 一個の独自の文明的存在を表現するものとして使われることはほとんどなかった。 ヨーロッパに一つのまとまりという自意識を最初に強く与えたのは十字軍だった。 しかし、この自意識はキリスト教共同体という言葉で表現された。中世にあってはそれ以外にありようがなかった。 これに変化をもたらし、キリスト教共同体という概念にかえてヨーロッパという言葉を用いるようになったのは、 人文主義者たちであった。 宗教よりも、文化を重視した人文主義者たちは、 とくにイスラム世界との対立のなかで非宗教的なヨーロッパという概念を 自分たちの独自の共同体という意味で用いるようになり、それがやがて一般化していった。
 この傾向は、16世紀以降さらに強められた。 とくに大航海時代を経て、ヨーロッパは軍事的に強大化し、各地に植民地をもち、 自らをより高い存在と位置づけるようになっていった。 17世紀以降の知識人たちは、ヨーロッパを独自の高度な文明的世界とみなし、 洗練された共同体、法と技芸の点で他と区別される同質的存在、いわば一種の共和国とみなすようになっていた。
 むろん、ヨーロッパの内部にはさまざまな国家があり、互いに争うこともある。 しかし、共和国の一員として、共通の慣行や法を守り、 バランス・オブ・パワーによって平和を維持するのが文明的ヨーロッパだった。 このヨーロッパは諸国家相互の文明的規則を有した。 それがヨーロッパ国際法であり、あたかも一個の共和国としてこれをヨーロッパ公法と呼んだ。
 ヨーロッパ公法の外にある地域には国際法つまりヨーロッパ公法は存在しなかった。 あるのはせいぜい自然法であった。 ここでの自然法とは、私人にすら権利の執行、 いいかえれば権利侵害に対する実力行使または武力行使を認めるものであった。 ヨーロッパの植民者たちは耕されない無主地に対して先占の権利を主張し、 襲ってくる原住民に対して自然権を行使した。 互いを尊重する文明的ヨーロッパ公法はヨーロッパという空間でのみ機能するものでしかなかった。
 ヨーロッパに住む人々のヨーロッパ意識を発達させたのは、17世紀以降の文明的同質性と優越感だった。 その典型的な表現がヨーロッパ公法という思想だったのである。

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山田浩成(大学院修士課程)「現代中国法研究の方法論」(2018年6月29日)

 本報告では、現代中国法研究において、 どのような方法・視点が意義のある研究につながるのかについて論じる。 中国国外の学者によって行われてきた中国法の研究は大まかに、 西洋中心的近代化理論の潮流の中にある研究(Imperfect Realization of Idealアプローチ、近代法形成史論)と 中国中心的研究(イデオロギー的援用、固有法史論)に分類される。 いずれの研究方法にも理論上の限界があり、 中国法研究者はそれぞれの研究分野や問題意識に照らし合わせて、 いかにその限界を乗り越えるかを論じてきた。 本報告では、これらの先行研究を参照し、自身の中国法研究への示唆を探る。

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山田浩成(大学院修士課程)「中国の環境損害に対する法的救済についての研究」(2019年10月18日)

 本報告は提出予定の修士論文「中国の環境損害に対する法的救済についての研究」について、 その構成と趣旨を提示することを目的とする。 修士論文は以下の3つの内容を含む予定だが、本報告では特に(2)を中心に扱う予定である。
 (1)まず、中国の環境問題が深刻化した社会的背景として一元的な環境ガバナンスの下で、 環境保護よりも経済成長を優先する政治的状況が持続した結果、 環境行政が機能不全に陥っていたことを指摘する。 (2)次に、上記のような状況から生じた深刻な環境損害に対する 法的救済の実施や行政による適切な権限行使の確保を狙いとして環境公益訴訟制度が導入されたものの、 現在までこれらの狙いは十分に果たされず、 特に環境損害への対応については行政を中心とする 生態損害賠償制度の導入されるに至ったという試論を提示する。 (3)最後に、生態環境損害賠償制度の導入は中国における環境ガバナンスが 行政による一元的な形態へと回帰しつつあることを意味しているとの見方を示す。

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山田浩成(大学院博士後期課程)「中国の生態環境損害賠償制度の位置づけ─環境公益訴訟制度との関連から」(2020年11月27日)

 2015年、中国では生態環境損害賠償制度と呼ばれる制度が登場し、 行政機関が環境そのものに損害を与えた者に対して損害賠償を求める協議および訴訟を行えるようになった。
 しかしながら、環境そのものの損害については、 生態環境損害賠償制度の実施が始まる以前から、 環境保護団体や検察機関が環境公益訴訟を起こして賠償請求を行い、 法院によって認められてきた経緯がある。
 このように、 生態環境損害賠償制度と環境公益訴訟制度は環境そのものの損害に対する賠償請求について競合しており、 その位置付けをめぐって実務と理論の両面で混乱を来していたものの、 2019年に競合関係の解消を図る規定が置かれたことで、 両者の位置付けの違いが明確になった。
 本報告では、以上の経緯を踏まえて、 生態環境損害賠償制度が環境公益訴訟制度との関連上どのように位置付けられているのかを示し、 その背景にある両制度の構想の違いについても論じる。

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山田浩成(大学院博士後期課程)「現代中国法研究における「民事」概念の再考序論」(2021年7月9日)

 中国では、原因者の負う環境修復責任を、 民事上の責任として構成するアプローチが採られている。 すなわち、環境そのものの損害が生じた場合、 行政機関、検察機関または環境保護団体が、 原因者を相手取って訴訟を起こし、 そこで損害賠償や原状回復(環境修復)を請求できる。 これに対して日本では、公法上のアプローチが採られ、 行政が原因者に対して費用負担または原状回復の義務を課す。 このように、日中の環境修復責任の法的性質は明らかな対照をなしているように見える。 しかしながら、中国の環境修復責任はその字面だけから「民事」上の責任と理解されるべきではない。
 本報告では、 (1)その理由を民事訴訟法学上の訴訟目的論と環境そのものの損害が論じられる文脈に注目して説明し、 (2)中国における公法・私法の区分が、日本の法学が想定しているそれとは大きく異なる形態で存在している可能性を指摘し、 (3)日本の現代中国法研究が前提にしてきた「民事・私法」およびそれに対応する「公共・公法」概念の再考を主張する。

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山田浩成(大学院博士後期課程)「中国における環境修復に関する法制度の概況」(2022年11月25日)

 環境の質の悪化は未然に防がれることが望ましいが、 様々な要因から予防に失敗し、 後に汚染の除去や自然環境・資源の回復(環境の修復)を行う必要に迫られる場合が少なくない。 近年、中国でも環境の修復が取り組まれるようになっており、 複数の制度・経路によってその実現が目指されている。 報告者は現代中国法における「民事」がどのような概念・領域であるかに関心を持ち、 原因者に対して修復の実施または費用の負担を請求する「民事訴訟」やそこでの「民事責任」を考察の対象としてきた。 その一方で、行政命令や公共負担による修復については手薄であったと言わざるを得ない。 本報告では以上の事情を踏まえて、 中国には現時点でどのような法制度がありそれぞれどのような特徴を持つのかについて整理し、 「損害責任原則」と公共負担の関係や修復費用の現状についても触れる。

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山田浩成(大学院博士後期課程)「中国における環境修復の公共負担の仕組みに関する検討─土壌汚染防止・対策に着目して」(2023年9月29日)

 中国では、2010年代半ばから「環境修復」を目指す法制度の構築が進められてきた。 協議、訴訟や行政命令といった経路を通じて、 原因者負担での環境修復の実現が目指される一方で、 公共負担の余地も広く残されている。 原因者負担が原則とされている以上、公共負担は例外であり、 原因者の特定が不可能または原因者の資力が不足する場合に限定されなければならない。 しかし、環境を構成する要素の多くが公有(国家所有、集団所有)に帰するため、 環境修復において国家(政府)が果たす役割は上記の例外を越えて広がると推察される。 本報告では、特に土壌汚染の対策・防止に着目して公共負担がどのような形で行われているのかを示した上で、 民事責任として原因者に課される修復責任の位置づけについても検討を試みる。

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山本啓介(大学院博士後期課程)「J.ロールズの市民的不服従論とその課題」(2016年5月27日)

 市民的不服従(civil disobedience)とは, ガンディーに率いられた対英非協力・不服従運動や、 キング牧師を中心に組織された公民権運動に代表されるような、 政治的な確信から特定の法や政策を故意に侵犯する行為である。 市民的不服従の議論は、 公民権運動、ベトナム反戦運動といった政治的運動を背景に1960~70年代、 急速に発展した。 とりわけJ.ロールズはその主著『正義論』において、 原理的に一貫した正当化論を提供したことで、 その後の議論の発展に貢献したとされる。
 そこで本報告は、ロールズが展開した市民的不服従の議論を検討し、 彼の議論がかかえる問題点の検証を試みる。

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山本啓介(大学院博士後期課程)「市民的不服従と民主主義─市民的不服従が民主主義に果たす機能について」(2017年6月23日)

 市民的不服従civil disobedienceとは、 ガンディーに率いられた対英非協力・不服従運動やキング牧師を中心に組織された公民権運動に代表されるような、 政治的な確信から特定の法律や政策を故意に侵犯する行為である。 J.ロールズはその主著『正義論』で、それまで曖昧であった市民的不服従の議論に一貫した理論を提供し、 その後の市民的不服従に関する議論の発展に大きな影響を与えた。
 ロールズの市民的不服従の議論の主眼は、 《市民に法律に従うことを課す〈正義の理論の自然的義務〉と対立する法侵犯行為が、 どのようなケースにおいて市民的不服従として正当化されるか》を明らかにすることにある。 彼は、(原初状態において選択された正義の二原理を反映した憲法が保障する) 権利の重大な侵害を矯正し憲法を安定化する装置として市民的不服従を正当化する。 すなわちロールズは、自由主義的な権利保護の観点からの市民的不服従の正当化を主張するのである。 その一方で、別の個所では《正義感覚に照らすと,不服従に従事する者が主張する不正義が重大である》 との合意があるならばその不服従は正当化される、 という民主的な正当化も試みている。 したがって、ロールズ議論から自由主義の原理のみならず、 民主主義の原理による市民的不服従の正当化の契機も読み取ることが可能である。
 そこで本報告は、 ロールズの市民的不服従の民主的正当化に着目し、 批判的検討を加えたコーエンとアレート(1994)の議論を通じて、 市民的不服従の民主主義的な意義を検討する。

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山本啓介(大学院博士後期課程)「シモンズの哲学的アナーキズムと市民的不服従」(2018年6月22日)

 ロールズは、 正義の自然義務による遵法義務と法侵犯行為である市民的不服従とが対立する観念であるとの前提のもと、 市民的不服従を道徳的に正当化しうる要件を検討した。 その結果、《不正を矯正し正義にかなった憲法を安定化する装置》としてロールズが位置付ける市民的不服従は、 厳格な要件に制限されることとなった。
 ところが近年A.J.シモンズは、ロールズの前提、すなわち遵法義務を否定することで、 ロールズが提示する市民的不服従論とは異なる市民的不服従論を提出した。 そこで本報告は、シモンズの正義の自然義務批判と市民的不服従論を検討する。

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山本啓介(大学院博士後期課程)「A.J.シモンズの哲学的アナーキズムと不服従」(2019年10月25日)

 「法であるとの理由から、 法に服従する一般的かつ一応のprima facieな道徳的義務は存在するのか?」 との政治的責務political obligationの問いは、 プラトンの『クリトン』におけるソクラテスはじめとする多くの哲学者が探求してきた。
 シモンズは主著『政治的責務と道徳原理』(1979)において、 政治的責務の問題について一つの回答をした。 すなわち,国家に対する自発的な同意を政治的責務の根拠であることを示し、 ほとんどの人が国家へ自発的に同意していないのだから政治的責務はない、 と政治的責務を否定し哲学的アナーキズムを主張した。
 博士論文では、シモンズの政治理論を研究の対象とし、 とりわけ①政治的責務的責務論の理論的変遷、 ②不服従論とその含意について検討する。 そこで本中間報告では、 シモンズの哲学的アナーキズム論(政治的責務否定論)の骨子を概観したのち、 シモンズの不服従の理論とその含意について考察する。

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山本直哉(大学院修士課程)「協議離婚の実務と課題」(2008年12月5日)

 政府発表の正式な数字ではないが一般に日本においては、3組に1組が離婚するという計算だと言われる。 これはアメリカが2組1組が離婚するという計算に比べると少ないように思えるが大変な確率である。 ここ数年、若干離婚数が減少しているものの日本が離婚大国であることは否定できない。 日本において離婚は身近な問題なのである。 ところで政府統計によれば、離婚形式の内訳は約90%が協議離婚である。 つまり日本の離婚はほとんどが協議離婚であるということである。 このような現状を考えると協議離婚の特有の問題についてより検討をする必要性があるようにも思える。
 日本の協議離婚は他の国と比べると大きな特徴を有している。 日本の協議離婚は世界でも類をみないほど公的機関が関与しないのである。 つまり日本の協議離婚は、当事者間の解決に委ねられているのである。 しかしこの自由さが多くの問題を引き起こしている。 協議離婚については制度の改廃、立法政策など優れた見解が法律学・社会学からなされているが、 実務的視点から現行の制度を前提としてその問題を考えていきたい。

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葉晶珠(大学院修士課程)「中国近代土地法史の史的研究のための論点整理―西欧型法の継受と創造の視点から」(2008年1月11日)

 現在、体制転換の真只中にある中国は、近代西欧型法整備事業を積極的に推進している。 民法典の編纂とともに、その根本にある土地法秩序のあり方も、学界で激しい議論を呼んでいる。 法制史を専攻する私は、そのような現状を歴史的に理解するために、 当面は、中国土地法秩序が近代化し始めた時点に焦点を合わせて歴史研究を志したいと思う。 そのような研究に向けて、本報告では、 中国近代土地法史の史的研究のための論点整理、さらには視座設定を試みることとしたい。

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葉晶珠(大学院修士課程)「ボワソナードにおける本権訴権と占有訴権―所有権理論研究の一課題として」(2008年10月17日)

 ボワソナードによれば、所有権が他者に侵害されたとき、本権訴権(第一章)のみならず、 占有訴権(第二章)も所有権を保護するための手段として挙げられる。 また、占有訴権の目的については、上記の所有権保護のほか、人の生活を保護することも想定されている(第三章)。 このような性質を与えられる占有訴権を、ボワソナードは四種類に分けている(第四章)。 そこで、その物上訴訟に関する独特な見解も展開され(第五章)、さらに占有が単なる事実のみならず、 権利でもあるという論述の中に現れている、 ボワソナードの独自の占有観ないし権利観(第六章)も極めて意味深いように思われる。 最後の第七章では、その占有訴権の特質を比較法的に見てみたい。

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葉晶珠(大学院博士後期課程)「日本における伝統中国土地法論および村落論の研究史」(2009年7月3日)

 従来、マルクス主義(とりわけスターリニズム)の歴史観に大きく影響された中国の歴史学は、 伝統中国の土地法秩序を語る際に、「封建土地所有制」と規定することが常であった。 しかし、ここ20年、新しい研究成果は、かつて「封建制論」一色の局面を次第に変えつつある。 本報告は、以上のことを念頭におきつつ、 中国と比較して一層論争の激しかった日本における中国土地法研究史を回顧してみたい。
 報告は大きく二つの部分に分かれる。 第一部では、土地法の歴史的性格の認識に密接な関連をもつ、伝統中国の村落共同体の研究史を整理する。 本報告の主たる関心から、伝統中国の農村は、村法人たる性格をもつ一個の共同体なのか、 それともすでに分解した個々人の集合体なのか、という問題をめぐる「平野・戒能論争」に注目したい。
 第二部は土地法研究史について考察するが、それは、大づかみには、 ゲヴェーレ的把握から「近代的」捉え方への研究視点の移行と見ることができる。 そこで、伝統中国土地法に関する三つの代表説(仁井田説、戒能説、寺田説)を取り上げる。 中国土地法史の古典説を樹立した仁井田氏は、伝統中国社会=「農奴制社会」という理論前提の下で、 伝統中国の土地所有と中世ヨーロッパのゲヴェーレとの同質性を見出した。 そのような「ゲヴェーレ」的理解に対して、戒能氏は法社会学の観点から正反対の見解を示した。 同氏はギールケの提起した近代所有権概念をモデルとして、中国農村における土地所有は、 外観上、近代的所有権の特質を有する一方、他方では近代的国家へと発展していく道が遮断されたため、 結局近代的所有権が自生的に生まれてこなかったと見ている。 最後に紹介する寺田説は、前記の戒能説が開いた中国土地法研究の枠を引き継いだ上で、 法制史の観点からの議論を展開しており、仁井田説以後の現段階における法制史学の有力説となっている。 本報告は、この順で、それぞれの代表説を見ていく。

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葉晶珠(大学院博士後期課程)「ボアソナード民法典草案の証拠編について」(2010年10月8日)

 ボアソナード起草の民法典草案(Projet de Code Civil,以下、プロジェとよぶ)は、 第五編に証拠編をおき、そこにおいて、証明責任、証拠方法、証拠力などについて規定している。 そのような内容を有するプロジェは、現在の我々の通念に照らすならば、 実体法(民法)のうちに手続法(民事訴訟法)という異物を混入させた、 完成度の低い草案であるように見えてくるであろう。 また、その規定の内容に着目しても、通念からの離反は著しい。 推定を証拠の一種として論じていること、 既判力や時効を推定という概念のもとで論じたりすることなどが、その例である。
 では、そのような証拠編を民法典に含ませるにあたって、ボアソナードは、どのような民法典像を描いていたのだろうか。 彼の民事訴訟像は、どのようなものであったのだろうか。 本報告はこのような問題関心から出発し、まず、プロジェの証拠編における証拠規定を素描し、 その後に、他の編との関連(縦)、時として現行民法または仏・独民法における規定との比較(横)を通じて、 ボアソナードの民事訴訟像ないし民事法論の特徴づけを試みたい。 この研究を通じて、伝統中国における民事訴訟の特性把握を行うための比較法的視座を獲得し、 将来における、民事法領域における「中国近代における法の継受と創造」の研究に結びつけていきたいと思う。

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葉晶珠(大学院博士後期課程)「近代民法の原型とその変容ー訴訟法を内包する民法典とその変容の視角から」(2011年10月21日)

 周知のように、民法典論争後に新たに編纂された日本民法典は、旧民法の編別方式を変更し、 ドイツ民法のパンデクテン式にならうこととなった。 当時の延期派がーさらには断行派であるはずの梅謙次郎でさえもー指摘した問題の一つは 「旧民法には訴訟法が混在する」という点であり、 この意味で「証拠編」の存在などが非難の対象となった。 これをもって旧民法の「欠陥」だとする傾向は、今日においても一般的に見られるところである。
 しかしながら、「訴訟法を内包する」民法典は、近代民法の原型をなすフランス民法典の姿そのものであった。 西欧法は訴訟を中心として発展してきたのであって、法の中心が訴訟法であり、 法体系の中心に位置する民法典が訴訟法を内包する、ということは、むしろ当然のことであった。 フランス民事法はナポレオン法典以来、今日に至るまで、(1)訴訟法を内包する「民法典」と、 (2)民事手続全般について規定する「民事手続法典」(Code de procédure civile)との二元的編成をとっており、 いわゆる実体法に純化した民法、というものは、 19世紀ドイツ法学に特殊な、新しい歴史的形成物なのであった。
 本論文は、証拠法と訴権という二つの側面から、 上述した「訴訟法を内包する」フランス型民法典とはどのようなものであったのか、 それは、その後のドイツ民法における「実体法と訴訟法との分離」という観念の形成とともに、 どのように変容していったのか、 という問題について検討するものである。 今回の中間報告では、Code civilの原理をより一層発展させ、 体系化させたといえるボアソナード民法典草案を主要な手がかりとして、 フランス型民法に内在する証拠法およびその変容について検討してみたい。

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葉晶珠(ジュニアフェロー)「訴訟法としてのフランス型民法典ーボアソナード民法典の「証拠編」について」(2012年6月22日)

 Code civilをはじめとするフランス型民法は、訴訟法に関わる内容(証明法、訴権法など)を多く含んでいる。 我々の通念に照らすならば、これらの規定は民法典ではなく、民事訴訟法において規定されるべきであり、 訴訟法を内包するフランス型民法の構造は、極めて奇異なものである、ということになるであろう。 しかしながら、そもそもこの通念は、長年にわたってドイツ民法学の影響の下で発展してきた日本民法学の民法典像 ー中国・韓国についても、同じことが言えるーに裏打ちされたものである。 このような民法典像が支配的であったために、 日本においては、フランス型民法の中にある訴訟法的モメントを対象とする研究は、 民法学においても、民事訴訟法学においても、ほとんど行なわれてこなかった。 それどころか、民法典論争で提示された、訴訟法が民法典に入ること自体に対する批判的な見方 ー訴訟法と実体法が分離していないフランス型民法は、ドイツ型民法に比べて遅れている、という見解ーが、 今日に至るまで連綿と持続しているのである。
 本報告は、上記のような民法像からひとまず離れて、訴訟法的モメントが内在するということこそが、 フランス型民法の構造上の最大の特徴であると捉え、 そのような観点から民法典全体の構造を解明しようとするものである。 具体的には、東アジアではじめてフランス型民法を継受したボアソナード民法典を素材とし、 その中で重要な柱をなす「証拠編」の構造的な分析を試みる。 そしてそれによって、(1)ボアソナードの観念する民法とは、訴訟を総体として規律する法であり、 したがって狭義の実体法(権利・義務)と証明法の統一体として構築されていること、 (2)「証拠編」の内部においては、法定証拠主義の原則に基づいて、 様々な証明の手段が階層的な構造をなしていること、 を明示し、このような構造を持つことの意義について論じる。

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葉晶珠(博士後期課程修了者)「現代中国における民法典体系をめぐる論争」(2013年11月8日)

 中華人民共和国は建国当初において、民国政府の「六法全書」を廃棄し、 清末以来の西洋法継受の成果と決別する方向に転じた。 その後、中国法は全面的にソビエト法を継受する時期に入った。 この状況は1980年代の改革開放政策が実施されるまで変わることはなかった。 1993年に「市場経済」が憲法で正式に認められたことをうけ、 民法を含む各法部門において、長年にわたり中断されていた西洋法継受が再開された。 民法学の分野では、近い将来誕生するであろう中国民法典の編纂へむけて、学者たちが再び、 清末から民国期にかけて中国民法学に多大な影響を与えていた西欧大陸の民法学に関心を寄せるようになり、 その継受を再開するにあたり、今までになかった活発な議論を繰り広げている。 本報告で取り上げる「民法典の体系をめぐる論争」は、まさにその重要な一環として位置づけられる。 そこで議論されている問題の中には、以前から関心が高い課題もあれば、 これまでの民法学が十分に展開してこなかった課題もある。
 本報告は、論戦の過程で最も注目された三つの学者草案を代表として取り上げ、各論者の主張を紹介する。 そして、中国における西欧型民法継受史という文脈の中で、 同論争の性質および意義について検討してみたい。

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葉晶珠(博士後期課程修了者)「『大清民律草案』における人格権規定に関する一考察」(2014年12月19日)

 清政府主導のもとで起草された『大清民律草案』(1910)は、 中国初の近代型民法典草案であり、 日本からのお雇い外国人学者松岡義正が起草者だったこともあり、 その編別構成および内容面において、 明治民法典およびドイツ民法典による影響が極めて大きいと言われている。 しかしながら、本報告の研究対象となる人格権法については、 母法とは違う一面を見せている。 すなわち、総則の中に「人格保護」と題する独立の一節が設けられており、 そこに人格権に関する一般規定が置かれているのである (これは当時最新のスイス民法典の立法例を採用した結果だ、と指摘する見解もある)。 保守的な清政権の末期に誕生した中国初の近代型民法典において、 人格権を明文の形で掲げ、 人格に対する保護を正面から肯定しようとする姿勢が見られたことは、 高く評価されるべきであると思われる。 また、同草案が取った人格権法の立法形式は、 後にドイツ民法学の継受(清末から1949年民国六法典の廃止までの期間) およびソビエト法学の継受(1949年共産党政権成立から1980年代西欧法継受再開までの期間)により、 大きく修正されたところもあるが、その影響は現在まで及んでおり、 『民国民法典』(1929)および『中華人民共和国民法通則』(1986)という 中国民事立法史上の重要な二法典(律)においても、 その影響を確認することができる、と言われている。
 本報告では、中国人格権立法の濫觴をなした『大清民律草案』の関連条文の構造について考察し、 また、法典の実質的意義をより正確に把握するための重要な手がかりとして、 起草者であった松岡義正が残した京師法律学堂での講義録および著述を検討する。 これによって、中国民法典の編纂に向けて実定法学において展開されている 人格権法ないし民法の理論的再構成に資するような、 一つの歴史的視点を提供することを試みる。 さらには、報告者自身がこれまでに取り組んできた、 法継受という問題に対する新たな展開として、 中国近代民法の黎明期に法典編纂および法学教育に参加した、 お雇い外国人学者の活動の意義についても考えてみたい。

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楊東(大学院修士課程)「中国における証券市場の変動―政策と法を中心に―」(2000年12月8日)

 西村幸次郎『中国における企業の国有化―政策と法―』からの示唆を得て、 中国建国当初の資本主義的要素の社会主義化、 また改革開放後(1978年)の社会主義的要素の資本主義化(私的所有のシステムの大幅導入)という 現代中国歴史上(主に法制史)の面白い現象に気づき、 ベルリンの壁とソ連の崩壊、自由経済、全球化(グローバリゼーション)という 90年代以来の世界情勢を念頭におきながら、 最も資本主義的なもの―証券市場が中国での生成、発展を政策、法の側面から研究する。 研究方法としては、主に歴史的対照(タテ的、時間序列的構造)と 現実的比較(ヨコ的、空間地域的構造)とを結び付ける(法のクロノトポス(時空)的研究)。

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楊東(大学院修士課程)「中国証券市場の法整備―社会主義所有の視点から―」(2001年11月30日)

 中国で公有制の変容、所有制度に関する憲法改正と証券市場の発展・法整備とは、切り離せない関係にある。 日本などの西側資本主義国と違って、中国株式市場・証券市場の法整備は、 社会主義公有制理論の発展及び中国憲法の改正と密接に関わっている。 伝統的な社会主義公有制の下に、資本主義の証券制度を発展させるのは、不可能である。 資本主義の証券制度を発展させるためには、公有制概念の拡大が必要になり、 公有制理論を発展させ、憲法改正が行われてきた。 公有制概念の拡大と憲法改正が進むにつれて、証券市場の法整備も前進した。 一方、そのために、残された課題と問題も少なくない。 本報告は、公有制の変容、所有に関する憲法の改正を検討しながら、 社会主義公有制の変容と証券市場の法整備とのかかわりを考察し、存在する問題を指摘した上で、 最近の証券市場法整備と社会主義公有制理論の発展、 憲法改正の動向を紹介し、今後の課題を指摘することを試みる。
 以上の考察を通して、中国共産党と中国政府が、社会主義公有制理論を発展させ、 イデオロギー的な論争を突破して、証券市場の発展と法整備の過程において、 大きな役割を果たしたことを明らかにする。 また、中国政府は、社会主義公有制と株式市場における資金調達の役割を巧みに利用して、 社会主義の生命線である国有企業を「輸血」の方法で、多額の債務を解消し、 経営危機から救っていく過程を明らかにする。 さらに、公有制の視点から考察した後、今日の証券市場の発展と法整備の最大の障害は、 国有企業改革後の国有株上場流通の問題であると指摘する。

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楊東(大学院修士課程)「中国における国有株の法的諸問題」(2002年6月21日)

 1990年の中国株式市場の形成以来、市場の6割以上を占めている国有株の非流通の問題は いまや株式市場の健全な発展を左右する重大な問題となりつつある。
 中国政府は国家株と国有法人株を徐々に市場で売却しようと努めている。 国務院が2001年6月に公布した「国有株削減による社会保障資金の調達に関する暫定弁法」は、 国家保有株を最大限高値で放出することを狙ったものであったが、 これに対する一般投資者の反発は大きく、株価の急落を招いた。 結局、この政策は失敗し、2002年6月23日に国務院はその実施を停止すると発表した。
 中国の国有株の問題は国有企業改革と株式会社制度の導入とともに発生したのであり、 国有株の問題を解決するためには、 その歴史的な背景である国有企業改革と株式会社制度の導入を考察しなければならない。 本報告はこのような視点に立ち、中国の国有企業改革の歴史と株式会社制度導入のプロセスを考察したうえ、 国有株の非流通の障害など法的諸問題を分析して、その解決策を見出しながら、 最近の第16回党大会における新しい国有資産管理体制に関する決定と 外資への国有株譲渡の新たな動向を紹介し展望する。

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吉田聡宗(大学院修士課程)「動物の法的地位に関するファーヴルの議論及び日本法への示唆」(2017年1月6日)

 米国の動物法学における有力な学者の一人である ファーヴル(David S. Favre)の動物の法的地位に関する議論を紹介し、 現代日本の動物法への示唆を検討する。
 「動物の権利」(animal rights)に関する議論が活発な米国においても、 動物は法的には権利の客体である物であり、 権利の主体である人ではないと解されている点は、日本と共通している。
 ファーヴルは、米国法体系の中で既に実質的には動物が一定の利益及び権利主体と認められていると主張し、 物の中に「生きている財産」(living property)という法的地位を創出することを提唱している。 「生きている財産」である動物は、 それが持つ利益や権利(例:動物虐待防止法に基づく虐待されない権利)については主張できないため、 自然人・動物保護団体・政府の活動により、 動物の利益や権利の実現が可能になると主張する。
 しかし、ファーブルの議論をそのまま日本の動物法の議論に繋げることは困難である。 理由の一つが、米国の動物法の沿革にあると考えられる。 現在の米国各州の動物虐待防止法の基本型となったとされる、 1867年に成立したニューヨーク州動物虐待防止法の立法過程と、 その執行過程に対する、動物保護団体の積極的な関与にも言及し、 現代日本の動物法への示唆を考察する。

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吉田聡宗(大学院修士課程)「ファーヴル理論の紹介及び日本法体系への応用可能性の検討―動物の法的地位からみる日米法の比較分析」(2017年11月17日)

 報告者は現在、 アメリカの動物法学者ファーヴル(David Favre)の法理論の紹介 および日本法体系への応用可能性の検討をテーマとして修士論文の作成にあたっている。 本報告では、修士論文の概要及び論理展開を述べる。
 ファーヴルは以下の理論を主張をしている。 まず、動物と人間が有するDNAの解析の進展という自然科学の発展及び、 人間の所有からは独立した内在的な価値を動物が有するという人々の一般的な動物に対する考えの双方と、 動物を車や本と同一の動産とする法制度の通説的な考えとの間には、 ずれが生じていると現状を分析する。 しかし、パウンド(Roscoe Pound)の「利益」(interest)に関する思考様式を用いれば、 統一信託法典でペット信託の設定が認められていること、 動物虐待防止法で所有者に対して適正飼養義務が定められていることからは、 動物の利益が一部の法制度で既に承認されていると捉えることができる。 そこで、動物のために、動産・不動産・知的財産とは異なる、 「生きている財産」(living property)という法的地位を創出することを提唱する。 そのことにより、「エクイティ上の自己所有権」(equitable self-ownership)を動物それ自体に、 コモンロー上の所有権を従来通り人間に付与し、 動物保護団体などが「後見人」(guardian)として動物の利益を保護し、 動物を物でありながら権利主体とするように、法制度を変更することが可能となると主張している。
 しかし、ファーヴルの以上の理論は、 日本法体系を前提とすると、 パウンドの思考様式を用いたとしても、 エクイティの存在・信託法の理論構成・動物虐待防止に関する法制度の社会的な受容度等の違いから、 そもそも発想することからして困難である。 ファーヴルの理論の日本法体系への応用可能性の検討を通して、 日本法とアメリカ法の比較考察を行う。

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吉田聡宗(大学院博士後期課程)「動物の法的地位に関するファーヴル理論の検討―日米法の比較考察」(2018年5月11日)

 本報告では、修士論文の成果と、今後の研究テーマについて述べる。
 修士論文では、アメリカの動物法学者ファーヴル(David S. Favre)の 動物の法的地位に関する斬新な理論について検討し、 その理論の日本法体系への応用可能性の検討を通して日米法の比較考察を行った。 ファーヴルは、動物の利益はアメリカ法上で既に考慮されていると解し、 人間による動物の所有を可能にしたままで、動物を一定の権利の主体とし、 動物の権利の実現を動物保護団体が補助するという理論を提唱している(ファーヴル理論)。 ファーヴル理論を体系的な紹介したうえで、理論的な問題点を指摘する。 そして、ファーヴル理論の日本法体系への応用可能性を検討する。 ファーヴル理論は、アメリカ法を前提として構築されており、 日本法への応用は困難である。 その主要因である、信託の機能と、 法の実現における動物保護団体の果たしてきた役割が、 日米間で異なることについて、言及する。
 その上で、信託と法人の関係と、 アメリカにおける動物保護団体の活動の歴史的な展開について、 今後の研究テーマの設定も含め、若干の考察を行いたい。

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吉田聡宗(大学院博士後期課程)「ニューヨーク州動物虐待防止法の沿革―法執行の担い手を中心に」(2019年5月17日)

 現代のアメリカにおける動物保護に関する法制度やそれをめぐる議論を理解するためには、 いくつかの前提を踏まえる必要がある。 それらのうちの一つが、19世紀後半に私的団体が動物虐待防止法の執行を担ってきたことである。 1866年の設立以来、私的団体であるアメリカ動物防止協会 (the American Society for the Prevention of Cruelty to Animals, ASPCA)は ニューヨーク州において、動物虐待防止法の執行を積極的に担ってきた。 そして、その活動は、他の州でも参考にされ、法執行を担う私的団体が設立された。 しかし、日本において、アメリカの動物虐待防止法及びその担い手への注目度は低く、 それらは児童虐待防止法及びその担い手のモデルとなったという文脈で表面的に触れられるに過ぎない。
 そこで、本報告では、アメリカ各州における動物虐待防止法のモデルとなった、 ニューヨーク州動物虐待防止法の展開及びその担い手となったASPCAの活動を考察する。

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吉田聡宗(大学院博士後期課程)「フェイヴァー理論の検討―動物権利論への批判的考察」(2020年10月16日)

 本報告はアメリカの動物法学者デイヴィッド・S・フェイヴァー(David S. Favre)の理論の検討を目的とする。 彼は、DNAを利益主体の条件とする独自の認識に基づき、 19世紀以来の各州の動物虐待防止法、 そして、現行のワシントン州信託法や連邦法である絶滅危惧種法などにより動物の権利がアメリカ法上認められると解釈する。 そして、所有権を分割する信託法の法理を応用し、 野生動物はコモン・ローとエクイティ双方の自己所有権を有する一方で、 飼養動物はエクイティ上の自己所有権を持つが、 人間がコモン・ロー上の所有権を持つとする。
 フェイヴァー理論は、 権利に基づいて人と物を峻別する法の基礎的な世界観の変更を試みるが、 制限を付すものの人間による動物所有を認めるという現状を肯定する性質や理論の難解さゆえに、 これまで十分には研究されてこなかった。
 本報告では、 フェイヴァー理論を紹介した後に、 他の動物法学者による批判を分析し、 フェイヴァーの歴史認識の問題点を指摘したうえで、 日本法に応用できるかを考える。

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吉田聡宗(大学院博士後期課程)「フェイヴァー理論の検討―比較法学的観点からの動物権利論への批判的考察」(2021年10月15日)

 本報告の目的は、 権利の有無に基づき人と物を峻別する法の基礎的な考え(「人/物」二元論)に挑戦する、 動物権利論を批判的に考察することである。 そのために、アメリカの動物法学者デイヴィッド・S・フェイヴァー(David S. Favre)の理論を検討する。 彼は、DNAを利益主体の条件とする独自の認識に基づき、 動物の権利がアメリカ法上認められると解釈する。 そして、所有権を分割する信託法の法理を応用し、 飼養動物がエクイティ上の自己所有権を持ち、 人間はそれのコモン・ロー上の所有権を持つとする理論を提唱する。 「人/物」二元論の変更を試みるフェイヴァー理論は、 その難解さゆえに、これまで十分には研究されてこなかった。 本報告では、フェイヴァー理論を紹介した後に、 他の動物法学者による批判を分析し、 同理論の手続面の問題点を指摘したうえで、 日本法に応用できるかを検討する。

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吉田聡宗(ジュニアフェロー)「動物救護に関するルイジアナ州「よきサマリア人法」の基礎調査」(2022年12月9日)

 権利主体性を持つ人と持たない物を峻別する、 法の基礎的な世界観である「人/物」二元論を揺るがしている法現象を考察するべく、 生命を持つ特殊な財物である動物の救護に関するアメリカ法の動向を検討する。 そのために、自動車の中に放置された動物の生命に危険が及ぶ場合に、 当該動物を救護するためになしたドアなどの破壊や不法侵入を免責する要件を定めた ルイジアナ州の「よきサマリア人法」について、基礎調査を行う。

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李素芳(大学院修士課程)「人役権制度についての考察―ローマ法から中国民法典まで」(2021年12月10日)

 本研究は人役権の起源ローマ法から、 2021年に中国民法典における居住権の設立まで、 人役権制度の発展及び変化を探究する。 現代民法における人役権の必要性に関する依拠を探り、 人役権を大陸法系に位置づける。 人役権は最初的に共和政ローマ時期(紀元前509年―紀元前27年)に現れた。 ローマ人は、 人役権について人と物の関係、地役権について土地と土地の関係を指す。 ローマ学者は、人役権について特定する人の利益のために、他人のものを利用する権利を指す。 日本ではボワソナード民法(旧民法といわれ、明治23年(1890)公布されたが施行されなかった民法典)において、 用益権、使用権、居住権の三種の人役権が認められていたが、 現行民法では、そのような慣習がなく、 また不動産の所有権に様々な物権が付くと取引を妨害するという理由などで人役権は削除された。 それに対して、中国において、 居住の需要を満たすために、養老問題または住宅問題が注目され、 居住権が2021年1月から施行される民法典に初めて書き込まれた。 中国では不動産価格の高騰により、 不動産の所有を中心にすることから利用を中心にすることへの解決策が重視されている。

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盧永華(大学院修士課程)「中国憲法における私有財産保護」(2004年1月23日)

 経済の急成長が中国社会に大量の私有財産を形成させてきた現状において、 私有財産の保護問題は注目され、憲法と私有財産の関係が議論の焦点となっている。 1980年から90年代まで、中国憲法には三回の修正があったが、 経済と財産権の問題がいずれも中心問題になっている。 また、現行憲法の私有財産に対する保護が不十分であることに対して、 中国共産党中央委員会の意見案に基づいた第四回憲法修正案が採択された。 その提案における私有財産保護に対する改正案は、 不可侵規定、制約規定、収用保障規定という三重の保障構成を採用しており、 海外でも画期的だと評価されている。 しかし、単純に憲法の規定にこだわってはならず、 同時に、憲法の規定と違憲法律、地方法規などの関係、私有財産の発展と社会主義の矛盾、 私有財産を保護し、私有経済を発展させる中の共産党の位置と作用などにも注目しなければならない。

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渡辺理仁(大学院修士課程)「ビザンツ民衆法とその継受―8世紀を中心として」(2017年12月22日)

 ビザンツ帝国は法制史上自律的な法圏として説明されることの少ない領域である。 一方で、その領域内では市民法大全を雛形としながらも 種々の法的作品が実用に供されて来た。 そこで、ビザンツ帝国が国制上後期古代ローマ帝国から変容した時期であり、 ローマ法一般の法源である市民法大全以降最初の法典編纂活動が ビザンツ帝国領内で行われた時期でもある8世紀が重要であると考えられる。 この時代に着目することで、 市民法大全からの連続性を保ちつつ 変容を検討することができると考えられるためである。
 本報告では上記研究から派生して、 民衆的な事例に関して市民法大全以来の継受を読み解くことで 同時代の法状況の整理を行う。

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渡辺理仁(大学院修士課程)「『抜粋集』と教会法—ビザンツにおける法発展の検討序論」(2018年11月16日)

 8世紀の官選法典『抜粋集』は、 簡潔性・実用志向といった性質と共に『キリスト教的』法典として紹介されてきた。 この『キリスト教的』法典という性質については、 既に刑法や統治機構等の切り口からの具体的な説明が行われている。 これらの説明は神寵者としての皇帝イデオロギーを『キリスト教的』評価と結びつける一方で、 『抜粋集』法文テキストの精査によって従来のローマ法からの連続性を説明する試みは管見の限り行われていない。 また、これらの説明においては既に特定の法分野として存在していた 『キリスト教的』法である教会法への説明は十分にされていない。 本報告では『抜粋集』の法文と、 原典となった諸法源の法文を比較検討し、 両者のテキスト面・制度面での関係を検討した上で、 8世紀ビザンツにおける国家法・教会法の関係について考察する。

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渡辺理仁(大学院博士後期課程)「ビザンツ法史研究の端緒とその展望」(2019年6月21日)

 本報告では修士論文の要旨と成果に加え、今後の研究方針について述べる。
 修士論文では、8世紀にビザンツ法典である『抜粋集』の婚姻法法文を題材として、 それらの法文に対する従来の評価を検討すると共に、 それを通して往事のビザンツ帝国におけるローマ法-教会法の関係性を考察した。 『抜粋集』は『市民法大全』以降、 東ローマ帝国領域で公権力に主導されて編纂された初の法的著作であるが、 その性質は教会に由来する立法を典拠に持つという点で 『市民法大全』とは性質を異にするものと想定される。 一般的に「ローマ法」の典拠として言及される『市民法大全』と『抜粋集』の性質の差異を、 教会法の影響が顕著に反映されたであろう婚姻法法文の比較によって検討した。 その上で往事のビザンツ帝国におけるローマ法-教会法の立ち位置に関して若干の考察を加えた。
 修士論文執筆以降に得られた知見に基づいて若干の補足を加えつつ修士論文の要旨報告を行い、 その上で従来の研究方針の修正を行いたい。

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渡辺理仁(大学院博士後期課程)「「ノモカノン」検討—世俗法と教会法の調和の試み」(2020年11月13日)

 ローマ法と教会法は、 共に西洋法制史における主要な法分野である。
 西欧においては、 ローマ法は12世紀の「ローマ法学の復活」を、 教会法は叙任権闘争を経てその勢力を確立したが、 2つの異なった法体系の下にある裁判所が併存した。 東のビザンツ帝国においても状況は同様であったが、 そうした歴史的背景を持たないビザンツにおいて、 ローマ法と教会法はキリスト教秩序下の法制度として自然と一定の整合性を要求された。
 整合を図る試みの一つとして著されたのが、 6-10世紀を中心として著された「ノモカノン」と呼ばれる類型の著作である。 この著作類型はビザンツにおける世俗法―教会法関係の西欧に対する特殊性に言及する際に根拠とされる一方、 内容に関する具体的な説明は不十分にしか行われてこなかった。
 本報告では、 主要な「ノモカノン」から幾つかの法文を取り上げ、 その中でローマ法・教会法間の調整がいかに図られていたかを確認することで資料紹介に代えたい。

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渡辺理仁(大学院博士後期課程)「ビザンツ国家・教会法における婚姻法の変遷」(2021年10月1日)

 ビザンツ帝国は、 「市民法大全」の編纂から「ローマ法学の復活」までの間もローマ法・教会法が現行法として妥当し続けた地域であった。 その結果として特に8世紀から10世紀までの期間において、 ローマ法領域に関しては国家による法典編纂、 教会法領域に関しては私人による整理を基幹とし、 多彩な法史料が残されている。
 しかし、これらの法史料に関する先行研究は主として成立経緯を主とする文献学的検討によるものであり、 内容に関する具体的な説明は不十分にしか行われてこなかったことにより、 現在ビザンツ法制史の概観は不明瞭にしか与えられていない。 報告者がこれまで行ってきた検討は、 特に婚姻法法文を検討対象とし、 個々の法文テキストおよび規定内容の比較からビザンツ帝国内での法の変遷について考察するものであったが、 本報告ではそれらの検討を綜合することにより、 ビザンツ法制史の一幕を具体的に明らかにすることを目的とする。

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渡辺理仁(大学院博士後期課程)「ビザンツ婚姻法における「市民法大全」以降の展開—「ビザンツ法≒ローマ法」テーゼ検討序説」(2022年10月14日)

 ビザンツ法をローマ法として主張する際、 その論拠としては国家的連続性とテキストの使用が既に主張されているものの、 内容面における検証を経た主張は、 現在に至るまでビザンツ法制史研究が法源史に傾いていたことからされておらず、 この主張の妥当性は未知のものである。
 本報告は、 博士論文「ビザンツ婚姻法における「市民法大全」以降の展開」(仮題)の中間報告として、 ビザンツ法を「市民法大全」を内容面においても忠実に継承したものである (「ビザンツ法≒ローマ法」テーゼと称する)とする立場から、 8~12世紀におけるビザンツ私法史(婚姻法)に対する概説的な仮説を提示することを試みる。
 本報告では8世紀から12世紀に至るまでのビザンツにおける ①手引書型法源(8~10世紀)、 ②法実務に関する史料(10世紀~11世紀)、 ③教会法法源(8~12世紀)において婚姻法法文を対象とし、 各々の規定内容において「市民法大全」への依拠と逸脱が見られるかを検討し、 テーゼの妥当と限界について指摘する。 その上で今後の研究の展望を述べる。

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渡辺理仁(大学院博士後期課程)「「ビザンツ法≒ローマ法」テーゼ検討—ビザンツ婚姻法における「市民法大全」以降の展開」(2023年5月23日)

 ビザンツ法を「市民法大全」を内容面において忠実に継承したものである (「ビザンツ法≒ローマ法」テーゼと称する)とする立場に立った場合、 「バシリカ」以前における手引書型法源(8~10世紀)と、 「バシリカ」以降の法実務に関する史料(10世紀~11世紀)からは異なった傾向が伺われる。 博士論文ではこの点を取り上げ、 テーゼの妥当と限界について検討することで、 限定的な私法史としてのビザンツ法史を仮説的に提示することを目指す。
 本報告では、 博士論文「ビザンツ婚姻法における『「ビザンツ法≒ローマ法」テーゼ検討序説』の中間報告として、 特に11世紀における実務史料『ペイラ』から伺われる婚姻法事例を取り上げ、 「市民法大全」への依拠と逸脱を分析する。 その上で、博士論文では教会法史料を中心とした以降のビザンツ婚姻法史上の展開を取り上げる。 これまでの展開との関連性について論ずる。

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